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黒瀬珂瀾・街角の歌+十首 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

黒瀬珂瀾・街角の歌+十首のページです。

黒瀬珂瀾・街角の歌+十首

 
黒瀬珂瀾さんから送っていただいた
『街角の歌』(ふらんす堂)を随分遅れたいま読み出している。
しかもバウムクーヘンを一片ずつ惜しんで齧るように。

この本は珂瀾さんの著書にして編著だ。
一年を365日のカレンダーにして、
一日一日にふさわしい短歌を珂瀾さんが充(あ)て、
それぞれに200字強の解説が付されてゆく。
本は一ページ二首掲出、月代わりには扉、というシンプルな構成を貫く。
「歳時記を読む」ように読める、ということだ。

珂瀾さんの解説は、時代背景・季題を主にした鑑賞の眼目、
作者の最少の伝記的紹介、などなどで埋められ、
簡潔適確な読みと、幾何学的な構成意志とが
本のなか、静かな緊張で拮抗しているとおもう。

「幾何学的な構成意志」というのは、
珂瀾さんの選歌が「街角」をおもわせるものに限定され、
明治から現代まで対象領域を自在に渉猟して、
結果、読んでゆくこちらの手許には
多重的時間と空間とがこもごも、
季節進展の整序性をも相なして刻々編成されてゆくからだ。

しかも、同一作者が二度と登場しない。
つまり「百人一首」ならぬ「365人一首」でもあったのだった。
「折々のうた」などより構成には厳密さがもとめられている。

「百人一首」の現代的編纂というのは
たとえば塚本邦雄などもおこなった。
それは塚本美学を逆照射しつつ、
短歌の基軸を
リアリズムから反リアリズムへと変貌させる試みとしてあった。

珂瀾さんの営みにはそんな偏向が一切ない。
短歌の多元的立脚を、明治以来の歴史のなかに
切実に、透明な態度でのみただ追ってゆくだけだ。

――考えてみるといいのだけど、
明治以来の365人一首を、主題を「街角」に限定して編纂し、
しかもそれをカレンダーのなかに並べるというのは
二重三重に「短歌知」を誇るアクロバティックなおこないだ。
よほどの蓄積がなければとてもできることではない。

ところがそのアクロバット性がぜんぜん感じられない。
歌群が結局は歴史限定のもと透明な人心と声調に還元され、
一切の署名性をも脱却する消尽を引き金に、
そこに声音の総合といった永遠域を逆にたちあげうると
珂瀾さんが知っているからで、
こういう本に接してこそ短歌芸術の大きさと切なさが迫ってくる。
珂瀾さんはなんてすばらしい仕事をしたのだろう。



珂瀾さんといえば「歌壇のヴィジュアル系」で、
その歌も初期・春日井建を淵源にした耽美幻想色のつよさが有名だが
(珂瀾さんのデビュー歌集『黒耀宮』はその華麗なる結実だった)、
もしかするとこの本をつくりながら
珂瀾さんの作歌精神の基軸が
別方向にうごきだしているのではないかとおもった。
年内には新歌集も上梓されるという。
緊張とともに期待を感じるゆえんだ。



現在、読んでいるのは「六月」。

6月17日
雲母ひかる大学病院内の門を出でて癩(かたゐ)の我の何処(いづく)に行けとか
明石海人

6月19日
選りに選りて上水道に身投げして死骸の汁を四日飲ましむ
森本治吉

6月20日
群集と呼ぶまぼろしの権力へ投げてみよ因陀羅(いんどら)の金剛杵
中山明

6月23日
遠くにて消防車あつまりゆく響き寂しき夜の音と思ひき
尾崎左永子



6月17日、明石海人。
ハンセン氏病にかかるという非運によって37歳で生を閉じた
伝説的な戦前歌人として明石は知られているだろうが、
この罹患宣告の衝撃を唄った一首を
6月17日に置いた珂瀾さんがすごい。
伝記的事実の裏打ちが実証的にあるのかもしれないが、
「雲母(きらら)ひかる」の措辞に
梅雨晴れの残酷な眩しさをみたのだ、と僕などは捉えた。
結句七音の悲傷は決して胸から拭い去れるものではない。

6月19日、森本治吉。
浅学の僕には作者不詳。一読、作家の中心眼目も不明。
ところが珂瀾さんには
これが太宰治の玉川上水への入水を詠んだ歌という把握がある。
四日間の捜索ののち太宰の死体は発見された。
そういう事実が裏打ちされて、この森本の太宰への位置取りが面白く映る。
歌中に季節符号が一切ないのに、そこに日付を捉えた珂瀾さんの眼の鋭さ。

