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金砂 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

金砂のページです。

金砂

 
 
【金砂】
 
 
きのぼりをしているのはわたしの眼だ
いちやはげしいあめかぜであれはてると
ぬれがきいろいじゅうたんをおおって
ちりしくということがいちょうのもとで
すぎさり対いまのおそろしさをおびた
けれどもこのまなざしはえだを這い
のこり葉のすくなさをふとすずしがって
とうとつにかたちのあらわれるさまを
とどのつまりせかいがはだかでなる
おとのようなものだ爾余たっぷりだと
くずれながれた蜜までも飲みほした
あいしつくすのならからだとからだは
ぶつからずにむしろくずれをふくみあう
もののさきがあるとする写生の極意も
あいてをえがきだすおのが全身によって
そのまなかにみちたりた緩衝をつくり
やがておもりあうさわりがきのうの
あめにもましてすじをたくわえてゆく
ちりはてたいちょうさながらひとを
一本、二本とほんすうでかぞえて
木をかくす森のそこここへあるきさぐり
つかれをながさにおきかえてゆくのだ
わたしらはひよわだからこすれていると
ふゆまえにしてゆきのあえぎがもれる
たましいに似たものを天秤へかけて
つりあいをなす体位のやわらかさから
うごきがはなれられないぜつぼうもある
まなこにきのうまであったあざやかな黄も
こがれてあいてをみやるうちうしなわれ
線がはりがねめいてからむ巣とかわる
さしいれるがひきだすへとつよさをえて
はらわたをはだ以上にもつれさせては
かんがえなしのきよらかさでころしあう
木々にとどまっていたのはてのひらだった
みずからによりよわくなるかぜをつかみ
ゆうがたの濃さをささえていたものだ
きえることのすきなわたしらもそれにならい
てのひらからであいをはじめようとしたが
五感がきのぼりするのをとめようもなく
ふゆまえにおこるけだるい揮発のひとときが
かみのけの倍数ではかれないながさへまぎれた
わたしらのいだきあいが幹にもなっていた
いちょうのゆがんだすがたがまぼろしだから
捷路のきえてゆくほんとうのひろがりには
いろではなくおとこそしみてゆくのだし
眼をとじればおのずと耳もこめかみに立つ
おのれをきこうとさみしいおとをもらす
わたしらといちょうのどちらが楽器なのか
いずれにせよ根ゆきがおおいつくすから
きたのおちばのたかれゆくすべはなく
あれもこぼれた金砂だとながくなげかう
 
 

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2017年10月31日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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