岡井隆・ネフスキイ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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岡井隆・ネフスキイ

 
日録として歌作する。
一日一首という鉄則は設けない。
想が赴くままの、連作の欲求もあるためだ。
歌作では、魂のうつつと清澄が均衡した朝を多くこのむ。
これらが岡井隆の近来の短歌態度となりつつあるようだ。

――こう書いて判明するように、
岡井隆の歌作ではあらゆる歌の可能性・蓄積経験を手中にしたうえで
そこに随筆性をさらに巻き込んで
それで歌型の強靭さがゆらぐか否か見極める歌への距離がある。
随想の対象は身辺だから「私」をあからさまにするが
上記のようにそうして「距離」があるからその「私」が保たれ
視覚化にも近いかたちで「私」は塊として定位される。

あるいは――随筆=エッセイとは、
短詩型文学や詩や戯曲や小説と並ぶ定立ジャンルではなく
それらを美しく弱体化しジャンルから自明性を消す
一種の、書法的媒質だともいえる。ジャンルではないのだ。
むろん「私性」の客観的書記への介入は通常は「弱さ」として発露するが、
「私」がそれでゆるぎなく情と思考の主体ともなれば
「私」自体には強化と魅惑化という副産をもたらす。
『彼自身によるロラン・バルト』などに照らせば
すぐにわかる書記の二重化だ。
弱さと強さのアマルガム、岡井隆の歌作はいまその域に入っている。
このアマルガムの感触が、しなやかなのだった。

思考の契機となる読書。地上を往来する自己身体。
生活の細部。意外に峻烈な内心の吐露。
不意を襲った語連関への新鮮な驚愕。
年齢のためかかつてそれらに伍していた性愛の実相はもうないが、
これらだけでも岡井の岡井的日々が上質に織られる。
ブリコラージュ、手作業。しかし刺繍されたものは
時間と同じく線型性のなかにちりばめられて透明だ。
「永遠」への間口がそうしてある。
岡井はこの時点で西脇の後継と考えるべきだろう。

この歌作方法ではいわゆる「絶唱」の比率も低下するが、
岡井はたぶん短歌という詩型に
「絶唱」のみを求める気持を吝嗇として戒めているはずだ。
軽やかさを演じてこそこの詩型が存続するという
どうみても「正しい信念」がそこに介在しているだろう
(これは現代詩も同じ)。
連句でいう平句のような歌群が、
岡井を媒介項に運ばれてゆき、
それでも創作の交点である岡井は、理の当然として光暈のなかにいる。
あるいは「光暈を形成する」。
だから歌のなかに綴られる岡井の身体も
視覚化されて読者の前に出現しつつ、かつ「見えない」。

歌をそのように自らに奉仕させる岡井は「歌の王」だが、
歌でもって身体を刻む律儀な「歌の従僕」でもある。
ともあれ、どう綴っても岡井の現在の歌は
見た目の平明とはちがい、
複雑な背反を豊かに組織する磁力をもつ。

その磁力に読者は恍惚と蝕まれてゆく運命にある。
このように岡井独自に形成される歌の達成境は
誰も岡井のような運命的強度をもたないのだから
作歌精神を意気阻喪させることにもつながるだろう。
だが彼はいうはずだ、「この歌作のなかの亀裂に注意せよ、
そのとき同じような作歌があなたにも舞い込むだろう」。

何しろ八四〇首程度(「程度」というのは旋頭歌が二首入っているから)を
岡井の人生の破片として収蔵する大部の歌集だ。
その物量によって拉し去られる気分ともなるだろう。
それでも読者は「量」ではなく「質」に視線と音感を投じることで
この素晴しい歌集に向かわなければならない。

筆者が好きな歌を抜き、
場合によってはそれに論評を加えるというラクな書き方で
以下を進めてゆく(キリがないので、ワードで七枚程度までとする)。



《わが妻の記憶まことにこまやかに忘却といふ救ひを知らず》
どの時点の「妻」かを一瞬考えたが、どうでもいいことだ。
忘却=救済、という通常性とは逆の認識が一首を貫くが、
歌の面目はこう唄ってみて顕ってくる「妻」の実体的イメージだ。
そこに哀しさと華やかさが伴われる。

