雨たっぷり ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

雨たっぷりのページです。

雨たっぷり

 
 
【雨たっぷり】
 
ぼくは朗誦に接するのは苦手で、歌を聴くのならだいすきだ。ボブ・ディランは朗誦と歌唱の中間、その可能性を、自分の歌詞=詩のために発掘する才能でありつづけたから、畢竟、ディランに耳をかたむけることは、朗誦から歌を積分することになった。
 
詩=歌詞ではなく、歌に注意すると、ディランはキャリアのなかで不安定な進展をとげた。『フリー・ホイーリン』『時代は変わる』ではその渋い歌唱は存外ていねいで、連辞は精確にひびく。『ブリンギング・イット…』『追憶のハイウェイ61』では沸騰する詩想の凶暴さに歌唱ものぼりつめようとする。ロックをかんじた。『ブロンド・オン・ブロンド』ではそこに不穏な溶解が侵入、歌の像が、語義矛盾だが不安定なキュビズムになる。『地下室』では歌唱がぼろくなり、おもいがけなく悲哀化した。後年の歌唱ヒステリーをすこしだけにじませて。以後は、声をいじり、「復活」までディランの歌唱は力をうしなった。
 
「復活」期のディランは、歌唱が理想的に朗誦性とからみあって、多彩な表情をたたえる。あふれたり、ちぢんだり。『プラネット・ウェイヴ』『血の轍』『欲望』、それと低迷期のリターンマッチの役割も果たした『激しい雨』のこの時期こそが、ディランのピークだったのではないか。今朝は原稿準備で、ひさしぶりに『血の轍』全曲を聴きなおし、ものすごくうつくしいアルバムだと感銘した。リリース直後これを聴いた高校生時は、恋愛の機微が土地とどうからむのかなど幼すぎてわかりもしなかった。『血の轍』は齢をとらなきゃわからない。
 
どの訳詞をみても気に食わなかった最終曲「バケツ・オヴ・レイン」、その試訳をかかげておこう。
 

 
【バケツ・オヴ・レイン】
 
雨たっぷり
泪たっぷり
それらがぼくの耳穴からまんまんとあふれる
手にもたっぷりすぎる月光がかがやき
すべてこの愛をきみはうけとれる
ぼくもそれにたえられる
 
ぼくはずっと内気
樫のようにかたく閉ざしてきた
可憐なひとらが煙さながらきえるのもみた
ともだちはきたる ともだちは去りゆく
でも とどまってほしいときみがねがうなら
ぼくはずっとここにいるつもり
 
きみの笑みがすき
ほそいゆびさきも
きみのおしりのうごきだってすき
ぼくをみつめる熱のないまなざしも
きみの相反するあらわれすべてが
ぼくをみじめなおもいにさせるけど
 
ちいさな赤いワゴン
ちいさな赤いバイク
猿じゃないのだから自分のこのみはわかる
ちからづよく、でもゆるやかなきみのセックスがすき
きみをはるかへつれてゆく
イクときはいっしょなのだから
 
人の世はかなしい
人の世はからさわぎ
できることが しなければならないこと〔可能が当為〕
しなければならぬことなら うまくやるだけ
ぼくはきみのためにそうする
きみのきもちは?
 
 

スポンサーサイト

2016年12月18日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する