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和田秀樹・私は絶対許さない ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

和田秀樹・私は絶対許さないのページです。

和田秀樹・私は絶対許さない

 
 
【和田秀樹監督『私は絶対許さない』】
 
和田秀樹監督『私は絶対許さない』は、観る者を掴んで離さない夢魔的な力をもっている。十五歳の元旦、雪国の田舎の五人の青年たちに残酷きわまりない執拗さで拉致レイプされた女子中学生が、レイプの事実を見て見ぬままに親や学友から穢れ者として疎んじられ、地元ヤクザとの援助交際ののち、それで貯めたカネを元手に東京の大学へ進学、整形手術を施して美女へ昇格し、一見紳士然としたエリートに囲われるようになりながらやがて転落、鬱病肥満化に陥るが、一念発起してシェイプアップののち離婚して看護師兼SM嬢に再浮上するという――波瀾万丈「すぎる」女の性的一代記だった。振幅が類型的ともみえるが、原作は自伝、つまりこの「過剰」は「実話」に基づいているという。それに見合って撮影設計も異常だ。ヒロインの主観(POV)を模した手持ちショットのほとんどがフィルターをかけられてボカされ、はげしくうごき、視覚上、過激な混乱をやみくもに継続させる。POVの中心化という意味では、ロバート・モンゴメリーのフィルムノワール『湖中の女』のように狂的だが、ときたまヒロインが幽体離脱位置に可視化され、性的放埓に陥る自身を客観的に見下ろす設定も間歇挿入される。こうした撮影方法の変転に、賢明なリズム化=情動化まで実現されているのだ。カメラが人物の主体位置から俳優自身の部位を見る自己再帰ショットは魚喃キリコがマンガで大成したものだが、この映画ではその悲哀を、露悪もつけくわえて継承している。それでも五人の男の名を連祷呪詞のように繰り返すナレーションの「呪い」などによって、画面のすべてに共感ポイントを見いだせない。エドワード・ヤン中期のような非親密性の徹底といえる。そう、人物のだれにも共振できないおそるべき空疎へと抛りこまれるのだ。それでも催眠術に罹ったように進展に魅入られてゆくのだから、ある巨匠の名を想起せざるをえない――石井輝男。映画を観ることと熱に浮かされることが等価となる限定域がこのようにあるのだ。むろん精神分析の名のもとに、還元主義的にトラウマの魔力を口外したくてうずうずしているこの映画を、好きといったらたちまち変態あつかいされてしまうだろう。それでもいろいろな方法で撮影にかけらける「強圧」、その効力の吟味のため、映画ファンはこの映画を、細部の悪趣味まですべて鳥肌をたてて検証しなければならない。撮影は高間賢治。黒沢久子の脚本も白眉なのではないか。中高時代のヒロインを西川可奈子、長じて整形手術後美人化した姿を平塚千瑛が演じているが、一役二人という「分岐」そのものも「映画の狂気」=「高橋洋的な魔」に膚接しているとわかる。ことばの正しい意味でアングラ=ビザールだが、カメオ出演的な登用もふくめ脇役は豪華だった。列記すれば、佐野史郎、隆大介、美保純、友川カズキ、白川和子、吉澤健、三上寛、川瀬陽太、東てる美、児島美ゆき、南美希子など。4月7日よりテアトル新宿ほかで公開される。
 
 

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2018年03月03日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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