近況
本日3月11日(日曜)の朝日新聞・読書欄の「売れてる本」コーナーに、ぼくの書いた眉村卓『妻に捧げた1778話』(新潮選書)の評が載っています。2004年初版の本ですが、さきごろ「アメトーーク!」でカズレーサーが「15年ぶりに泣けた」と絶賛して、ふたたび売れはじめました。末期がんで余命一年余と宣告された妻にじかに読ませるため、日課的にショートショートを書く著名SF作家。作家は五年ちかく経って、とうとうその妻を見とる。こう書くと「涙活」本みたいにおもえるかもしれませんが、最初の読者である妻を「徐々に」失ってゆく「作家の生理」こそが読める本なのです(ぼくはその点で江藤淳を類推しました)。そのなかで、実際に妻に捧げられた、珠玉のショートショートも数多く収録されています。
『妻に捧げた1778話』というと、これを原作に草彅剛、竹内結子主演、星護監督で映画化された『僕と妻の1778の物語』をおもいだすひともいるかもしれませんが、あの映画とはまったくこの本はちがいます。だいいちあの映画は主演コンビの興行的な年齢要請によって「老年」「作家的老熟」「普遍化」といったテーマが欠落しているし、なによりも夫=眉村卓を社会生活不能な天真爛漫児童におとしめ、全体を「メルヘン」に矮小化、引用されるショートショートのほとんどもその映像化に着ぐるみなどをつかえる児童SFに絞っていて、「作家の生理」への肉薄がなにもないのです。とりわけ「最終回」の原稿執筆にさいし眉村役の草彅にエア・ライティングの動作をさせた失点がおおきかった。この点を新聞原稿では書けなかったので、追記しておきます。
土曜日の北海道新聞夕刊のぼくの連載サブカルコラムでは、高橋洋さんについて三題噺を展開しました――具体的には、刊行されたばかりのシナリオ集『地獄は実在する』、2月の東京公開を皮切りに順次全国公開されている『霊的ボルシェヴィキ』(ただし映像を実際にみることができず、言及は雑誌「シナリオ」掲載の台本によった)、4月にDVD発売される傑作『旧支配者のキャロル』について、です。