遠近両用
実は、老眼になっていた。
ハ・メ・マラと、老化してゆく男の部位の順序が
よくいわれるが、
もう第二段階まではたどりついているわけだ(本当か?)。
CDリーフレットの
歌詞などがすごく読みにくくなっていて、
ときにコンビ二に拡大コピーをとりにいったりもしていた。
辞書ではとっくに虫眼鏡も使いだしていた。
僕は近眼でもあるので
その手の小さい文字は、
近づけても(そこで老眼が発動する)、
遠ざけても(そこで近眼が発動する)、
つまりどの距離においても見えないものがあって、
そうか、世界の欠落態は老年においては
このように現れるのだな、というヘンな感慨もおぼえた。
「花眼(かがん)」という言葉がある。
綺麗な言葉だが、中国語で老眼の意だ。
僕は最近、句作や詩作でよくこの言葉をつかう。
すでにある一句を再披露しよう。
《老いて咲く花眼や文字の花の奥》
男では早い者で40代前半から老眼に陥る。
実はこないだ小学校の同窓会があって
(つまり集まった者のすべてが同年)、
小学生時代の写真のやりとりなどをすると、
「どれどれ」と老眼鏡を取り出す者が
数多くいたのにも脱力的に笑ってしまった。
全員が50か49だ。
最近は近くを見られないこの視覚のせいで、
本を読むにも減退が早くなった。
不機嫌にもなる。
もしかすると眼のぼやけによって
読解力すら落ちているのではないか。
そうおもう恐怖が不機嫌へと転化しているらしい。
読んだ本がつまらないという正確な判断が出せないのだ。
その反面、字の大きい本に遭遇すると、
「ひとにやさしい本だ」と
広告文そのままに単純感動すらしてしまう。
眼ひとつの状態で、感情の練成すら
ありきたりなことになってしまう。
●
最近、眼鏡の鼻どめが折れたのを機に
女房が、遠近両用の眼鏡を新たにつくろうといいだした。
綿密な検眼の果て(僕は乱視でもある
--この検眼で自分の利き目が右、とも知った)、
こないだの日曜、ついにそれが自分のものとなった。
遠近両用の「両用」の語には
魔法めいた印象も生じるだろうが、
現実はそんなものではない。
境目はもう技術革新によって存在しなくなっているが、
眼鏡の表面を区分づけ、
遠くを多くみる上部に近眼用の屈折率を施し、
近くを多くみる下部に遠視用の屈折率を施す、
その程度の単純な構造に依然なっているだけだ。
眼鏡の表面が変成するわけではない。
対象の遠近によって
使用される表面の部位が厳密に定義される。
となると、つるのゆるみや
無意識に手で眼鏡を上下させる以前の行為が
禁じられることにもなる。
出来上がった眼鏡は顔へのフィット感もつよいし、
つるをとめる螺子もあたうかぎり固く締められている。
ぐらつきの生じる余地がない。
遠くの対象から近くの対象に視線を移すときに
とうぜん、びっくりするほど視界のぼやける一瞬がある。
それと、歩くとき斜め前を見下ろそうとすると
その視界が必ずぼやける。
真下の足許は焦点が合うし、
歩く先を遠望しても焦点が合うのだから
斜め下前が視界の一種の鬼門となるのだった。
左右に視線をずらすと
そのずらす過程でも視界がぼやける。
したがって眼ではなく顔全体を動かす必要が生じる。
正視対象のみに焦点が合う眼鏡の構造なのだった。
この眼鏡をつくる前は
CDリーフレットなどで
絶対に判読できない文字の大きさがあったと書いたが、
遠近両用眼鏡ではそれが克服されても
絶対に明視できない視角が構造化されているわけだ。
むろん僕などは近くを見続ける生活が大半だから
どちらがストレスが少ないか、ということに帰着する。
生活の利便性のより高い「遠近両用」が選択されるのは
そうしたわけだ(その程度に過ぎない)。
もう僕の眼は十全な矯正が不可能なのだった。
ということで、「遠近両用」が
魔法でないことがわかったとおもう。
「遠近両用」を着用している、とバレるのは、
遠くを見るときだろう。
遠くのものが視界上部にあるとは限らない
(それが多くそうであるとしても)。
待ち合わせの人の顔など、
視線の水平延長に遠望が形成される場合も多いはずだ。
そのとき遠近両用眼鏡では
あごを引き、上目遣いに対象を遠目に見る仕種となる。
ジョン・レノンが『レット・イット・ビー』で
ポール・マッカートニーを見るとき
なぜかそんな目つきをよくしていたなあ。
まだ30になるぎりぎり前だったはずだし、
境目なし眼鏡もなかった時代。
あれはいったい、どういうことだったんだろう。
上目遣いで遠くを見るというのは
だから老人ぽい視線の代表で
老け演技でも有効だろう。
亡くなった熊井啓さんも眼鏡をかけて
よくそんな目つきをしていた。
ヘンな話だが遠近両用眼鏡を着用して
第一に起こったことは
あの面倒くさい映画監督、熊井さんへの追想の念だった。
同じ仕種を共有してそんな仕儀となった。
だがこれはもしかすると自己郷愁の変型かもしれない