近況12月10日 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

近況12月10日のページです。

近況12月10日

 
 
【近況12月10日】
 
札幌はこの時期にしては記録的な豪雪で(積雪量60センチ!)、学生たちに買いに行って、とおねがいするのも酷だが、本日の北海道新聞夕刊に、ぼくの連載コラム「サブカルの海泳ぐ」が載っています。
 
三題噺で串刺しにしたのは、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、その影に隠れてしまった感もある大好きなレナード・コーエンの死と遺作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』、それにプロミス・ザ・リアルを従えたニール・ヤングの二枚組CDライヴ。新聞を手にとってみて気づいたが、ニールのアルバム名『アース』を原稿で書き落としていた。ぼくはおろか、チェック役の女房も担当編集者もスルーしてしまったのが可笑しい。
 
原稿では、ニール・ヤング&プロミス・ザ・リアル『アース』が農業大資本へのプロテスト・ソング集となっているが、これは字数制限のためで、同時にアルバムは、遺伝子操作などのない真の農業エコロジーをも渇望している。エコ・アルバムなのだ。新曲以外に往年の曲も入っているが、ポイントは歌詞に「アース」のあること。「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」のほか『渚にて』の「ヴァンパイア・ブルース」も収録されていて(ブルースのリードギターが弾けないニールが可愛い)、そこから「農地の幽霊」というニールのヴィジョンもみえる。これがヒッピー世代や西部劇の英雄と接続されるときに、アメリカにかかわる彼の時空観が窺える。むろんヒッピー=「ニューエイジ」は、似非サイエンス、美容フィットネス産業などの確定者・起業者であって、それが逆側に飛び火すれば土地集約を画策しての農業産業化の推進者となる。したがってニールの「プロテスト」はすごく多方向的なのだった。彼の眼力をかんじる。
 
字数調整で削除してしまったのが、ボブ・ディランの歌詞の質についての言及だった。たとえばニール・ヤングの往年の名曲は鼻唄で唄えるが(「ハーヴェスト」とか「メロウ・マイ・マインド」とか、とても気持ちいい)、ボブ・ディランの過剰多言な歌詞ならそうはいかない。いちどカラオケで「ライク・ア・ローリング・ストーン」を唄おうとして、歌唱が忙しくなりすぎ、閉口したことがあった。
 
たしかに、ディランの歌詞は、時空を運動能力のあるショットで切り取り、多様な類型が出現するパノラマをつくりあげるときに、圧倒感がある。拡がるものがおおきく、幻影の幅がひろいのだ。「廃墟の街」がその典型だろうが、「激しい雨が降る」「アイ・ウォント・ユー」など、ビート・ジェネレーションの詩よりも鮮やかなこの手の名曲はじっさい枚挙にいとまがない。ただし「唄う」と、詩の朗誦となってしまう点に難がある。微妙な歌唱により歌詞に微妙な命をふきこむことが、ニール・ヤングのようにはできないのだ。「マイ・バック・ページ」のみ例外かもしれない。あの分裂型、難解な歌詞は、曲調とスローテンポの助けを借りて「何とか唄える」。唄うといまでも、60年代特有の政治的に分裂した身体がよみがえるのが奇妙だ。
 
ディランは、ライヴではアレンジはおろか、曲調まで変える。傑作ライヴ『激しい雨』では「レイ・レディ・レイ」「アイ・スルー・イット・オール・アウェイ」などがそれで圧倒的な蘇生をしるした。初の日本公演の記録からつくられた当時LP三枚組のライヴ『武道館』ではアレンジにレゲエリズムが加えられた曲が多かったのみならず、マイナー曲「ゴーイング・ゴーイング・コーン」がメジャー曲に変わり、「アイ・ウォント・ユー」ではロックンロールがバラードへと転生した。既存の歌詞に、あらたな作曲がほどこされたといってもいいほどだ。これが何を意味しているかといえば、「歌詞の独立性」だろう。むろんこのことが「詩の明証性」につながってゆく。ぼくはそれがディラン音楽の弱点だとおもう。
 
