植草甚一本が届いた
昨日は『詩と思想』の原稿執筆用に
当て込んでいた日だったんだけどスルーした。
夏バテかなあ。あるいは初老期鬱。
午前中の気分をうまく調整しないと
こうして何もできなくなる。
けっきょく「だらだら読書」が
怠惰な僕の性に合っているのはたしかだ。
自分のサイトを自分でクリックして、
これまでの句集・歌集の出来を再吟味するうち
午前が終わってしまう(朝寝もしたし)。
そうこうするうち、
B5ムック本『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』の見本が
晶文社から届き(僕も原稿執筆者のひとり)、
嬉しくなって拾い読みしているうちに
ずるずる午後も終わってしまう。
ありゃ、時間進展が早い(加齢の徴候)。
昼飯ののち眠たくなった頭を叩いて歌作をしていなかったら
あやうく自己生産上ゼロとなってしまった一日だった。
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植草本、もう手に持っただけで馴染みがいい。
目次をみると隙がない。
「隙のなさ」と「隙間の存在」が仲良くニコニコしているから
本当のところ「隙がない」――そういうことだ。
本の発想、手触り、内容、デザインの一貫性、
柔らかさ、センス、遊び――ひと目で編集者が達人だとわかる。
たとえば見出しは往年の植草本と同じ書体、字間。
そう、編集は僕の『僕はこんな日常や感情でできています』の編集、
あの倉田晃宏さんで、かつ歌人・盛田志保子の旦那。
いつも精確さと余裕を兼ね備えた仕事をする。ルックスどおりだ。
装丁も僕の本と同じ小田島等くんで、
倉田-小田島コンビはいつも柔らかく偏差値の高い仕事をする。
この小田島くんのエッセイマンガも掲載されていて、
僕は本を手にとって、イの一番に読んだ。
あいかわらずのふにゃふにゃ。省力化の中に潜むケンカイな哲学。
むろん植草体験の面白さや関連イベントの紹介など勘所もおさえている。
小さく笑みを漏らすとマンガ自体が笑みを返してくれる、そんな感じ。
マンガ中のコアラのキャラ、ほしいなあ。
そういえば僕はデザインをやってもらった機縁で
小田島くんのマンガ本『無 FOR SALE』
(これも倉田編集の晶文社本)を知り、
一遍で大ファンになってしまった
(いつか大学の講義で彼のマンガを扱おう)。
で、感動の余勢を駆って、三村京子のCDのジャケットデザインも
彼に頼んでしまったのだった。
コアラキャラがほしい、というのは
次の三村アルバムのための言葉だったりする。
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倉田さんからは「いまJ・J氏が存命だという前提で
彼の目になってサブカルの何かを書いてほしい」という依頼だった。
で、僕は「じゃ、(日本の)音楽やります」と。
倉田さん「映画っていうとおもってました」。
まあ、僕は最近、洋画にほぼご無沙汰だし、
三村京子の新譜の宣伝もしたいからそういう選択をしたのだったが。
植草本だから一応、植草文体を自らに課す
(結果的には、お里の知れる文体も漏れでたけど)。
自由連想でダラダラ書きをする。
それとサイケデリックとかポーノグラフィとかジャズとか
植草アイテムをも盛り込んで「同じ匂い」を出す。
しかも最終目的は三村京子の紹介だ。
結構アタマをつかったが、
結局はジミ・ヘン→ゆら帝→戸川純(ゲルニカ)→三村さんの
数珠つなぎになった(つなぎの原理は読んでのお愉しみ)。
本当はゆら帝の前にはRCの「忙しすぎたから」が、
あとにはサイケ脱力パンク、シスター・ポール(会見記つき)が、
三村さんの前には椎名林檎(東京事変)も入っていたんだけど、
「さすがに長すぎます」と倉田さんにたしなめられ、
それらを削ったら、
なるほど他の原稿と肩を並べるに足る「締まり」が出た
――実際に本を手にとって、そう確認した。
倉田さん、やっぱり「物が見えてる」なあ。
本のハイライトは北山耕平が生前のJ・Jにおこなった
ロングインタビューの一挙大掲載だろうが、
「雑知識の全人」植草甚一ならば
専門諸家からの多彩な角度からの照射を――そんな気色ともなる。
この人選がやはりニクかった。
旧友筒井武文さんの
植草さんのヒッチコック考察の変遷を捉えた文章。
やはり植草本のなかの一文という条件から肩の力が抜け、
エッセイとしての良い流れを保ちながらも
映画そのものについての深い考察が底流している。
僕は映画雑誌をいま全く読まなくなっているので
筒井さんの文章にはご無沙汰だったが
こりゃ彼の最良の文章のひとつで
往年、彼に原稿依頼していた日々が懐かしくもなった。
筒井さんの原稿の良さは実作者ならでは考察の一方で
情報量の濃さが出たときに最も発揮されるが
たぶん分量の少ない原稿では寸目が詰まって活きない。
それが今回、豊富な紙幅をもらって指先が跳ね回っている。
ヒッチの予告篇論というマニアックなツボを押さえ、
同時に「未見の映画を最も書いてしまった」J・J氏の、
大文字「映画」の言葉の使い方に若干の疑義も挟む硬派ぶり。
双葉十三郎、小林信彦と最初に対比軸をつくることで、
植草映画論の位置づけを確定したのも手法的に素晴らしかった。
いかん、この調子で書いてゆくと膨大な分量になる。
