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白石和彌・凪待ち ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

白石和彌・凪待ちのページです。

白石和彌・凪待ち

 
 
白石和彌監督の『凪待ち』、香取慎吾の新境地を拓いたことですでに傑作の誉れが高いが、白石監督の宿願が見えた気がした。彼は内田吐夢になりたいのだ。内田吐夢といえば主役を過酷な運命の偶然に置いて、魔=デーモンを描く主題の一貫性があるが、例えば『飢餓海峡』でデーモンそのものだった三國連太郎よりも、『浪花の恋の物語』、飛脚問屋の婿養子候補として番頭を実直にこなす木石の中村錦之助が新町芸者の有馬稲子と電撃的な恋に落ち、田舎大尽の東野英治郎の向こうを張り、勘気のあまり公金の封印切りをおこなうくだりのほうに『飢餓海峡』の三國連太郎よりもさらにデーモンをかんじた。むろん有馬稲子を横に従えて錦之助の立ち上がりとともに視野を上昇させてゆくカメラに、下→上というデーモン特有の方向性があるし、錦之助の顔が憤怒、自棄、自嘲、勝利感、悲哀、哄笑兆候などで、まさに秒単位の表情移行をかたどる点もそのままデモーニッシュだが、何よりも「魔」は、怪物の描写よりも、普通の者が運気の決定的、不可逆的な転落を迎えるときにこそ、映像に気味悪く実体化されるのではないか。『凪待ち』の香取が、同棲相手の西田尚美を強姦殺人で失い、持ち前の酒癖と賭博依存を激しく点火され、勤め先の印刷所で受けた泥棒嫌疑を皮切りに、ついに真心によるリリー・フランキーのカネ、あるいは香取とともにカリブ旅行するためにカリブ海の島嶼写真集に西田が隠していた臍繰りをノミ屋での競輪賭博でともども蕩尽してしまうとき、デーモンは香取を苛烈に渦巻く。その瞬間はディテールが違うが、『浪花の恋の物語』の錦之助の封印切りを髣髴させるものだった。カネの流れの冷徹さ。そう綴ればブレッソンの『ラルジャン』が思われるだろうが、おなじ要素は『浪花の恋の物語』にも、そしてこの『凪待ち』にもあった。内田吐夢を連想したのはほかでもない、『飢餓海峡』の三國連太郎と、ボディビルで鍛え体重100キロ超えと言われる本作の香取慎吾が、怪物的で悲哀に溢れる巨漢という点で相同だからだ。特に義父ともいうべき漁師の吉澤健、養女ともいうべき『散歩する侵略者』の恒松祐里に左右を抱えられ、石巻の寂れた商店街を男泣きの香取が歩くとき、身体の巨漢性がそのまま哀しかった。素晴らしい俳優だ。SMAP最年少だけあって、香取にはまだ幼い口跡がのこるが、博打と酒で顔色を悪くしたやさぐれぶりを意欲的に体現、やがて暴力主体となるときには奔馬性の衰運に見合って映像にさらなる戦慄をもたらす。それが恒松祐里の美しさ、吉澤健の元来の顔の悲哀ぶりと好対をなす。ノミ屋の競輪中継のための数々の受像機を香取が粉砕するときの「魔」の顕現の素晴らしさ。しかも、ネタバレになるから書かないが、作中には運命の節目が五つ程度用意されていて、それぞれが形を変えてデモーニッシュだったのだ。さすがは加藤正人の脚本というべきだろう。内田吐夢は作中のどこかでクレーンを使ったり、実験的な映像効果を狙ったりのデモーニッシュな撮影を必ずおこなうが、白石監督の極め付けはエンドロール映像にあった。震災7年後が強調される本作にあって、ピアノ、自転車、瓦礫などで堆く埋まっている、夢幻的に美しい海底廃墟が暗い光の中で捉えられるのだ。そういえば不祥事で石巻にいられなくなった香取が借金返済のため福島で除染の仕事を決意する惨いくだりもある。といろいろ書いたが、香取の転落劇に終始するように見えたこの作品は、単純にそこには着地しない。ひとすじのかけがえのない光明が走るのだが、それを端的に示唆するのは、西田尚美の前夫にして恒松祐里の実父役の音尾琢真ではないか。彼は幾らギャンブル依存で短気で酒癖が悪くても「いいところ」があったから、かつて西田尚美は香取に惹かれたんだという。香取はその事実提示に激昂する。このときに既聴感が走った。魔に終始したイーストウッド『許されざる者』でも、作品全体を包み込んでいた巻頭巻末の字幕に光明が滲んでいた。そのことと音尾琢真の科白は似ていた。7月5日、札幌シネマフロンティアにて鑑賞
 
 

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2019年07月05日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

そういえば、白石監督はテレ東深夜ドラマの『フルーツ宅配便』の演出を手掛けていて、濱田岳がデリヘル嬢を乗せるそれぞれの夜のクルマのシーンがとても良かった。『凪待ち』では香取と西田尚美が車中、恒松祐里のことで口論するシーンがあり、降りろ、上等、で、夜の街道に西田が残されてしまう。そのときの寂寥感が忘れがたい。その前には夜の車窓から、地方の画一的でむなしいロードサイドチェーン群が描かれていた。ロケーション情緒といえば、石巻の魚市場の描写も適確だった。とくにリリー・フランキーの氷屋に意表を突かれた(氷屋は魚市場に必ず出入りしているはずだが、意識したことがなかったためだ。この職業の提示には、気づかないながら物象を縫いこんでいる氷結性という喩に近い機能がある)。

2019年07月08日 阿部嘉昭 URL 編集












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