《バルコンに降る雨脚の尖だけが肉感的でしかもしづかだ》
微細な視覚。ところが口語の介入で茶化される。
そういう抵抗圧ある微妙な厚みのなか読後も雨が降りつづける。
「バルコン」の語にあるブルジョワ性をも岡井は自己批評しているはずだ。

《おぼろなる記憶なれども数箇月まへと同じき霧の中に佇つ》
平明。またも「記憶」が主題で、
記憶の五里霧中が間歇的なシンクロ体験として唄われている。
「霧の中に佇つ」の八音の停滞感、重さが手練。

《投げ出されし道具〔ツール〕のあひに手を置けり頭はいまだ昨夜〔きそ〕をさまよふ》
相変わらずの「カッコいい」自画像。ただし不如意感か執着が唄われている。
このAorBの設問に回答がないから、歌に余韻が生じている。

《作品は不機嫌な朝に生まれ来て今日の一日を司どるべし》
《仕上げたるよろこびのあはひ草の香に泥のにほひのしづかに混じる》
実作経験を主題にした連作にちかいが、処世訓とはならない。
岡井の創作には何か不透明に独自性がある。それで草、泥の語が切ない。

《読めば飽き書かむとすれば疲れ果つ一日の夕べ手作業をせり》
上の歌群と連関。

《つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて》
棒書き中、「。」で呼吸や文節を切ったり、口語を乱入させる技法は
この歌集にも数多く認められるが、もはや堂に入っている。
美しい光景が卑語でゆがみ、なおかつ美しさが回帰する遅延として歌があって
それと「。」が呼応している。
対偶読みができる。「岡井自身にはまだ時が満ちていない」。
では「時が満ちる」とは何か――「死ぬこと」だとおもった。

《怒りさへ長く続かず 落葉焚のやうに亡んでしまつた生きもの》
「怒気」という別の動物がかつて岡井に棲んでいた。
それがもう死んだ――「不如意」はとうぜん老年を指針しているが、
安堵や幸福の気配もまたここに揺曳するから歌の像が深くなる。

《午すぎに後ろ向きになる習性がある まだ独り立ちできぬ中洲に》
謎のように吐き出された一首。「中洲」は福岡の知名ではなく
単純に中洲――川が形作るあの微妙なトポスと取った。

《縄文の人らのやうに栗食みて心をぬくめあへば夕ぐれ》
縄文文化論争(縄文人とは何か)にあえて与しない無頓着なつくり。
能天気な作歌とみえて、長くイメージが尾を引く。
無頓着さは「夕暮」の表記を回避した点にも表れている。

《クリームチーズ鍋に溶けゆく(映像に外ならぬ故)こころかげりぬ》
チーズフォンデュだろうか。何しろ「( )」の効果に参る。
最後の七音が故意に乱暴だが、
映像はひとを憂鬱にさせるという認知哲学も底流している。
すると岡井が讃えたいのは「音像」ではないのか。

《キリスト教。聖書が深くこの人を貫いてゐる 医師は手段だ》
シュヴァイツァーの伝記を読んでの感慨らしい。
「。」と一字空白によって「切れ」(何たる若々しい破天荒さ)、
最後の七音の乱暴な断言がずっと心にのこる
――なぜなら岡井も「医師」だったからだ。
「医師」である文学者、鴎外、茂吉、岡井・・
いずれも「医師」は生計ではなく「生の手段」だろう。
だが掲出首の「聖書」の位置に、いずれの場合も「文学」を代入できない。
その空白感が一首の命で、「文学」ではなく、
もっと「人間的な探求性」といったものを考えるべきではないか。
となって「医師の文学」の無限恐怖も際立ってくる。

《アジアから帰りしあしたけし粒にこもる真〔まこと〕と相向かひ合ふ》
「けし粒」が不明。服に付いて
アジア行から持ち帰ったものではないとおもう。
何しろアジア→日本の道筋を理解するために
極小のものと直面せよという示唆があって、
その示唆は仏教的だが、やはり謎めいているのが「いい味」なのだった。

《朝食ののちリンゴ屋へリンゴ買ふべく出かけたる妻の自転車》
「果物屋」はあるが、「リンゴ屋」は存在しない。それが第一の不思議とすると、
句の最後が、妻から自転車にずるっと視点がズレるのが
第二の摩訶不思議だ。
歌が真面目につくられていないという感触は
この不思議感と頭韻によって凌駕され、
「実体でないもの」が一首の読後にのこる。
岡井はここで短歌の正体を明かす――それは意味ではなく音韻だった。

