近況7月28日 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

近況7月28日のページです。

近況7月28日

 
 
「現代詩手帖」8月号の詩書月評では、アレゴリー(ベンヤミン的な定義によるもの)を媒介に、以下の詩集を紹介・考察しました。
 
・山田亮太『オバマ・グーグル』
・廿楽順治『詩集 怪獣』
・夏石番矢『夢のソンダージュ』
・川上明日夫『灰家』
・宇宿一成『透ける石』
 
8月号・詩手帖の本特集は、「2010年代の詩人たち」。こういう、世代別の詩作者特集ではお呼びのかかったことがなく、さみしくはある。アンソロジーも年間だけ。中堅はいつもはじかれてしまう。
 
それはともかく、久谷雉・鳥居万由実・森本孝則の鼎談がすばらしかった。それと井坂洋子さんの論考も。彼らの考察を読むと、2010年代の詩作者がべつにあたらしいわけではないとわかる。詩は詩であるにすぎない。掲載されていた詩篇では、最果タヒ、高木敏次、疋田龍之介などのものに瞠目した。
 
ぼくも来月の詩書月評では若手の詩集を紹介・考察する予定。きのうは仕事がいろいろあったのに、気分が沈んで不調だった。こういう日はたまにある。昨日一個だけしたのは、森澄雄の一句について、同世代の院生に以下のメールを打ったこと。ペーストしておく。
 

 
岡井隆さんの「けさのことば」は中日新聞に連載されていた朝刊用の小コラムです。朝日新聞で展開された、大岡信「折々のうた」の岡井版という位置づけですね(塚本邦雄も「けさひらく言葉」をやっていた)。ただし岡井版は俳句・短歌・詩のみならず、箴言、哲学書の抜粋などもふくんで射程がひろい。森澄雄のこの句については、最近岡井さん自身が送ってくださった『けさのことばⅦ』で扱われていました。
 
短いので、リクエストにこたえ、全体を転記しておきます。
 

 
稲終へて淡海〔あふみ〕見に来〔き〕ぬ越後衆
 
(『浮鴎』森 澄雄)
 
 越後は、いわずと知れた米どころ。稲を収め終えた「越後衆」が、琵琶湖へ遊びに来ている。言葉がすべて現代離れしているので近世の句のように思えるが、昭和四十七年の作。澄雄の近江の句はその量と質において高名である。単なる叙景ではなく、現代のお米事情がらみで詠まれたため一層深みの出た句だ。
 

 
みじかい岡井さんの鑑賞ではぶかれているのは以下でしょう。
 
・十七音のなかで地名がふたつも入った異例句であること
・「稲終えて」=「稲〔の仕事の一連を〕終えて」という措辞の省略に味のあること
・古地名の使用により、時間を超越した永遠性がにじむこと
・物見遊山そのものが肯定されていること。しかもそこに、「海水地→淡水地」という「より淡いもの」への傾斜があること。
・そこから人間の休暇の本質がまぼろしのように現れていること。
 
 

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2016年07月28日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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