巨匠・魚返一真
ハイハイ、プロフィール写真、変えました。
妄想写真家・魚返(おがえり)一真さんに撮っていただいたものです。
先週の木曜日、じつは魚返さんに
インタビュー取材がおこなわれている僕の研究室に来ていただいて、
僕の今後出る本のカバー見返しやチラシなどに使用する
念願の「近影」を撮っていただく成行となったのだった。
近頃は著者近影で図柄的アイデンティティをしめさなければ
読者の受けもわるいらしく、
またその写真がイケてなくともそれは同様で、
女房などは遺影も兼ねてプロの写真家に顔写真を撮ってもらうべきだ、
そうして本の部数倍増を狙うべきだ、とずっと主張してきたのだった。
しかもそれを女房は、なぜか密かに「小池計画」とも名づけていた。
う〜ん、てごわい妻だ(笑)。
そんなとき絶好のターゲットが出現した。
飛んで火に入る魚返さんだった。
じつはこの「巨匠」のお嬢さんが僕の卒論予備演習の受講者で、
しかも僕は2001年の「悪趣味」テーマの立教サブカル講義で、
素晴しい妄想写真家と「巨匠」絶賛の1コマすら設けたこともあり、
なんたる縁(えにし)、ともなって
この「小池計画」が着々と水面下ですすめられていったのだった。
●
まさか知らぬ者もいるまいとはおもうが(オッとハスミン調!)、
魚返巨匠の作風を以下にしめしておこう。
彼の「妄想」シリーズとして、僕が所有している写真集は、
『妄想カメラ』(青林堂)、『妄想サロン』(ぶんか社)の二冊だが、
それらはすごくJフォトの「サブカル的現在」を射当てている。
たとえ脱力的に映っても、するどい着眼をそこに感じるべきだといいたい。
まず巨匠は街や郊外を彷徨する。
それから独特の勘で道行くギャルや女人に声をかける。
「僕に撮られてみませんか?
日刊ゲンダイ(当時)に載りますよ」。――つまり、スカウト。
ただし条件がある。「となると、貴女がギリギリ許してくれるまでの
【チラリ】をやっていただきたいのですねー」。
どういう催眠術or誠意大将軍をつかうのかは知らないが、
たしか成功率が一割弱といったか、
たいへんな確率で女たちを吊り上げる。
女体エロスの太公望、いかがわしさの図像搾取人だ。
その写真がいい。まず日常的な外景のなかに彼女たちは配され、
乳首露出であろうとパンチラであろうと胸の谷間誇示であろうと陰毛開陳であろうとTバックの尻っぺた見せであろうと、、、
素人エロスの一瞬の「恥しい神々しさ」がそこに晒されている。
無防備な素人の「善意」による恩寵――それがヘンに動悸を誘うのだった。
不意打ちということもある。
女のもともとの好色と顕示欲が露になっているということもあろうが、
むしろ何かが「目出度い」のだった。
地球が脱力系に織られている――その確認をうっすら強いる、というか。
それで、見せる阿呆に見る阿呆、といった嬉しいパラダイスが出現する。
こころの温泉を感じる。
魚返巨匠の視線は確かだ。
たんなる中年の女性讃美に収まらない何かがそこに組織されている。
写真があたえる動悸は、おっぱいのひろがりかたなど
整備されない女体のどこかがたえず無秩序だと明かす。
グラビア写真的でない「真の写し」。
そういうものがこちら側を、常識の隙間から突き刺してくる。
「不意打ち」と綴ったのはまさにここだった。
これはロラン・バルト『明るい部屋』の概念をつかうとわかりやすい。
その本でバルトは写真の記号機能を、
「ストゥディウム」「プンクトゥム」に二分する。
前者は学習可能な文化的文脈といったもので、そのうちに社会化される。
グラビア写真の大方はこういったもので織り上げられている。
いっぽう後者は決してそういった既存性に回収されず、
終始、個人にとっての愛着を形成するもので、