《利してより寝ねたる宵は細口のさよりのごとく海に眠れる》
「利す」は「排泄行為」と、これ以前の収録歌に注記があった。
岡井得意の自画像。童話的にみえつつ
最も痩身な正統魚類に自身をなぞらえた寂寥が勝る。
しかも「ごとく」の類推は形状ではなくたぶん心情からなのだ。
嚥下に労苦が要るような不如意な生物性。
童話性否定には「利す」の医学用語が奏功している。

《午ちかき日は紙の上にはだらなるかげりを生みて われ絶句せり》
五七五七までは平叙だ。一字空白ののち意外な主体の感慨が来る。
それで鑑賞軸は、なぜその程度の「はだらなるかげり」に
「絶句」したのか――この読解となる。
解答のひとつは岡井の歌そのものが「はだらなるかげり」だったのに、
先行する何かが「岡井の代わり」にもうそれを書いていたから絶句した
――というもの。だがそう解釈しても不透明さが魅惑的にのこる。

《しやわしやわと陰嚢〔ホーデン〕の襞洗ふときうしろに大き冬の夜がある》
「しやわしやわ」の擬音の苛立たしさ。
岡井には風呂場、自身の陰嚢を唄った有名歌がある。
《うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒》(『歳月の贈物』)。
かつて自らの肉の闇を、その性愛への希求により岡井は自覚していた。
ところが現在、彼の股間は「白い」のではないか。
だが闇は収まらない――闇は彼の背後、死をそそのかすべくその場所を移した。

《ドック式検査の折りに身体と心をかすめ過ぎる矢の数》
人間ドック詠か。CTスキャンなどに接しての感慨だろう。
自身を断面集積にするため、光線が走るが、
それが現在までの光陰=時間へと転化する。
いずれにせよ、肉体と時間の関係が主題になっている。
「かすめ過ぎる矢の数」の修辞には、むろん戦慄が潜む。

《あたたかき吉祥寺の街妻とゆく一番ふかい底に火がある》
吉祥寺は岡井の居住地近隣。吉祥寺の「一番ふかい底」は
井の頭池を脇の高台から見下ろして感じられるような気がするが、
あるいは駅前やその細道の迷路を「一番ふかい底」と
岡井が感じているのかもしれない。
こう唄われて、吉祥寺という、プチブルや勝ち組の似合う街が
にわかに黙示録化するような気もする。
ただし岡井は茶化してもいる。
冒頭「あたたかき」はどう考えても代替可能で、修辞に決定性がない。
それをもって一首の偶有的位置を示唆しているのだとおもう。

《十分に熟睡〔うまい〕せし故寂しくはなくなりて坐す雨のあしたに》
因果提示が意図して子どもっぽい。岡井との実齢のズレがそれで強調され、
雨の朝、バルコン前の窓で雨を視、聴く、
岡井の寂寥たっぷりの胡坐姿がイメージされてくる。
歌は一首成立の前に何があったのか告げないが、家庭不穏の雰囲気もある。

《しかし自負とはなんであらうか見る限り荒野をひとり耕すときに》
「歌の王」の「自負」だとすれば、「荒野」とは歌壇なのではないか。
啓蒙を王は望まず、農耕をそこで願う。
「しかし」と逆接からはじまる破格の構成は、
岡井自身の口語を抜き取ったという擬制により破格さを逃れる。
ミレー描く農夫の姿を、その岡井のイメージに重ねた。

《見たことは無いが逆鱗に触られたときの龍の眼のような朝雲》
朝焼けを反映して赤い雲にたいし、過剰な形容を載せ、
「それだけしかない」畸形歌。
逆鱗の由来はこうだったな、とおもいながら、
逆鱗に触れられて憤怒するのが「かつての」岡井的身振りだったともおもう。
「龍眼」は漢方薬になる植物だし、「独眼竜」の武将もおもい、
この歌は読んだ以上のイメージ形成をするともおもう。

《昨夜のみし小盞〔こさかづき〕一つ。机上には書きものの魔の影ら散らばふ》
掲出済《午ちかき日は紙の上に》と似た感慨だが、
ただしこちらは執筆の「事後」。執筆=狼藉という意味形成が生じてもいる。

