連詩大興行(4)
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(承前)
明道聡子さんと阿部嘉昭との「連詩」
(それはニコラス・レイの映画『孤独な場所で』と反響するように
最終的に『木霊する場所で』とタイトルされた)は
05年9月から06年2月までのメールでのやりとりによる
(添付文書をどんどん「加算」させてゆくやりかただった)。
前回言及した『詩のリレー①』が、
06年1~7月の「リレー」だから
部分的には制作時期が重複していたことにもなる。
まずは、作例をペーストしてしまおう。
やりとりは第9回と第10回。
またも論議上、詩行アタマに算用数字を付すことにする
(繰り返すが、全体を確認したければ「阿部嘉昭ファンサイト」へ)。
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(第9回:明道聡子)
1 我々は電車を乗り継いで逗子へ行き
2 「自慰マシーン」を見た
3 泡の白さとマグリットへのオマージュを
4 「欲望の指紋検査」
5 「おねがいさわって!」
6 そこにはシュヴァンクマイエルの指紋が強く残されていて
7 容器となった私は
8 冷たいものを入れられ
9 水平線に眼を移す
10 強ければいいというわけではない
11 我々は多くを求めず
12 我々はそれでも、それでもと
13 水平線と同化した樹と、ひとり
14 接吻をして
15 「リアリズムのコラージュ」で生きていた頃
16 穴八幡で待ち合せをした我々は
17 結局目白まで歩き
18 蛍光色の酒を飲み
19 トイレに行って、21時に別れた
20 どこにも繋がらない海だった
21 校舎に恋をしていたんだ
22 「彼女」は痩せすぎている
23 ただ、不可能を陳列し
24 食虫植物のように
25 甲虫を次から次へと蒐集し
26 消化しないまま吸収していく
27 しかし堂々とその醜態を身につけて
28 霖雨の中
29 誰も知らない狭い世界の
30 最後の樹に
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10《強ければいいというわけではない》は
その前の阿部の第8回中の引用詩句
(「アメイジング・グレイス」の2番から採った)
《かつて私は弱く いま私は勁い》からの変型引用。
28《霖雨の中》の「霖雨」は
連詩中、第6回、第7回でやりとりされていた言葉で
実際、この05年の秋は長雨が甚だしかった。
20《どこにも繋がらない海だった》は詩的起源が遡行する。
第7回の明道さんの詩句に《線路へと続く汚い女》があり、
それを受けた僕の第8回の詩句には
《「線路へと続く」泥棒/「埠頭へと続く」坑夫》の2行があった。
さて1《我々は電車を乗り継いで逗子へ行き》は
確実に彼女の「現実」から持ち出された詩行だろう。
この「我々」が具体的に誰かはいま不問にするが、
ある美術展を観覧した感慨が詩作の動機にあって、
それが7~9行、《容器となった私は
冷たいものを入れられ
水平線に眼を移す》の魅惑的修辞へと結実している。
女性的な受動性のイマージュ。
しかし「眼前」領域からの逼迫にたいし眼は遠見をしていて、
しかも最終的にはその視覚対象が
13行目の《水平線と同化した樹》と化合して
29~30《誰も知らない狭い世界の/最後の樹》へと定着する。
受け取る側の僕は美しさと同時に「愛の脆さ」も感じた。
その他、21《校舎に恋をしていたんだ》は
僕が明道さんとしていた話題、
立教生特有のグラデュエーション・ブルーに関わっているし、
22 《「彼女」は痩せすぎている》の「彼女」も
僕の誤解でなければ、僕と明道さんの共通の知人を指している。
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明道さんは聯で現実修辞と詩的修辞を明瞭に分けることをしない。
結果、逗子での美術展と
穴八幡(早稲田文キャン近くにある神社)での逢瀬の体験、
この二つすら溶融的に詩篇内で並立してしまう。
ともあれ、この詩篇の眼目のひとつは
女子には使用困難な詩句2《「自慰マシーン」》を敢えてブチまけ、
受け手の僕を挑発してみることだったろう。
そのなかに彼女は備忘録をつくるように
恋人との「現実」をも組み入れていたのだった。
対する僕はどんな「受け」をしたか――
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(第10回:阿部嘉昭)
31 すべてを捨象して疲労そのもののように
32 ゆるやかになることができるか
33 錨が下りて緩やかになる海のように
34 潮の干満で自らを永遠に撫でることができるか
35 世界の、複数の自慰マシーンから
36 音楽すら流れてくるが
37 その自体性には王権の乱立をみてしまう
38 慰撫の唄 慰藉の息
39 あらゆるものを言葉にしようとして
40 角砂糖を噛んだのちに喋った少年期
41 いま暗闇に沈めば
42 口から気味悪い星光が漏れている
43 胃が問題なのか 胴が問題なのか
44 それとも天と地とを介在させる、
45 人の「架橋性」がすべて腐敗しているのか
46 《紫木蓮まで》《白木蓮まで》
47 暮れのこって まだ
48 誰も知らない明るみにある
49 最後の樹に辿りつくため
50 その歩調も夢みた
51 音楽の講義は苦手
52 対象を分析するうち自らの言葉を失う
53 「言葉未然」と「言葉以後」に挟撃されて
54 それが「私の」神聖を暗鬱の底へと追いやった
55 罰当たりめ
56 私は「数年前から」いないよ
57 われらの指紋=足跡はのこすな
58 手音=足音は響くにまかせてよいだろう
59 そのように草稿を書き
60 そのように校舎へ赴く
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35《世界の、複数の自慰マシーンから》。
明道2《「自慰マシーン」》は複数化され、世界大に飛躍する。
