キンパツ
未明に起きだして
ひきつづき入門演習の採点を。
これが最後の採点作業だ。
おもしろいもの続出。
全員が評論ではなく作品提出で、
ヴィジュアル系も多く、
とてもこの欄には転記できない。
笑ったり唸ったりしながら
とうとう採点を終えた。
続いた怒涛。
自分の四日間にはご苦労さん、をいう。
本来ならこのまま
ふやけてしまえばいいのだけど
今日は立教に採点簿を出しにいって
その後は研究室に籠もり、
白土三平『忍者武芸帳』を再読しなきゃならん。
そのあと本棚を睨んで大島渚の文献漁り。
というのは大島渚DVDボックス、
その『忍者武芸帳』のパーツの
原稿を頼まれているのだった。
〆切は盆前――ということは今週末。
寧日なし、とはこのことだ。
三村京子のライヴにも行けはしない。
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入門演習提出レポートで
気に入った歌をまず一首、書きとめてみよう。
ニューウェイヴ歌手・福島遥さんのもの
(本人の承諾なしだが、まあいいだろう)
金髪が料理に入っているよりも黒髪のほうが私はいやだ
畸想佳し。
そしてこの一首はとうに忘れていた
僕の学生時代の自作も髣髴とさせた。
これも書いてしまおう。
忘れえぬ記憶のひとつ金髪は花に明かりてあやふくなりぬ
ということで、気分も金髪になって
以下の詩篇をさっき一気書きしてしまった。
【キンパツ】
犬をゆらしてキンパツを流す
ということはもともと
おしだまる水面だったということ
花づなになりたくて
幾度か壁にもぶらさがってたけど
こっちの愛情が
主君的だったのだろう、恥しい
いまは壁に鏡をみる(犬なし)
俺の歩みに唸り声を縫って
死んだ犬のまぼろしも同道する
きっと菖蒲を探しているのだな
一帯を水郷にするためにだ
でもあやめしおれて
殺め枝垂れた夏の陽に
詩情がひともと定立する
照りをかんかん鳴らして
ぞろ虫己れを割ってでよと、だ
うらぶれて影ゆけば
銀幕も美女美女
キンパツと電気だらけだった
物語のくらげ見て
参集ら呑気に口開いてら
美女にかかった紗がゆれて
キンパツ、映画から独立する
犬と観ているつもりだったが
犬のおもかげに泣くこともあろう
隣などつねにおらず
きゃんどるめいたものにも弱く
川を掘る夏の聖節を歩けない
歩くと足が虫になって
足跡にキンパツもわだかまる
「喰おうとするなよ足跡など」
ひるがえればとことん暑い
きゃんでぃめいたものを溶かし
われ割れまでしゃがんだ
こいけまさよキンパツになり
もりたしほこキンパツになり
みむらきょうこキンパツになる
ひるがえればとことん暑い
身そのものも
味噌のもののように
浴衣となったからには
ゆうかぜにさみしくはためくだけ
地球の休暇期は
俺も少量のキンパツ泉だった
らしい
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短歌と詩の往来というのは、
「なにかすごくありうる」。
歌物語のように和歌と物語の並立だってあった
(そういえば現代の柴田千晶さんの詩集、
『セラフィタ氏』は現代短歌と
勃起不能の意地悪なエロ物語の
迷宮性の高いとりあわせだった)
僕の場合は、短歌は躯をほぐす。
それで書き込みに短歌をよく書くようになった。
八月に入って盛田志保子さんの日記に書き込んだ歌を
備忘のため、以下に転記しておこう。
蝉麿とわが名呼ばれり空蝉を着て夏の水消えゆくを視る
児(こ)を放ち雷鳴の昼まどろめば綿毛とあそぶ蜘蛛の心地す
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今期の入門演習には
高校時代から歌作に親炙している学生もいた。
門司奈大(もんじ・なお)さんだ。
彼女は、サブカル度のすごく高い詩画集を提出した。
その詩は個々がグラフィックに文字配置されていたが
ひとつひとつが短歌だった。
うち大好きなものを転記しておく。
風吹きの黒髪視界を埋め尽くすこのまま閉じればさいわいの果て
隠されたその本質を探りつつ未だ知り得ぬ君の毒薬
階段を駆け上がるように一息であいのことばを言えたらいいのに
「なあ一体、いつまで呼吸すればいい?」「ひとまず明日の午後八時まで。」
ありふれた結末なんてごめんだと硝子の靴を蹴とばしている
さあ行こう ドレスの裾を引き裂いて 逃亡方法 1×∞
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門司奈大ちゃんなどは数年後、現代歌壇に打って出るかも
(↑これ、かたちのみの短歌♪)