《差別して生きる。差別されながら生きる。それもこまやかに差別し、されて》
同語が呪文のように反復される。
「差別」という遣いにくい言葉をもちい、
それでもそれを世情=自己の哀しみと連絡させ、
視野の広い、遥かで懐かしい光景にする。
岡井短歌ではよく覚える感慨だ。
一首をどう分節して読むかが問題となる。僕はこう読んだ。
《差別して/生きる。差別/されながら/生きる。それも/こまやかに/差別し、されて》
五・六・五・六・五・七。
見たこともない韻律だが、読み下すと不思議に心地よい。
「こまやかに」を取ると、七音の一部が六音に変わった変型短歌に変わる。
さらに「。」を一音休符と算えると六音は七音に復帰もするのだった。
岡井が金子兜太と共に著した遠い記憶の『短詩型文学論』が蘇ってくる。

《禁園の鶴をおもへば夕映えにかがやくつばさ(見てはならない)》
これも「( )」をつかった異例の修辞に動悸する。
「禁園」とは何かは、その直前の歌から解ける(連作だった)。
《皇室のあくまで遠く寂かなれわれがごときのかかはるべからず》。
鶴に隠喩して、岡井は「皇室」の何を知ったのか。
いずれにせよ散々糾弾された彼の「歌会始」への出席がなければ
岡井に舞い込むことのなかった歌だろう。

《しま馬の群が駈けてく映像をちらと見たあと〈私〉に沈む》
この「私」を前に、誰もが岡井のかつての「私」名歌をおもうだろう。
《さんごじゆの実のなる垣にかこまれてあはれわたくし専(もは)ら私(わたくし)》(『歳月の贈物』)。
だが「私」はもう庭にいる崇高な被捕獲者ではなく、
妻が見るTVの動物番組をちらと覗き見した、
室内の覚束ない擦過者にすぎない。
かつての自己神話を岡井はこのようにして破砕する。
「駈けてゆく」ではなく片言の「駈けてく」の修辞を選んだ理由もそこにある。

(以下略)



「詩手帖」の年鑑号が昨日届いた。
自分の詩篇がアンソロジーにとられ、
住所も住所録に載り、
アンケート「今年の収穫」では
多くのひと(算えてないが十人くらいだろうか)に
僕の『昨日知った、あらゆる声で』を挙げていただいた。
いよいよ「評論家専一」ではなく
「評論家兼実作者」として認知される機運が生じてきたわけだ。
望んでいたことだけに、素直に嬉しい。

ただし、僕がぜんぜん評価できない詩集のいくつかを
多くのひとが「挨拶」のつもりか
「今年の収穫」に自堕落に挙げているとも感じた。
映画のベストテンより「情実度」がぜんぜん高いのではないか。

「今年の収穫」はその意味では
透明性を欠いた場なのだった。
となって、僕と全く面識のない詩作者たちに
僕の詩集を挙げていただいたのは
反証としての透明性を結果することになるとも気づく。
これが(詩手帖のために)じつに嬉しかった。
この場を借りて、お礼を申し上げます。

一個だけ、激怒したことを。

某「詩人」が僕の詩集を挙げなかった。
そのひとは、「阿部の詩集をもう七回読んだ。
読むたびに良さが沁みてくる。
だから僕のつくった映像も送らせてください」
と今年の夏、メールしてきたひとだ。

とうぜん送られてその映像を即座に観た。
何の感銘も受けず、
前衛の方法が愚弄されていると怒りも感じた。
だからノーメンションで通した。
良くないときは黙っている−−それが僕の礼儀というものだ。

そうしたらその「詩人」は返礼のつもりか
「今年の収穫」から僕の詩集をネグってしまった。

そのひとの人格を憤るというより、
「互酬」をさもしく期待する、
その詩壇的精神性を悪むのだ。
こういう憎悪は僕の場合すごくつよい。
そのひとはずっと敬愛していただけに
この小さな「事件」を機に、
詩の世界から身を退こうかとまでおもってしまった。



「現代詩手帖」のほか、
いま店頭に並んでいる「ユリイカ」では
もっと長い稿を書いています。
母と娘の現代的逼塞に考えを及ぼしたものですが、
一面、こちらも08年詩作状況回顧を兼ねた記事のつもり。
だから詩が数多く引用されています。
併せて一本です。ぜひご覧いただければ
 

2008年12月02日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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