もっとスッ飛ばして拾い読みした諸家の文章の紹介をしよう。
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大好きな春日武彦の文には意外なエピソードがあった。
春日さんの実母はJ・J氏とお見合いをした経験があったのだという。
それを母上は断った――なぜか。
(当時のJ・Jは)「水野晴郎に似てたから」(笑)。
そっか、例の胃潰瘍手術後、痩身へとすっきりする前のJ・Jが
まったく別の(おシャレでない)風貌だった点、すっかり失念していた。
「おしゃれ」といえば、岡崎武志は古本マニアとして
『おしゃれ』という本を掴んだエピソードを披露している。
むかしそういうインタビュー番組があって、
ベストドレッサー賞を受けた植草氏が出演していて、
その語りが他の出演者とともに併録された、いわゆるTV本なのだった。
当時のインタビュアーは杉浦直樹で、いい仕事をしていたとわかる。
そこで植草さんの文が、語る文体であると同時に
植草さんの語りが、書く喋りだという分析が出てきた。
で、植草文体について書かれた文をふたつ読む。
寺山修司のことを書いて元気な元(角川)『短歌』編集長・杉山正樹、
僕には未知の千野帽子の文、それらを立て続けにこなす。
ふたりとも野崎孝訳、サリンジャー『ライ麦』の文体が
J・J文体を範にした事実をおさえていて、
だからふたつの原稿が一本線上に並ぶのだった。
なかで、千野帽子さんの原稿は植草→野崎『ライ麦』の影響下に
庄司薫や村上春樹、昭和軽薄体の文体が開花し、
それが現在のライターたちの
「男子カジュアル文体」に継続する、としている。
たんに雑誌文体とみられる領域に入ったこの分断線がするどい。
もうひとつの手柄は文中に
往年の植草文体のパスティーシュが満載されていて愉しいこと。
川端『雪国』冒頭を植草文体に換骨奪胎した和田誠さん、素晴らしかった。
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ちょっと文体について。
喋り口調を文体に移す傾向は
ワープロ→パソコンと筆記用具が移行し、
「喋るように書く」風潮がつよまったのち
さらにブログやSNSがメディアとして生じ、
もはや文章書きの完全な趨勢になってしまった。
映画雑誌に多く原稿を書いていた時代の僕は、
寸目の詰まった原稿にどう流麗感をあたえるかで
語尾変化やリズムの研究をしていたきらいもあるが、
河出の「サブカルチャー講義」シリーズで、
とうとう喋り言葉を前面に擬制して、物を書き始めた。
ただし稲川方人さんなどは「あれは口語体じゃないですよ、
まったく新しい人工的な文体」といっていたなあ。
こうしてブログ文を書くいまも、人工的口語風がつづいている。
このようにエッセイ的な文章ではなく、
評論的な文章でもじつはそうで、
たとえば前々回アップした「視線について」などを確認されると
すごく文体に中間的な何かが発動しているとおわかりいただけるかも。
まあ、文体論というのはあまり生産的でないと僕は敬遠する習いだが、
先にしるした『僕はこんな日常や・・』などでは
僕なりのブログ文体が追求されたとおもう。
滋味と思考スピードを口語に注入して文自体を静かに騒がせた、
数々の中間的文体にあそこではお目にかかれるとおもう。
未読のかたはぜひ。
話を戻して植草文体のパスティーシュでいうと、
鏡明の文章が植草さんのノンシャランを完全再現していて目を瞠った。
植草さんの散歩術を示唆する標題は
意図的に「腰砕け」になる。
この「腰砕け」に豊饒感があって、その柔らかい策士ぶりが眩しい。
それでも結果的に、散歩とは何かに行き当たるのだった。
そうだ、やっぱり「散歩」だ。
散歩するように詩歌や文を書くというのは最近の僕のテーマで、
結局、「話体」「饒舌体」というより「散歩体」というと
文の組成が身体論的により明らかになるような気もする。
問題は口ではなく脚なのだった。だから西脇。
その他、植草さんの音楽観を綴ったものなど
あと二、三の文章を読んだが、いずれも素晴らしかった。
B5サイズでのmy原稿掲載本のストック棚は
いま僕の本棚にスペースがなくなってしまっている
(A5サイズの自著の置き場所がないように)。
それなのにもうひとつ、B5サイズ
(精確にいうと変型で、縦も微妙にB5以上)の
掲載本が増えてしまった。
『d/SIGN』16号(特集=廃墟と建築)がそれで、
そこでは杉田敦さんの『ナノ・ノート』(彩流社)につき
比較的長い書評を僕は書いている。
ふつうはこの書評と、晶文社・植草本の僕の原稿が
同じ筆者とはおもわれないかもしれないが、
さっきしるしたような処理により
同じ中間性が生じていると見抜かれる公算もあるだろう。
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晶文社・植草本には例のごとく薄土色の、
「『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』の読者のために」としるされた
自社刊行本の栞が入っていて、
そこに小田島くんのマンガ本の案内とともに
僕のブログ本の案内もちゃんと入っていた。
そういうかたちで晶文社の栞に自著が載るのが夢だったので嬉しいなあ。