その愛着は「突き刺される」ことでこそじつは結果されている。
「プンクトゥム」の語源は「棘(とげ)」だった。
魚返巨匠の写真は、エロスをアリバイとしつつ
内実はこの「プンクトゥム」の野心的な展覧だったのだ。
巨匠は写真一点主義。「対象」の真実に肉薄できたものを選びとる。
それはいちばん露出のはげしいものとは限らない。
ポーズ、恥辱、挑発性、
女体細部の無秩序の露呈などさまざまな検出項目があり、
かならず不意打ち性のつよいものが選ばれるだろう。
その一点の写真が、撮影経緯全体をも雄弁に集約してしまう。
しかも巨匠は、スカウトから撮影過程にいたる印象記を
一点写真掲載の脇に、端的な集約名文でウルウルっと綴るのだった。
「スカウト→脱ぎ→恥しさ」というのは
AV的なサブカルのもつ時間性だが、
その時間性を巨匠の印象記もあやまたずもつ。
その磁力を受けて、一点写真が「動き出してしまう」妙味。
ドキュメンタリーは凍結され、「同時に」うごいている。
そう、「写真は動く」。
それで写真が押し殺した喘ぎを発しているような錯聴にもいたる。
映画、アニメ、音響再生装置への「欲望」が
魚返写真の表面に、サブカル的な多層すらなしているのだった。
むろんAVに本番疑惑がつきまとうように、
巨匠のモデルが偶然スカウトされた素人ではなく、
「仕込み」の可能性だってあるだろう。
ところがそうした真偽の幅は、眼前にしているものの「厚み」となって
いかがわしさの徳へとむしろあっさり反転してゆく。
巨匠の作品はAVでいえば美少女単体の要請をみたしつつ
同時に企画もののもつ「いかがわしさと悪」の社会性をも具備していた。
一枚の写真で、一本のAVと同等の価値をもつことの意味。
つまりそれは縮約の精神が礼讃されるということだろう。
むろんそれは衰退資本主義の原理にかなう。世界は縮まねばならない。
世界の女は日常性においてボロくならねばならない。
脂粉の匂いよりも、
尿臭に代表される動物臭があったほうがさらにいい。
そうした縮約が無限並列されて何かの動勢を形成しだす――
そう考えてアッとなる。
それは、ベンヤミンの静止的弁証法、アレゴリーと
すごく構造が似ているのだった。
●
――僕自身の撮影当日は、こんな流れだった。
別口のインタビューを利用して僕の「喋る姿」を撮ったのち
(しかも巨匠はその編プロの女性編集者のほうに欲情していた!)、
お嬢を連れて立教キャンパスをロケハン、恰好の撮影スポットを確保した。
それでインタビュー終了を機に研究室で僕をさらに撮ったのち
僕を連れ出し、
お嬢を助手にしてものすごい数のショットを連打しはじめたのだった。
たまたま僕の研究室に舞い込んだサラギくんとアコちゃんも
その様子を熱心に覗いていた。
巨匠は外光を徹底利用する。
光と影という世界の偶然のなかに対象を置く。置ききる。
照明器具もレフ板も、さらにはフラッシュもアンブレラもつかわない。
つうか、根がゲリラ撮影向きの存在だから
その写真も「世界を掠めるように」撮られなければならないのだろう。
光の調子は、すべて連写前に撮るポラロイドから確認する
(じつはプロティールにアップしたものはそのなかの一枚だった)。
光と影と対象の、偶然の「おめき」みたいなものを看取しているのだろう。
普段の巨匠の女人撮影の型を、僕は撮られつつ想像した。
巨匠は「お、いいですねえ、実にいい感じです」とか何とか
僕にとっては巧言令色ともとれる言葉を軽やかに撒きつつ
そこに不思議な「仁」をも発散させ、
自らハイテンションへといたるのだった。
しかもヤラセにちかいポーズをしいることを厭わない。
目線をカメラに向けてくださいと依頼することも多かった。
世界を掠めつつ、「対象との対話型」が指向されているのだった。
