あたらしいおんな
「女であること」はいま「こじれやすい」。結果、男が「女になること」もふくざつな脱臼をしいられてゆく。たぶんそれが現在的な抒情、身体性のひとつ。まあ、そんなことをおもいながら、今月の「現代詩手帖」での連載月評を書きました。対象とした詩集は、
・平田詩織『歌う人』
・蜂飼耳『顔を洗う水』
・大江麻衣『変化(へんげ)』
・宿久理花子『からだにやさしい』
・紺野とも『擾乱アワー』
・鳥居万由実『07.03.15.00』
――そう、女性詩作者を一覧するという、ベタなアプローチでした。次回はきっと男性詩作者特集にこの欄がなるとおもいます。そこでもやはり現在的な抒情、身体性へと迫らなければならない。
ところでこのあたらしい「現代詩手帖」の本特集は川田絢音。長年偏愛する詩作者です。授業も何回かやった。なにか書かせてもらいたかったなあ。むろん詩書月評の連載があるから無理なんだけどね。