その35~37行には明らかに福間健二の詩の口調が模されている。
ただしその前、31~34行では、自慰にともなう「撫でる」の動作が
波動の繰り返しへとすでに転轍されていて、
38《慰撫の唄 慰藉の息》では呼吸の反復にも付け替えられる。
連句を意識した「見立て替え」の「受け」だ。
その「息」から39~40《あらゆるものを言葉にしようとして/
角砂糖を噛んだのちに喋った少年期》で
コクトー風のナルシスティックな述懐にまず転回し、
それが41~45行では或る無惨さへと破産してゆく。
自画自賛になるが(笑)、詩的イマージュの展開スピードが
すごくうまく機能しているとおもう。
明道さんの詩句を繰り込みながら(あるいは繰り込むことで)
「私の現実」にかえって魔法がかけられる恰好といえばいいか。
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明道さんが示した「遠見の視覚対象」《最後の樹》についての対応が
僕の46~50行の内容だ。
46 《《紫木蓮まで》《白木蓮まで》》は、
当然、阿木津英『紫木蓮まで・風舌』中の名吟、
《いにしえの王[おおきみ]のごと前髪を吹かれて歩む紫木蓮まで》
からの引用。
この一首の歌想を汲み、僕は視覚対象ではなく、
その視覚対象に近づく仕種のほうが大切だと見立て返している。
それが、50《その歩調も夢みた》。
ただ、51行以下は、現実の僕が近づくのは講義をする教室で、
そこではどこかで自己実現が不能な幽霊として僕自身が
学生に対峙している、という痛覚が滲みはじめている。
57~58《われらの指紋=足跡はのこすな
手音=足音は響くにまかせてよいだろう》はまさにこのとき
早稲田の二文のJポップ講義で扱っていた、
柏のインディバンドKamome Kamomeの歌詞の変型引用でもある。
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ということで、この僕の「返し」の詩篇にも
僕の「現実」が複雑に/溶融的に「交響」していることになる。
明道さんの「人事」に、僕の同時期の「人事」が対比され、
しかもそれは「木霊」はしているが共有はされていない。
こうして――世界大の「不如意」が
ある抒情的感慨のうちに前面化してくることにもなるが、
これこそがメールのやりとりで連詩を作る営為に直結している。
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なぜ、このように個々人の「人事」が混入してくるのかといえば、
もともと「自分の現実を織り込もう」という約束があった以上に
相互の詩篇の長さを30行にしようという縛りがあったためだ。
30行の詩作は人によっては長丁場で
(久谷雉などは30行なんて書けない!と喚いていた-笑)、
そこに純粋詩想の詩行と、自分に体験に基づく詩行が混在すると
各行の運びがそれ自体で連句的な見立て替えの反転をも呼び込む。
そう、このようにして、詩篇に内在的に連句性が保証される一方で
やりとり自体も当然に連句性に向けて炸裂する
――これが明道-僕の作例のポイントだ(拙いが)。
それは相手の詩篇総体をひっくり返すというよりも、
相手の「部分」、象嵌されている詩句の見立て替えを動機とし、
その見立て替えを孕みながら、
相手の詩篇自体は素直に
「受ける」「継ぐ」という感覚に近いともおもう。
僕の例でいえばこのとき自分の詩篇の中心にあったのが
明道さんの詩句《自慰マシーン》と《最後の樹》で、
これが自発性ではなく他律性から出来したものだから嬉しいのだ。
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今度の僕らの連詩の第一回会合(7/7)では
詩句に自らの「現実」を組み入れ俗塵の広がりを出す、
という約束事はすぐに了承されたが、
明道-阿部の作例を踏襲して、
各篇を、行アキをカウントせず30行にするか否かで動議を諮った。
僕はもっと長くてもいい、とおもったのだが、
森川雅美さんが、「やっぱり30行がいいよ。
20行だと詩篇が凝縮的に結晶化してしまうし、
40行だと詩篇内部の詩行同士の連絡が行き渡りすぎる。
30行こそが詩性の現出に「不足」をしいられる行数で
この「不足」がないと、連詩の「受け」「渡し」のやりとりが
成立しないのではないか」と意見をいい、
やはり30行で、ということになった。
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この会合での最大の論点は
連句でいう発句(挨拶句)をつくる第一篇制作者を誰にするか、
ということだった。
森川案では、安定力からいって小池昌代さん。
ところが小池さんが固辞をつづける。
森川「じゃ、杉本さんかなあ」。小池「そう、それしかないよ」。
無責任なお姉さんだ(笑)。
で、杉本真維子は小池さんの選詩欄での評価によって
詩的キャリアを開始した人だから
当然、小池さんにはビビりまくっている(笑)。
いっぽう小池お姉さんは、このときもニコニコ顔だったが
そのニコニコ顔で人を殺す名人芸(笑)をみなが知っている。
結果、第一篇制作者は杉本真維子さんに落ち着いてしまった。
ご愁傷さま(笑)。
杉本さんが最初だと、その詩風からいって
「凝縮」「刈り込み」を、
以後みなが競演することになるかもしれない。
一方小池さんなら晴朗で明晰な詩行の運びを実現しようと
みなが躍起になっただろう。
「発句」はそれほど「座」の全体性に影響をあたえる。
だから芭蕉も神経質になったし、
小池さんも杉本さんのお手並み拝見、となったのだ。
「小池調」が全員に蔓延することはひとつの愉しみだった。
今回はそれが以上のような流れで難しいかもしれない。
だがそれはまた「次回のお愉しみ」にすればいいだけのことだ。
ということで、僕らの連句の方法、理解されただろうか。
いやあ、長い連載になってしまった(笑)。反省してます。
(この項、終わり)