僕はやさぐれ編集者の経験があるから、
モデルたちを雑誌カメラマンがどう撮るかも実地に見ている。
「いいねえ、可愛いねえ、すっごいイケてる、来ちゃう」とか何とか
シャッターを切りながらさんざん褒めちぎってゆくのが常だ。
傍でみているこちらも、
「あ、モデルがジンと来ちゃった」という瞬間に必ず行き会う。
以後、モデルの眼(眼だよ)は濡れ濡れとなる。
なんというか、「撮られることが嬉しい」という本能だけの存在になり、
自意識が消え去って、いわれるがままになってゆくのだった。
そういうモデルは大体、カメラマンに「お持ち帰り」されるのだが、
こっちは平衡を保つため「アホたれめ」などと心中で悪態をつく。
で、あろうことか魚返マジックに引っかかって
その「アホたれ」にこの50男までがなってしまう。
ジンジンしちゃっているのだ。
しかもお嬢も生徒もそんな僕を見ている。
恥しい。恥しいが――この自己顕示が「停められない」。
そうしてわたしはあられもなく みだれていったのでした・・・
↑まあ、冗談ですよ♪
ともあれ、巨匠の視覚は、対象の本質を見抜く。
その確信に向け、対象の存在の質をゆるやかに移行させてもゆく。
撮られた写真をみると僕の化け物性とケンカイさが迫ってくる。
巨匠は「先生(阿部)には僕(巨匠自身)よりアブナい面がある」と
撮影ののち、さんざん褒めてもくださったのだった。
そうそう、僕は自分の写真につき
「可愛く映っている。眼がつぶらで色白に見えたらgoo」と好みをいったら、
「そんな軟弱なこと言ってはなりません」と
こちらのへっぴり腰を言下に否定されたのだった。
●
その後の飲み屋では、巨匠の写真家成立伝説をうかがった。
岳父ご所有のカメラをいじくりまわす少年期を過ぎ、
その後いろいろ職についたのち
ファミレスで働いていた30代半ば、
巨匠は突如、家族の制止を踏み切り、
啓示を受けたごとくに写真家転進をおもいたたれたのだという。
原資ゼロ。設備ゼロ。職業化のための体験ゼロ。根性だ。
いきなり雑誌社に売り込みを開始。
当時、たった一回の海外旅行経験が
奥さんとの四泊六日のハワイ団体旅行だったが、
巨匠の口吻のなかでは自身が「海外旅行写真の達人」に底上げされ、
たまたまその旅行雑誌の次の企画がハワイだったから
カメラマンに起用されるなど
ペテン師的な綱渡りの連続で急場をしのぐ。
スタジオに入ってモデルを撮れば
勝手知ったる写真学校卒業者を
勝手知らないビギナー時代の巨匠がアシにつかい、
照明環境については、雑誌の頁をビリリと破り、
「ハイ、こんな感じに」と指示して素知らぬ顔。
うっかり露出などを失敗しようものなら
相手を泣き倒してこっそり撮り直しをするなど
薄氷踏みを繰り返したという。
人を食っている。
それで人を食う写真もますます得手となったのだろう。
専門教育一切なしに一年経てばいっぱしのプロ顔をしているのだから
世の中、舐めてかかったほうがいいのかもしれない
(ただし巨匠並みの心臓の剛毛の持ち主など滅多にいないだろうが)。
巨匠が巨匠化したきっかけは、自費出版とナマ写真売りだった。
巨匠は自分の作品を写真集にまとめるのにたえず情熱があり、
無名時代はいまでいうオンデマンド出版的に写真集を続々つくった。
手先の器用さにも恵まれているらしく、
「妄想」系の写真集は当時も現在もすべてデザインが自前。
それと無名なのに展覧会をやるという無謀も平気の平左だったらしく、
いつしか口コミでマニアが集まってくる。
そのときの写真はもうすでに『妄想カメラ』と作風が同じだった。
つまり――チラリズム、素人、生々しい、の三幅対。
生々しいから、ナマ写真も飛ぶように売れる。
