詩の顔、詩のからだ
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目次
Ⅰ 詩書月評2016
幽体化する音韻
女になること、女であること
告げんとしつつたわむ言葉は
韮・霙鍋・あけび・いしもち・ゼリーの音色
瞬間の王は死んでいない
女性詩の色価
老耄という方法
アレゴリー、あつめること
流麗感の発露、隠された齟齬
幽邃ということ
詩の「たりなさ」、詩の「生き物」化
本流はなく、亜種だけがある
Ⅱ 詩の顔、詩のからだ
承認願望
ライト・ヴァース
羞恥
翻訳不能性
自転車的
自画像
自己放牧
放心
放心への上書き
再読誘惑性
朦朧
メモ:改行詩を読むさいの目安
Ⅲ 補遺と2017年詩集
あたらしい感情
裸形への解体――瀬戸夏子について
端折るひと、神尾和寿
今年の収穫アンケート――二〇一七年度
隠れているわたし――鏡順子『耳を寄せるときこえる音』
偽りの自走――マーサ・ナカムラ『狸の匣』
アルゴリズム的コラージュ――鈴木一平『灰と家』
文からの偏差――井坂洋子から川田絢音へ
※ Ⅰは「現代詩手帖」2016年度の連載、Ⅱは2017年3月を中心にしたネット発表エッセイ、Ⅲは雑誌発表文章とネット発表文章の混成
版元=思潮社、四六判366頁、3800円+税、装幀=奥定泰之、編集=出本喬巳
以下、みじかい「あとがき」を転載――
二〇一六年に「現代詩手帖」で連載した詩書月評に、フェイスブックでつづった「詩を書くことについて」のエッセイをくわえ、さらに詩書月評の補遺と翌年度の詩集評などももりこんだ、三部構成の全体となった。文章の選定と、編集には、思潮社編集部の出本喬巳さんのお世話になった。すばらしい装幀によって本を実体化してくださった奥定泰之さんとともに、ていねいなお仕事に感謝します。詩論的にはそれまでの『換喩詩学』『詩と減喩』でかんがえたことの展開と延長が中心となっているが、詩書月評という条件のもと、さらに幅広い詩の対象化が実現されることともなった。詩のフィールドのほんとうの多様性がつたわればさいわいだ。
詩書月評は字数が限定的で、地の文が十全にひろげられず、この補填もあって「詩を書くことについて」のエッセイを書きだしたとおもうが、読まれるとおり、いつしか綜合的な主題として、詩における「顔とからだ」の相剋が浮上していった。これが品詞論に対応している。その前提のもとに、第三パートの多くも書かれているのだが、鏡順子論以降最後の四篇では、さらに「詩と文の関係考察」がそこに交錯していった。これはよわまっている詩を不毛な「分類」からときはなつ、救済措置だとおもう。そのような「うごき」こそが、この評論集の本質なのではないか――自分ではそうかんじている。