6月20日、中山明。これも僕には作者不詳。
一読、戦慄の走る歌で、大衆(/学生)運動者の作と感じるが、
珂瀾さんの解説は、「フランスの社会学者ル・ボン」からはじめられて、
《因陀羅はヒンドゥー教の雷神で、日本名は帝釈天》と簡素に徹する。
結果、この掲出などはずんぐりと異状を挿入する効果を発揮する。
この「因陀羅」の歌がなぜ6月20日なのか、
その謎が解き明かされないことで却って歌に強烈な印象がのこる。

6月23日、尾崎左永子。
結社短歌の重鎮のひとりという認識が僕にはわずかにある。
珂瀾さんの解説は、歌意を丁寧に追い、
左永子の別の作にも触れる、という正攻法。
ところが僕の心に残るのは、結社短歌なのに女声の必然を経由して、
連想の恣意残酷が意味を脱中心化して調べの美しさだけ織り上げた点だ。
そう、歌には明瞭な「葛原妙子調」がある。
こういう歌が歌誌に不意に登場してしまう短歌という芸術の奥行き。
ところが左永子の短歌は「感覚」の限定性をもっと大切にする。
たぶん珂瀾さんは葛原妙子的なものに
さらに身体の有限性が取り巻いた左永子の歌を
別の独自性として嘉納しているはずだ。
珂瀾さんはこの言外の意を伝えるべく、
左永子の別の一首を解説のなかに掲出する。
《つぎつぎに匂ひことなるなか歩む果実店薬局木材店のまへ》。



珂瀾さんがカレンダーの一日一日を歌の掲出で埋めてゆくとき
膨大な記憶アーカイヴのなかでは「連想」が猖獗している気もする。
結果、一日単位での歌の順番の流れが、
連句に接したような面白さを呼んでいる例もある。
これについては僕のコメント抜きで列挙してみよう。

4月14日
キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる
佐藤りえ

4月15日
水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器
坂井修一

4月16日
人間のあぶらをつけて蘇る始発電車の窓という窓
盛田志保子

しかもこの一連の流れは、4月17日の欄、突然
以下のような税吏による異様な歌で断ち切られる。

にくしみにたぎる言葉もきき飽きて今一軒差押へむ靴屋に這入る
中島栄一



『街角の歌』を読むことは未知の短歌作者の才能を、運命を、
その作例だけで追認するという残酷な礼儀をふくむ。
となって、珂瀾さんが夭折作家の死亡年齢を過たず解説にしるす、
その意味もあきらかになってくるだろう。
早死によって埋もれた不吉な才能を畏れるのみならず、
その全作を知るべきだと誘いかけているのではないか。
こうした基準を、僕は早くも本の冒頭で知った。

1月2日
早春の紗のかかる街四つ角のポストも夢を見るやも知れぬ
永井陽子

一読、メルヘン型幻想の歌におもえるが、
朝靄の喩ととれる「紗」の用語が不吉だと捉え、
珂瀾さんの解説を読むと、
やはり「平成12年1月、48歳にて逝去」とあったのだった。



俳句は峻厳な世界認識装置で、それは言葉の生成とまさに一致する。
ところが短歌はやはり「歌」で、その流れと身体的な空隙性をもって
読む者に感情を代入し自らを無名化させる契機の器として
普遍の水平域にこそたち現れてくる聖なる指標なのだった。
だから下句十四音も余剰ではなく、魂が肉体化する支えなのであって、
これ以外の可能性を突き詰めようとしても
短歌形式はその作者にむなしく離反してゆくだけだろう。

僕も最近はそういうことを考え、作歌をおこなっている。
最近の作例――



をとこへし風に割れざる百年に急いて着物の柄こぼしゆく



百年の孤りに配する千年の多勢、眼路みな白草木炎ゆ



水に泛く円のさみしさ「決」の字のさんずゐのゆゑ民草は知らず



おそ夏はいましの膚の螺鈿へと十年の夢きらり漾ふ



なが雨に甲羅の濡るる気配してわが一年などみだれほぐるる



自分脱出したし水平ライオンも垂直ライオン殺戮班も



聖護院大根泛ぶ記憶には旧臘に見し月を重ねき



凶兆は暁闇あるく郵便の赤ポストにして誤配うれしく



おそ夏のさむさ葡萄を掌(て)に割いて果汁たばしる藍の朝明け



部屋隅に天狗となりて佇ちてゐき脱分節にけぶるわが身が





一首~五首は「なにぬねの?」コミュ、
「タイトルで詩歌句:「海と毒薬」「百年の孤独」」へ出したもの。
六首・七首、新マイミク「DICE」さんの書き込み欄へ打ったもので
当然、六首めは塚本邦雄の有名歌のパロディ。
八首め以降が今朝の作歌です
 

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2008年08月25日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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