煙にまみれた自画像
【煙にまみれた自画像】
うすやみをゆくしろへびから
けむりへの感性をたかめてゆく
そのあたりを、おくがというのだ
かすかにそらはわたしをうつしていたが
行路をまがりつくして知った
屈曲とは音曲に似たべつの通路だと
休符がおしあげる夏の霜柱をあるく
ものものしく草履がほどけてゆく
マモウという音 そのインドの韻き
疲弊が苦労なのではけっしてない
疲弊にいたる音階の記譜、それが仕事だからだ
早速 がらすたばこを暮れのこりに咥え
雲からは琵琶をひきずりおろして
唄う中心を一切れの僧形にした
あいうえお と そう吟ずる
ぎらついていた葉緑は 泥みはしない
あっさりと溶暗に加担して類を形成し
ちきゅうはその類力によりまわってゆくのだった
趨勢がしかあるときに
仲間という語は正負どちらをとっても怖い
なかまとはむしろ鞭毛のゆれのような感じだろう
誠を尽くしての終わりはけだものとしてわらうか
けむりとなって拡散するかで
ひとが人の匂いをなくする水っぽい食後もある
王冠のようなパフェはこの瞬間をすべりこみ
まさに形成への胆力、その台座をうばう
(あれもけむりだった、)
あいうえお そこでそう吟ずる
いつかは鹿の爪となって森の通路を掻くのだから
木の実のふりつづける金色の幸福すら
まばたきひとつでこれまたけむりにすればいい
喫煙とはたえず幻滅の予備演習で
自身への繋辞など遮断して
「わたしの三匹」の 口先のたわむれに任すべきだ
二を軸にした魔法が磨耗するとして
そこからの例外にこそ親密も宿る
基本はいつでも森のような集合体だ
おまけに日本語の現在の母音も五音あって
それだけでも音への親しみは普遍というべきだろう
あいうえお そう吟ずる
森状を発声にする
奥に伸びようとする「あ」を
「い」で斬ってわたしも平面に復する
ただし余燼が生じて それがけむりに似るだろう
「う」「え」「お」がそうして三匹になる
こんなふうに自分を追悼できないかわりに
母音をあらかじめ追悼しているとするなら
この詩語はなんのざわめき
わからないまま森状を発声にする
あいうえお いつもそう吟じて
ことばの鹿がちかづいてくる
へびのきえた場所に
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夏休みにしなければならなかった課題のひとつは
詩稿の整理だった。
サイトにアップしていた「ネット詩集『誰かとは君のこと』」は
タイトルを「ネット詩集『あけがたはなび』」に変え、
そこでの不出来詩篇を一挙に刈り込んだ。
詩集を構想する愉しみのひとつは、
まさにこの「刈り込み」――「自己切断」にある。
血を流しているつもりなのに、
自分の躯から蜜が流れだす感覚に導かれるのはなぜだろう。
その作業の余勢を駆って
サイトには「一人連詩『大玉』」もアップした。
http://abecasio.s23.xrea.com
「サイト更新履歴」か「未公開原稿など」の欄で双方を確認できます。
おひまな折にはぜひ