嵩文彦+草森紳一
札幌在住、嵩〔だけ〕文彦さんから、信じられないプレゼントをいただいた。往年の嵩さんの詩画集『明日の王』(一九八二、NDA画廊、片山健版画)に、草森紳一が解説を付したかたちの新刊『「明日の王」詩と詩論』(未知谷)が送られてきたのだった。嵩『明日の王』だけでも古書サイトに出れば数十万円もするだろう稀覯本なのに、それに草森さんの詳細な解説文がカプリングされているとは。メルヴィル「バートルビー」にアガンベンの解説が寄り添っている本のようだ。
故・草森紳一のその原稿は、厖大にのこされた蔵書と遺品整理のなかで、長年のパートナーだった東海晴美さんがみつけた。草森さんは嵩さんとは帯広柏葉高校の同窓、そのよしみで、個人プレゼントのつもりもあったのか、とりあえずは発表の当てなく詩集評をつづったものらしい(この未定稿の執筆時期は九〇年代前半とみられる)。原著のすくなさ瀟洒さにたいし、例のごとく草森さんが厖大なことばをついやしている。
この「まぼろしの原稿」発見のニュースは北海道新聞にも掲載され話題となった。草森さんの詩論といえば、往年の「現代詩手帖」に掲載され未刊行状態がつづき、死後にようやく刊行された『李賀 垂翅の客』があるが、現代詩への言及としては、部分的に長谷川龍生を論じながら虎の書誌をつくりあげた『だが、虎は見える』くらいが存在しているだけだった。もっとも博覧強記の草森さんの書きものにはいつも詩性が底流しているし、だからこそ高校時代のクラスメイト嵩さんとの交流も不意に勃発したのだろう。
もともと嵩さんの詩業については東京にいた時分から古本屋でぽつぽつ拾っていた。長ったらしい詩集タイトルと、詩集のうつくしいつくり(片山健装丁のものもあった)に惹かれ、手に取ったのが癖となったとおぼしいが、郷愁とエロチシズムと奇妙さのにじむその詩作そのものにもとうぜん惹かれていた。ぼくが道新で連載しているサブカルコラムのビートルズ武道館コンサート五〇周年記念の記事に草森さんの名をこっそり潜ませたのが機縁にもなったのだろう、嵩さんは金石稔さん、細田傳造さんなどとの飲み会に参加された。ぼくの草森紳一好きはある方面には有名だろうが、「草森とは同級生だった」と、老人不良のなかにあってひとり紳士然とした嵩さんにいわれてびっくりした。ふたつの尊敬する名前がつながった瞬間だった(たぶん嵩さんの名前は厖大な草森著作のどこかにあったはずだが、迂闊なぼくは記憶にのこせないでいたのだ)。
嵩さんは、現在、北海道の同人による「「奥の細道」別冊」で大活躍中だ。復活した詩作のほか、ずっと傾注している、断絶を提示する綺想俳句でも創造が旺盛だ。それに丁寧な考証をかさねた文学エッセイがさらに割り込む。老年の理想的な三位一体。医療の場を退いて優雅な閑暇ができているのだろう。その嵩さん、ものすごい刊行頻度の「「奥の細道」別冊」だけでは発表の場がなくなったのだろう、同様の三種をおさめる個人誌「麓 ROKU」の刊行にも踏み切られた。ついさきごろのことだ。慶賀(札幌在住詩人といえば、岩木誠一郎さんも、さきごろ日常に題をとった静謐で敬虔な名詩集『余白の夜』を思潮社から出された)。
今日はレポート採点のため研究室へ出勤。合間に、嵩さんからのプレゼント、『「明日の王」詩と詩論』を読む。
2018年02月04日 阿部嘉昭 URL 編集
本の全体を読み終えた。草森紳一の所論はやはり草森節で、「父」をめぐる古今の知見を渉猟し、ときに曲解が爆走する。ところが執筆の底にある「意識」のながれが幻惑的かつ人間的で、ああ、このひとはやはり凄玉だとうれしくなる。文中に交錯する嵩さんとの実際の交友のようすにも眼がうるんだ。本の終わりは嵩さんの長い解説文が締めくくる。これも達文。草森さんとのこと、自分の家族的履歴、詩業経緯などが融通無碍につづられ、しかも草森さんの曲解をも正直に指摘する。草森さんの文章になぜか片山健の名が欠落している点もひとつのミステリーだったが、嵩さんはそれにも整理をつけていた。2018年02月05日 阿部嘉昭 URL 編集
トータルの感想をいうと、草森さんの「詩眼」がかがやいている箇所は数多いが、復刻された嵩さんの『明日の王』収録の全10篇が圧倒的にすばらしかった。現在は他に入手経路がないので、本書でぜひ2018年02月05日 阿部嘉昭 URL 編集