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ゼノンたち ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

ゼノンたちのページです。

ゼノンたち

 
 
【ゼノンたち】
 
 
この世にあまたある血のいろの蒲柳は
わたしらののぞみがゆらしている
線をよわくするためのみちびきだが
まるで手まねきにおもえてしまい
じしんがていもなくまねかれてゆく
いつだつとは橋をえらびあやまること
かわもそのものをわたるしくじりもあり
からだひとつがくうき渦とかわって
みずゆくあるきがただ尾をひいてゆく
このときにものさびしい文字をつづった
うごきまるごとなにかの運筆をして
身は数語ほどの幅でのこりながら
おちてきた天へのかえしをおこない
足下のみずが蒲柳のようにゆれた
いつかみなのこいねがった詩だったが
そういうものがつづかない日もある
エレア派のすえとしていうのだが
さきゆきにこそあるべきものがもう
こころにうすくみちているこのことが
みずわたるあるきでのひけつだと
とおつおやはそのかみにうそぶいた
かたあしのおちるまえにもうひとつを
くりかえしうすいもののうえへのせ
おちるのをさけてゆく逃げ口上が
ときやへただりをことこまかにわけ
そこにアキレスや矢のまぼろしをよぶ
もののゆきかいのきれいなさまは
かんがえのうちの交易をいろどって
よくぼうは何ひとつつかもうとしない
だがほんのすこしの塩のゆきわたる
汽水のおおきひろがりがせかいだ
だれであろうともだれかにすぎない
血の背理をしらぬものらのかなしさが
ふくろのようにふくれあがった足を
やがてむすばれる虹にすべらせて
きょくげいがひどい勲功におとされる
いえぬちをあるくおんなたちならば
ものしずかにゆきかうだけだろう
あたまのつかいかたがからだのそれに
伴奏されていないおとのなかでは
エレア派の定規すらもののながさから
じたいを測られるさかしまにくもる
わたしらの自体はおさまりをしらない
たとえばみぎうでだけのびてしまい
それを棒のようにふたつの腿ではさんで
きてれつなすがたで居ねむりつづけ
ひととみられないゆうべがはずかしい
それでものびきったそのみぎうでが
ひとをまもるてだすけとなったときは
あたえられたもののふくみをかんがえる
ひとみをしいられたエレア派のさきに
ひととしてあざとい血のいろをした
ひよわくもろい蒲柳がゆれていて
なにゆえ病むか問いかけもはじまる
 
 

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2017年10月20日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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