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近藤弘文さんの詩法 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

近藤弘文さんの詩法のページです。

近藤弘文さんの詩法

 
わたしからはなれる声の虚が
ひび割れた光が散っていて
膝を抱えた

みあげた子宮の活字は
あかごの籠に
かえせよ

ということが
無の網膜を諳んずるだれかの
破水の墨でひいた暗がりを
刻印するでしょう

雨上がりの空に
やまないんだね
光の膝

あ、蜻蛉
そのとき
のそこに座る




上は「SPACE」84号に発表された
近藤弘文さんの「膝を抱えた」、
その助詞をわずかに省略して
シャッフルするように各行を入れ替えたもの。
そのさいには行アキも加えた。

もともと近藤さんのこの詩篇は
ほぼ行がつながっておらず、それゆえ
シャッフル転換をもとめているフシもある。
だから読解にも、
「このように入れ替えてみた」という提示が
あるていど有効なのではないか。
そうおもってこの詩篇の入れ替え案を
自分なりにしるしてみたのだった
(むろんほかにも「解答例」がいろいろ出るだろう)。

行の「立ち」、行の加算を
このように否定したがっている近藤さんが
詩の既存性の何を変改しようとしているのか
それをじかに訊いてみたい気もする。

公平を期して、近藤さんのオリジナル詩篇を以下に。



【膝を抱えた】
近藤弘文


そのとき
わたしからはなれる声の虚が
としての雨上がりの空に
ひび割れた光が散っていて
かえせよ
みあげた子宮の活字は
に無の網膜を諳んずるだれかの
膝を抱えた
あ、蜻蛉
破水の墨でひいた暗がりを
はあかごの籠に
を刻印するでしょう
のそこに座る
、ということが
やまないんだね
光の膝




シャッフルして入れ替えた仮詩篇は
どことなく杉本真維子の詩風と
通じるものがある、と気づく。

近藤弘文さんの詩法に
シャッフル変換を幻視した僕は、
意図的なシャッフルをして
詩篇が幻惑的な意味をさらに生まないか、
これを試そうともした。
以下、そのための習作をつくってみた。



【習作1】


連唱の輪かげに
ちいさくしおれるランドセル
罰は当たる、太鼓のなかに
もう二牛をつなぐ綱も
蝋色の二の腕を縛っていた
数式は欠けたまま黒板に
三角ベースも縮んで
ぼくらの、ケインの
ハモニカの墓、下着ごと

胸の葉がなびいてゆくよ
酔芙蓉のひらく生乾きに
茎人間となって根をさがす
袋かぶりの濡れた菜園
性器より怖いものとして
割れた蝙蝠をズボンから
とりだしたそれが鋏




これをシャッフルするとどうなるか。
たとえば、こうなる――



【習作2】


数式は欠けたまま黒板に
ぼくらの、ケインの
性器より怖いものとして
罰は当たる、太鼓のなかに
袋かぶりの濡れた菜園
酔芙蓉のひらく生乾きに
三角ベースも縮んで
とりだしたそれが鋏

蝋色の二の腕を縛っていた
ちいさくしおれるランドセル
ハモニカの墓、下着ごと
茎人間となって根をさがす
割れた蝙蝠をズボンから
胸の葉がなびいてゆくよ
もう二牛をつなぐ綱も
連唱の輪かげに




つくってみて、どっちが面白いか、
わからなくなった(笑)。
詩なんて、いいかげんなものだなあ

(キネ旬用の北野武=ビートたけし論が早く終わり、
DVDも返却したので、こんな遊びをしてみたのでした)
 

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2008年09月03日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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