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娘の結婚 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

娘の結婚のページです。

娘の結婚

 
 
【娘の結婚】
 
1月8日、テレビ東京系で放映された2時間ドラマ『娘の結婚』が信じられないくらい傑作だった。娘が9歳のときに連れ合いを亡くし、以後、男手ひとつで娘が25歳になるまで手塩にかけてきた父親。そこに娘の結婚の話題がもちあがる。父親は中井貴一、几帳面で家事に長け、ダンディズムももつ百貨店人事部勤務の、いわば理想形。娘は波瑠、出版社勤務だが、才媛というよりもショートヘアもあって、あどけない中学生の表情をする。ふたりの住む古風な日本家屋のなかではトレーナーやソフトジーンズ姿の下半身が自由でのびやかで、その自然なエロチシズムを一挙手一投足から感知できる。波瑠が久方ぶりに役柄に嵌まり、中井貴一ともども代表作といえるドラマとなった。
 
中井貴一という小津安二郎の匂いのする俳優が起用され、日本家屋が主舞台で、やもめの父親が娘を婚家先に送り出す――そう、設定はとりわけ小津『晩春』に似て、しかも小津の小道具「水枕」などがふと顔を出す(小津『東京物語』の冒頭を参照)。ところが成瀬巳喜男的な空間の切りかたを撮影は連打して、たとえば二間つづきの畳敷きの居間を全景でとらえつつ、廊下から縁先へ遠望する縦構図に、その構図そのもので感動にいたらせたりする。
 
びっくりしたのは、年末の時節、中井が要らない溜まりものの「断捨離」を手前でしていて(このとき彼の記憶になかった奇妙な手紙がみつかっている)、遅く起きだした波瑠が中井十八番のハヤシライスを所望、それを食べるうち「レシピを教えて」といって、いよいよ家を出て結婚に踏み切る覚悟があると中井に確信させ、それとなく波瑠に問うと、波瑠がなにもこたえず近寄ってきて結局はふたりで、波瑠が小学校のとき紙コップでつくった糸電話で遊んでしまう場面。中井はだれかと話す娘のケータイ電話の「よそゆきの声」、あるいは娘がこっそりと物干し竿にかけている臙脂色の「勝負下着」から娘に恋人ができたことを確信していた前段があったから、波瑠の画面奥行きからの接近は複雑な意味をはらみうるはずなのに、それが「ただの運動」「運動そのものの運動」としてしか発露しない清潔さに、ほとんど泣きそうになってしまった。
 
水橋文美枝の脚本は一点の無駄もない。小道具の配剤も「食」を基軸にして見事。ハヤシライスは前言したが、中井が手ずから漬けるぬか漬け、おおみそか中井が用意している几帳面で和風のおせちのお重、つくろうとして波瑠が風邪で高熱だったために実現しなかった年越しそば(波瑠の熱をはかろうと中井がその額に手を置くときのなつかしさとエロチシズムの揺曳=波瑠の表情の「子供帰り」)、風邪看病のための土鍋の白がゆ、アイスクリーム、さらには往年の「元カノ」原田美枝子と中井が共にする中華風の辛味しゃぶしゃぶ鍋など、食が連打される。そのなかで中井が自分用と娘用の弁当のためスーパーで買う二切れの鮭パックに最後、強烈な印象があたえられる。中井がいつもどおり二切れ入りを買おうとして、もう娘が結婚してそばにはいないことに気づき、おのれの錯誤が寂寥と分離不能と気づき、かみ殺すように男泣きするシーンがあるためだ(それまで間接的に、娘・波瑠と相手の満島真之介の結婚式は『晩春』どうよう抑制的に語られていて、中井は娘の結婚にウルウルはきたが泣かなかったと典雅な口調ながら豪語していたのだった)。
 
見合い結婚ではなく恋愛結婚の現代にむけた『晩春』。中井にとって娘から切り出された満島は旧知だった。いま住む古風な日本家屋のまえ中井一家には妻・奥貫薫も生存していて、集合住宅に住んでいたのだが、その隣人夫婦の息子(自分の娘より二歳上)が満島だった。印刷会社勤務の彼とは仕事のつながりで偶然再会したという。中井の憂慮は、結婚相手としての満島ではなく、満島の母(波瑠にとってのやがての姑となる)キムラ緑子だった。トラブルメイカーの風聞がまつわり、集合住宅のとあるママ友がキムラによって自殺に追い込まれたという醜聞さえあったのだった。それを質しに中井が松島の実家を訪れると応対したのは父・光石研。その真率なことばから、中井の一家と光石の一家が往年ほんとうに打ち解けあった温かい仲だったという記憶が蘇る。キムラ不在のまま光石の家を辞去した中井を、寸時のタイミングのズレで帰宅したキムラが走って追いかけてくる。そのキムラの疾走そのもの(これも縦構図)が先の波瑠同様すばらしい(仕種の良さでは満島が結婚許可を中井にもらうための、座布団を外しての正座しなおしも見事だったが)。
 
波瑠・満島の結婚式の詳細をズレつきでエンドロールやその直前に写真のみで散らす語りの抑制もニクいが(段田安則がそこでいい味を出す)、作品の中心時制を、年末から大みそかの時期にさだめた選択も抜群だった。波瑠が年末進行の多忙期にあたるのをいいことに、相手の母親のトラブルメイカーの風聞にゆれる中井は、なかなか相手に会おうとしない。そこに師走の空気がゆれている。それが大みそかの夜、波瑠が風邪で高熱を出し、病床を居間にしつらえなおしたことで、「年度」どころかそれまでのふたりの記憶が引き締まってくる。とはいえ、波瑠が提案して語りだしたふたりの話柄は他愛ないものばかり。それがかえって泣かせる。TVなどつけられていないふたりの遠景から「火の用心」の拍子木、やがては除夜の鐘がちいさくひびく。魚喃キリコなら「大みそかに風邪をひく」とドラマが名づけられたかもしれない。
 
前田英樹がかつて小津映画にしるしたのは、ひとがそこですごした空間には、物質的な記憶が重畳的にやどるということだった(それを保坂和志が『カンバセイション・ピース』で増幅させた)。このドラマにはそうしたものが各所であふれているのだが、小津は『晩春』の終景でそれを原節子のいた二階の部屋の夜の鏡としてくらく結晶化させた。ところがこの『娘の結婚』は、それを各シーンに「散乱」させることで、真の――無意識の結晶としたのだった。映画的叡智をさらに叡智をもって継承するこれほどのドラマにはそうそうお目にかかれるものではない。
 
それにしても、強圧がなく、受け身から新鮮な気配を発する波瑠の演技力が特筆される。ものすごく現代的なルックスであり、同時に古風でもあるルックス。たとえば往年の司葉子がなそうとしてなせなかった存在感がそこにあるのではないか。あるいはヘンな言い方だが、波瑠は中井貴一よりも佐田啓二に似ていた。
 
 

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2018年01月18日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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