賀状原稿
一月ももう中旬にはいり、賀状のやりとりもないとおもうので、本年の賀状原稿を公開。例のごとく、屏風型の夫婦付け合いで、詠者のしめしは名前の最初の文字からとっている。
をみな添ふ白身づくしのふゆの鮨 嘉
海聴きし日もうすくとほくに 律
東風吹くやえのころ二匹肝ふたつ 律
鼻うごめかし李下にて不精す 嘉
発句は愛人女性=「女(をみな)」を率い、馴染みの店で鮨をつまむ色男を洒落こんでひきだした。「白身」が「をみな」に映り、その色白をただよわす。すなわち鰈や鯛などだけの示唆ではない。ただし「白身づくし」には数にかぎりがある。それだけしか喰わないのであれば、老齢により、男がすでに健啖でなくなったさみしさまでにおわす。
脇は、そういう男が青春回顧のきもちをもつだろうと混ぜかえす。海は鮨の縁語めくが、男の暮らしが海辺から町へ移ったことをふくむかもしれない。ただしこの脇句、連携から外し、それじたいをとりだすと、大正少女的な感慨がただよってくる。そのズレが付の眼目。
第三句はその海(うみべ)の季節を、発句の「ふゆ」から東風(こち)吹く春へと見立て替えた。この形式による付け合いを賀状にしるすのなら、賀状の条件からいって季節を冬から春へとすすめるのが道理だろう。戌年にちなみ、その浜に「えのころ」(江戸期までの犬の古語、やがて「いぬころ」に転訛した)を配した。犬が二匹いれば肝もふたつあるという「いわずもがな」がふてぶてしく差しだされるのが俳味。音調からいって肝は「きも」ではなく「くわん」と訓ませたい。むろん犬の「なかみ」をかんがえるのは、亀がそうであるようにグロテスクでもある。ただし犬は寄り添っていると捉えられよう。それで夫婦和合への転轍が窺え、発句の色欲が叱正される。
春は三句つながりという要請を受け、第四句はその犬たちの春のようすをべつの場所へ飛ばす。李(スモモ)の咲き乱れる畑。そこであるじへの熱誠ではなく、本性怠惰な犬が李花の芳香に鼻をうごめかすのみで、不精を決めこんでいると見立て替える。詠者の力まない性格が出ている。むろん「李下」の斡旋には、李の実を盗んだとうたがわれぬよう頭上の冠をうごかさないという故事「李下に冠を正さず」が反響している。短歌は第五句が八音で終わるのを嫌い、それに倣えば「李下に不精す」のほうが音韻として良いのだが、印刷屋が七七(短句)を二字下にしやすいよう、文字数から「李下にて」が選択された。それで第三句の江戸調にたいする漢文読み下し調が強化された。八音破調の瑕はのこったかもしれない。
――以上、なくもがなの註記でした。