スタジオ内ではなく外景で、しかもスカウトで撮った原資ゼロの写真が
化けるわ化けるわ一枚八千円也。
しかも巨匠、被写体とはあらかじめ使用範囲につき了承もとってあって、
権利関係でのちのち被写体とモメることがない。しっかりしている。
むろん現在の巨匠はふつうのグラビアもインタビューカットもやる。
だが鉄道風景に女の子を配して
そこはかとないエロを連打する展覧会をやったり、
巨匠の写真に憧れる中年男たちを中心に写真塾を開いたりもしている。
写真集の企画もいつもその頭のなかに沸騰している。
エロアイデアと写真アイデアに区分がないから
輪郭のはっきりしたお手軽+実用企画もまた量産されるのだった。
●
最後に、そうした巨匠の企画による最近のプチ写真集の紹介を。
タイトルは『デパートガール』。
副題部分に「魚返一真作品集vol.1」とあるが、「2」はいまのところ予定なし。
デパガ=淫乱=篭絡容易、という都市伝説に乗っかった、
巨匠らしい、いかがわしいキッチュなタイトルといえるだろう。
で、内容はというとシチュエーション別にモデル(素人ギャル)たちが
以下の条件でカタログ的に整然と撮りわけられている。
何個ものデパートの紙袋をまんま型紙的に切り取り、
発注してそれらをミシンでワンピースに縫ってもらう
(一枚のワンピースで使用されるデパートの紙袋は一種という鉄則)。
で、その素材的に不安定なワンピ(何しろ紙製だ)をまとうモデルたちを
当該デパートの前、決めポーズで撮る、という嬉しいほど安直なものだ。
国内有名デパートを網羅。
海外有名デパートも幾つか。
それもまたそのデパートのファサードのところで撮影が敢行されている。
ゲ、海外撮影なんてカネかかってるじゃん、とビビってはいけない。
その設定での写真は、明らかな合成なのだった。
発想は、小田島等くんがわざわざスーパーの店内BGMを
無国籍性を交えたテクノ音でつくってみせた営みに似ているかもしれない。
女房がその写真集を見て、「なんてアホなんだろう」と讃嘆していた。
僕はとくに、OD★KYUギャルが可愛くてならない。
しかしその作品集を見せられて僕は巨匠に文句をいう。
「紙製ワンピをギャルたちに着せたのなら
カタログ的な静態に押し込めずに、【展開】も可能じゃないっスか」
――「エ?」。
「少しずつ鋏で切って露出部分が増えてゆく経緯を押さえるんですよ。
オノヨーコのハプニング「Cut Me」の応用、
ヨーコの前例もあるから、アートって強弁もできるじゃないスか」。
巨匠の眼光が閃く。「うーん、その手がたしかにあるなあ」。
「パラパラ漫画化も可能です」。「う〜ん」。
巨匠の眼がさらに輝く。
それはむろん、酩酊のためだけではなかった。
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今日はこの文章を書くまえも、いろいろ働いていた。
「阿部嘉昭ファンサイト」は
最近は題名未定句集の内容更新をするだけだったが、
本日、四文書を一挙にアップしました。以下。
・連詩『買えない思想』の巻=「コラボレーション」からクリック。
立教連詩連句演習A班の完成品。三角みづ紀さん参加。解題つき。
・ 連詩『親指止まって、指紋失う』の巻=
同じく「コラボレーション」からクリック。
立教連詩連句演習B班の完成品。三村京子さん参加。解題つき。
・「新詩集(題名未定)」=「未公開原稿など」からクリック。
最近の七行五聯詩篇連作をまとめはじめたもの。
・ 短篇『道の真ん中のウェディングケーキ』=
「未公開原稿など」からクリック。
立教卒論予備演習での副産物。
石倉優希さんの短篇を阿部が改作したもの。解題つき。
――お閑な折には、これらもぜひ覗いていただければ


