大辻隆弘・子規から相良宏まで ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

大辻隆弘・子規から相良宏までのページです。

大辻隆弘・子規から相良宏まで

 
 
【大辻隆弘『子規から相良宏まで』】
 
大辻隆弘さんから、新著『子規から相良宏まで』(青磁社刊)をご恵投いただく。アララギ歌人について、歌人ごと、論点ごとの七つの講演をまとめられたものだ。最初のご送付は、当方が東京へ長く離れ、またポストの口が狭いために受け取れなかったが、再度、ご送付いただき、たいへんに感謝恐縮している。さっそく拝読させていただいた。
 
大辻さんは講演の名手だ。資料の誠実な博捜を前提に、論点を端的にまとめあげる。近藤芳美への違和など個人的な嗜好も隠さない。同時に聴衆へ「つたえること」に過分といえるまでの配慮をする。結果、七つ収蔵されているこれら講演により、アララギの全貌が、読みすすめるうちゆたかに立体化していった。
 
大辻さんの着眼は、僭越をかえりみずつづれば、当方と似るところがある。たとえば斎藤茂吉の助辞についての繊細な解読。助辞が感情とニュアンスと容積と「時間」を拡大するというのは、現代詩にも共通するところで、よって大辻歌論は現代詩論と接合する。微視性があって、総体視が確立するのだ。
 
大阪を拠点にした中島栄一などは当方の記憶からきえていた。彼がアララギのなかでどんなに衝撃的な偏差をしるしたか、読んでいて戦慄が走った。もちろん大辻さんは基本的には落ち着きと敬虔をこのむ。言外をふくめ幾度か印象される、「詩作こそが詩作者の生を浄化する」という大辻さんの信念に胸を打たれた。
 
すべて圧巻といっていい講演集だが、最後の相良宏についての講演は、岡井隆さんから預かった、まだ公になっていない一次資料が駆使されていて、とりわけ驚愕にみちびくものだ。たんに理科系とおもわれていた相良の、苦渋にみちた青年期が浮き彫りにされるが、とりわけ相良の作歌ノートにおける歌の第一発想形が、完成形へとどう段階的に変貌していったかを大辻さんはこまかく論証してゆく。松下育男さんなら「詩想ふたつを一篇に同在させると詩は失敗する」というところ、相良は一種の奇蹟を演じた。「ふたつ」により、「ひとつ」を抽象性へとみちびいたのだ。合体と同時的な抹消。捨象と弁別のない移行。初形の絵札と終形の絵札の交錯。この「ありえない」推敲過程は、詩作にまで突破口をひらくものとして映った。
 
岡井さんの相良論などからこれまでなんとなくイメージしていたのは、相良宏の「天使的」明澄性。それは夭折の事実と相まって、相良をいまでいえば笹井宏之の祖型とおもわせるものだった。ところが大辻さんが語りながら彫り込んだ相良は、その才能が苦闘と不可分だという点で、みごとに生々しい。それも人生論レベルからではなく、作歌論レベルから生々しいのだ。大辻さん、相良宏の全集を編纂してくれないかなあ。
 
 

スポンサーサイト

2017年04月02日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する