独立した歌詞に、簡単なコード展開が載る。トーキングブルースなどを念頭に、投げ出すように唄われることで、歌詞の朗誦性が手放されない。結果、ディランの曲の多くに、「歌詞>曲」という定式が成立してしまう。歌詞を大切にした初期ニール・ヤング、ルー・リード、もっといえばジョン・レノンなどにこんな事態はなかった。中学・高校時代のぼくは、音楽評論家=映画評論家の今野雄二さんが大好きだったが、今野さんはあるとき「ディランの音楽スタイルは嫌いだ」と何かに綴った。賛同した記憶がある。ただし「怒りの涙」「アカプルコに行こう」「ミンストレル・ボーイ」など、ザ・バンドのからんだ「音楽スタイル」が大好きだったから、ディランも往年のぼくにとってずいぶん厄介だった。
 
そうそう、このあいだ久しぶりに「バケツ・オヴ・レイン」(『血の轍』の掉尾を飾る小さな曲)を聴いた。モグモグいうような不思議なリズムの歌詞の出来が、ストレンジで抜群だった。むかし片桐ユズルさんは「雨のバケツ」という世紀の誤訳をおかしてしまったが、ものすごく訳しにくい歌詞なのはたしかだろう。
 
レナード・コーエンでぼくがもっとも唄ったのは、ジャニス・ジョプリンとの交情を綴った「チェルシー・ホテル♯2」だろう。コーエンの歌詞はニールにもまして省略が多く、またディランにもまして喩的技法が鮮やかだが、この曲は「事実提示」の縦糸に詩的技法の横糸が織られていて、「たんに詩的な曲」とはいえない。そのぶん唄いやすかったのだ。弾き語りすると、歌詞の「とある一節」が自分にとってものすごく催涙性をもっていると気づく。聴いているひとは、たんにきれいなバラードと感覚するだけだろうが。
 
確認のため最後にしるしておくと、レナード・コーエンの遺作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』は冥府から届いた聖歌に接するように、ぞわぞわくるアルバムだ。最初の2曲のすごさは奇蹟的。マイケル・パーマーにもつうじる「減喩の神髄」、これはディランにもニールにも到達できない境地だとおもう。
 
息がしにくくて、平地をあるくだけで座り込みそうになっていた風邪は、今日から快方に向かいだしたようだ。息切れがややおさまってきた。新たに処方された吸入薬が効いているのかもしれない。インフルエンザではなかったので授業は強行したが、ほぼ5日寝込んでいて、じつは自分が死ぬのでないかとすらおそれていたのだ。今日から書評用の読書がすこしはかどりだしたが、集中力はまだ十全ではないな。
 
 

スポンサーサイト

2016年12月10日 日記 トラックバック(0) コメント(2)

ぼくは中学1、2年当時、日本では高田渡と、ニール・ヤングの影響がつよかった遠藤賢司が大好きだったが、ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』からの偏光にもどぎまぎしたのをおぼえている。はっぴいえんどをバックにした岡林信康の「愛する人へ」「私たちの望むものは」は『ブロンド・オン・ブロンド』のスロー化、抒情化として見事な達成だった。「おろかなるひとり言」「ともだち」でディラン『時代は変わる』の日本化を意識した吉田拓郎は、『元気です』の「春だったね」で『ブロンド・オン・ブロンド』の可憐化に成功しながら、歌詞の不思議を縮減かつ増強した。友部正人「君が欲しい」はまさにディランの『ブロンド・オン・ブロンド』「アイ・ウォント・ユー」を再フォーク化し、歌詞と暗喩を分離させなかった。初期の友部正人、驚きだったなあ。ラジオで最初に「一本道」を聴いたときも、衝撃によって全身硬直さえした。高田渡「火吹竹」でも同様の体験をしたけれど。ただし、相反感情に裂かれるようなラブソング、ディラン「女の如く」のような曲はなかなかなかった。あるいは演歌にすでにあったともいえるが

2016年12月10日 阿部嘉昭 URL 編集

あ、頭脳警察「さようなら世界夫人よ」が歌詞はヘッセだったけど、『ブロンド・オン・ブロンド』だった

2016年12月11日 阿部嘉昭 URL 編集












管理者にだけ公開する