消化器
【消化器】
敬愛する伊藤悠子さんから、第一詩集『道を 小道を』(ふらんす堂、1997)がとどいた。ぼくが詩をおおやけに書きだしたのは1997年ごろだから、まだ当時新人だった伊藤さんとのやりとりはなく、伊藤さんの第一詩集も未入手で、ご送付がたいへんうれしかった。もうご本人のお手元にも余りがないらしく、たまたま戻ってきた見本で申し訳ありませんが、とされていたが、伊藤さんの詩集を読めるのであれば、ありがたいことにかわりがない。そう、ご送付された詩集とともに、拙著『詩の顔、詩のからだ』への礼状がそえられていて、あたたかいことばのながれのなかに、論及した伊藤さんの詩篇、「ランナーズ・ハイ」の引用中(拙著76頁)、「消化器」の誤植(むろんただしくは「消火器」)がやんわりと指摘されていた。それもユーモラスなご寛恕つきで。はずかしい。もし二刷になるなら、ぜったいに直さなくては。
詩壇内の互酬制度をつねづね皮肉っているぼくだが、ひとつの本の送付により、べつの本がまいこんでくる運気の応答には、やはりどきどきする。ともに世の中を共有しているあかしがにじむからだ。とりわけ伊藤さんは「さみしい詩」を書くときがうつくしい。というか、「さみしい詩」こそが、いつまでも詩のひとつの論証だともおもう。それで読み手にもさみしさが昂じる。そんな伊藤さんの詩を、『道を 小道を』から一篇ぬいて、とりあえず伊藤さんへのお礼とお詫びにかえておこう。吉野弘のとらえた「夕焼け」が換喩=寓喩意識によって幻想化し、そこに西脇順三郎の口調がわずかに覗きながら、技法としてはみごとな反復をかたどっている(これまたすばらしい詩篇「四月の群像」とどちらを引用するか迷った)。
【ユキヤナギを売りに】
夕暮れを急ぐ
夕日をそらし
下る坂道に加速をたのみ
台を畳み始めた人もいる市場をめざし
夕暮れを急ぐ
ユキヤナギを売りに行くのだ
庭にはユキヤナギしかないのだった
ころがっていた鉢に
小さな株をひとつずつ入れて
わたしは夕暮れを急ぐ
日の残る市場に着いたら
人も残る市場に着いたら
ユキヤナギの鉢をゆっくり並べ
うつむいて夕暮れの重みに耐えよう