形相論
【形相論】
ゆるしはすでにすべて
かたちにあらわれている
このまことをかんじるため
せまいいえでへびやむし
いぬなどにかこまれながら
あまたのかたちとくらすのだ
みごとに墨でえがかれた
蝉の軸のまうしろにもいて
わずらうひとなどなんの
あかしでもないのだと
おのれの固有をとろかすのだ
まなこにためらいがあれば
うすやみのほうがうきあがり
いえのなかもたのしくなる
敬虔とは真理への角度で
しんねんがたとえなくとも
こころがそのくらい僧帽もて
ふかいかげをおとすのなら
その日その日におもいあった
かたちがなかだちとなって
そうれいなごくらくまでもが
ひとのすぎゆきすぎさりに
にじみだすことがあった
ふれえないときの不作為も
とらえかえすとまたかたちで
いえのへびやむしやいぬと
とおくしずむひろさのへりを
ともにまわるとなげくのだから
のぞまなかったわかれにも
それじたいのさーくるがあり
この世の曲馬がにぎわって
そのおくゆきにたったひとつ
たましいがあればよいのだ
かたしろはなににうずいたか
かおやすがたになどではなくて
なした詩篇にみえがたく
かたちがながれたとおもう
それらを日時というのならば
けしてとどまった時刻ではなく
ゆうがたなどのふくみとして
かわりながらはるかな幅を
のみこみのみこまれたはずだ
ただねじれゆく布であって
けしてうりものではなく
よむひとの背後をひとしく
おとろえのようにすぎたのみだ