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麻綿原 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

麻綿原のページです。

麻綿原

 
麻綿原といふはしづかな炎熱に万の紫陽花顕はす魔の山



段丘にあまた紫陽花並びゐて揺れひとつなし蜜も感じず



紫陽花は泛く球なればその万を白く眺めて浄土の心地す



多く死域の湿地にありて紫陽花は毒葉繞らせ己れ泛ばす



紫陽花と山蛭の縁ちかきかな紫陽花に血なくて蛭は人待つ



紫陽花にむしろ嬰児も音楽もなければ虚ろの大群とすべき



よろづなす白紫陽花が陽を享けて恐鳴のごと色泛べそむ





昨日は早朝から家を出て
外房線・安房天津駅まで一挙に行った。
麻綿原(まめんはら)という紫陽花の名所に行くためだ。
南房総といっても高原で実は東京より気温が低く、
紫陽花の時季は数週間遅れる。
サイトでは来週末が見ごろだとしるされていたが
来週は女房が多忙なので、
昨日紫陽花見物を決行したのだった。

安房天津駅からのバス便が一時間半待ちだったので
最初の目的地の清澄寺にはタクシーで向かった。
日蓮上人が立教に到ったという古刹で
左甚五郎の牛の一刀彫があるなど由緒がある。
花の寺としても知られているらしく
咲き終わった躑躅が境内周囲の山腹に数々見えた。

そこからハイキングコースへ入り、
一時間以上の徒歩で麻綿原に辿りつける。
この季節は山蛭注意の案内が数多くある。
ひとの靴あたりに上ったり落ちたりして
あの小さな蛞蝓状の下等動物がやがて
足首あたりから血を吸いだす。
躯は血を満喫して数倍に膨れあがり
球形にまで近くなる。
吸血中は振り落とそうとしてもはがせない。
――というのはアフリカ蛭の生態らしく
僕も実際吸われたけど、すぐにはがせた。

麻綿原に辿りつくと眼を疑う。
山腹というか段丘というか
ともあれ斜面に紫陽花が異様な数の多さで
咲き誇っているのだった。
咲き誇っていると書いたが
時節がやはり一週早いらしく
ほとんどの紫陽花が球形であってもまだ白い。

紫陽花の花色を決定するのは土質だそうだ。
酸性なら赤系、アルカリ性なら青系になる。
最近は目覚しく派手で深い
藍の品種が目立つようにもなった。
麻綿原の紫陽花は「日本アジサイ」。
そこに額紫陽花が可憐に混ざる。

紫陽花は中国渡来だが、江戸時代、例のごとくの
日本人の交配趣味と結合し、
世界の紫陽花品種の八割くらいが日本にある
と聞いたことがある。

紫陽花は花型をなした最初が
野菜のように淡い緑色をしている。
それからそれがより肥った白球になり、
やがて赤系や青系へと色づきはじめる。
しかも一種で白→淡青→濃青→紫→赤→薄紅→黄→枯れ茶、
と色彩の旅をするものも多い。
まさしく吉岡実の詩句のように
《アジサイは音楽のように色が変わる》のだ。

ところが前言したように麻綿原の現在の紫陽花は
まだ一面白一色というにちかく
清冽というより冥府的な冷気が漂ってくる。
山蛭の気配も手伝って、怖いくらいだ。
高原に似つかわしくない炎熱のなかにあってもそうだった。
地元のひとに聞くと
「今日のような陽光があともう一日あれば
紫陽花は全体が一挙に色づく」そうだ。

昨日の日記で、この紫陽花群を原生と書いたが、
実は清澄寺の奥津城に属するこの高地に瀟洒な寺があって
この寺の上人が戦後、紫陽花の植栽をなして
今日の二十万株の紫陽花の
大幻想庭園にいたったのだという。
丘の中腹に紫陽花の球が隙間なく浮ぶ光景には
確かに悟達後の浄土的なものもあるだろうが、
半面でそれは人界から一切隔絶した
地獄の相とも受け取れた。揺れない。

紫陽花の群落が斜面に続く見晴らしスポットへの道を
暑さにあえぎ、大汗をかきつつ上り、
眺望を味わったあとまた細道を女房と下っていって
「アッ」と声を出した。
たったそれだけの短時間(10分くらい)に
上りでは白かった紫陽花が
淡青へと色づきはじめていたのだった。
それも数万株の単位で。
だから吉岡実の詩句も嘘ではないのだが、
そこにやはり音楽的至福よりも恐怖を感じてしまった。
自然の気配というのは霊的というか磁気的なのだった。
これは人の躯の芯を病ませる。
この見聞は一生、自分の体感に蘇るのではないか。



紫陽花の気味悪い共生を満身に染ませたあと
二時間半かけて安房小湊駅まで
舗装林道を女房と下りていった。
クルマとも人ともほとんど行き交わない。
紫陽花はところどころで群生をなし
(このことは往きの電車の窓からも気づいていた
――南房総は紫陽花の地だ――
紫陽花は日当たりの悪い湿地で多く北に向けて咲く)、
途中の人家でも紫陽花が丹精こめて咲かせられていた。

標高が下がるほど紫陽花も多彩に色づいている。
円い紫陽花が密集し、
なおかつ株全体が円く大きくしつらえられた
球形幻想みたいな
見事な紫陽花栽培も幾例かみうけられた。

安房小湊駅に着くと冷たい海霧が
視界を塞ぐように流れている。
高原が陽光燦々の炎熱だったのと対照的。
その駅前の魚料理屋で
ビールと鰹刺身と魚定食という
晩い昼食を女房と摂った。これが猛烈に旨かった。



僕が好きな紫陽花吟をふたつ。

《昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる》
(葛原妙子『原牛』)

《あぢさゐのあめのまどひの稚なくてさぶしき退転をかさねたるかな》
(岡井隆『歳月の贈物』)





最後にこないだ田中宏輔さんの日記に書きこんだ歌もひとつ。


脇腹に小さき帆船痕ありて海坂くらむ夏のおもひで
 

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2008年07月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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