近況8月28日
「現代詩手帖」9月号では、次の詩集をあつかいました。
・永方佑樹『√3』
・高塚謙太郎『sound & color』
・谷澤理衣『世界観をもとめる』
・黒崎立体『tempo giusto』
・野崎有以『長崎まで』
それぞれ個性のことなる詩集だが、「流露感(流麗感)」によって詩行が展開されていて、その点に着目して全体を括った。今日は、次の号の原稿を書く。ともあれ、この苦行ともいえる連載も、あますところ10月号・11月号・12月号の3号分になった。
すばらしい詩集の刊行がつづいている。いまでも取り扱いに積みのこしがあるのに、そろそろ10月の詩集刊行ラッシュの前兆までかんじられて、これから繙読と対応と選択にいよいよ苦慮しそうだ。
最近の年鑑号冒頭鼎談で某氏が、思潮社編集部からピックアップ郵送されたものに、自分宛に郵送された詩集を加えた手持ち分で、「読みのこしはなく、今年の重要詩集はすべて読了した」云々と豪語していたが、たぶんそんなことは例年ありえないだろう。詩集は同人誌とともに、曖昧な領域からも明白でないかたちで刊行されて、だれかがそれをとりあげないと、「なかったもの」にされてしまうはずだからだ(「西脇圏」ということで絶対に視野から外せない今鹿仙さんの第一詩集『マゴグの変体』〔※06年、日本自由詩協会刊、変更なければ電話042-972-3090〕の存在など、廿楽順治さんのポストによって今年ようやく知ったのだ)。
たとえば詩手帖9月号でも谷澤理衣『世界観をもとめる』が、黒崎立体さんのものとともに今年度を画する詩集だったが、「グループ絵画」という、詩書圏外が版元となっているその詩集にたいし、どう注文をしていいかわからない読者も多いとおもう。詩壇とあまり縁がない作者らしく、ぼく個人宛には詩集が郵送されてこなかった。たぶん当てずっぽうで思潮社に送られたものが、ぼくの手許に舞い込んできただけだろう。
この詩集が仏教的法悦をテーマにしていて、しかもフレーズが前衛的に躍動している。古語を勘案した独自の人工的文体をもつ。ほのおのようであり、水流のようでもある。従順になってきている全体の詩作シーンに、楔を打ちこむ意欲作だった。くりかえすが、このような詩集を一般の詩の愛好家はどう手に入れればよいのか。ともあれ版元「グループ絵画」の電話番号を書いておく。06-6661-9374。
作者はいつでも未知だ。既知とおもう作者でも、その新著なら未知だ。このことに畏怖をおぼえずに、詩集をかたることなどできない。さきに言及した鼎談出席者は、このところ諸局面で傲慢さが鼻につくが、それは権威にたいする以外に畏怖を欠いてしまったためと別言できるだろう。結果、多幸症めく詩作じたいも自己模倣におちいって質が低下している。
ぼく自身の詩集『石のくずれ』はなかなかアマゾンでの入荷開始にならない(さきごろ書影が出たばかりだ)。ということは、寄贈したかた以外はまだ入手していない、という状況だろう。それで詩書月評をやっていて素晴らしい詩集が舞い込み、そのひとが自分の詩集の寄贈先でないと、ついつい寄贈してしまうことになる。そこには、「ぼく(阿部)が良いとおもった作者は、阿部の書いたものもよろこんでくれる」という意味の相互性が期待されているのだ。これは評価や郵送の互酬性とは似て非なるものだろう。「読まれたい」というだけのことだ。