武田肇の春句
精神活動と季節とをとりあわせた季題に、
古来「春愁」「秋思」がある。
浅学のためかその逆――「春思」「秋愁」を聞かない。
これをもってしても、春は物憂く、思いすら覚束ない、
その空間も茫漠として頼りない一季という――
春への人心が証しされているようにおもえる。
『ガニメデ』主宰の武田肇は
詩を書くひとであると同時に俳句もなす人。
ここのところ俳句熱がとみにましているようで、
08年2月に上梓された句集『海軟風』につづき、
09年1月には句集『Bay window』も世に問われた。
どちらも銅林社発行、定価なしの私家本で
(前者は製本史上に残る縦長特殊判型のバロックセンス)、
その後者については嬉しいことに、近頃じきじきにご恵与いただいた。
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詩人俳句という型がある。
詩想は鮮やかなのだが、俳味や伝統遵守に乏しいというタイプ。
武田の句にその気味がないこともないが、
季語俳句が頑なに墨守され(句集内の並びは春夏秋冬で進む)、
そのうえで俳句発想に新風を盛ろうとする気概が鮮らしく、
そこには詩人俳句からおのずと距離が置かれて、
異彩も築かれている。
語彙は絢爛、新文法追求にも真摯で、
ときに僕のような浅学の理解を超えたり、
技巧が走りすぎではと警戒をおよぼすこともあるが、
意気軒昂と鋭気が全体にわたって清々しい。
その鋭気をいい意味で曇らすのが武田の春句だ。
春季の要請によって冒頭にしるした不如意が句へとしのびこみ、
句からは俳味がおぼろのように浮き上がってきて、
その愁いにゆっくりと囚われていってしまう。
ただしい春句の一はこの不如意性の錬磨だと武田が語るようで、
たしかにその春句では鈍い痣を心に刻印されて
三年殺しの残酷を受けるような趣もある。
するどさが霞によって一旦減殺されながら
致死量の毒がゆっくりと読み手の感覚へと浸潤してくる
――武田肇のすぐれた春句はそのようにしてある。
巷も春待ちの季節に入ったということで、
以下は上記二句集から武田の春句を中心に引用しながら、
簡単な解釈を添えてその句風の素晴しさを綴る体裁をとりたい
(原著の正字は現代略字に代える)。
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【海軟風】
《われに出る化転の藝〔わざ〕やけさの梅》
「化転(けてん)」とは仏教語にいう「善導」が第一義だろうが、
ここではそれが変化(へんげ)、転生の圧縮語にみえる。
妖しさこそが用語に嗅がれなければならない。
一句が俳句であるというメタ構造から
僕は「化転の藝」を作句行為自体ととった。
「けさの梅」に接して自然と作句が促されるなら慶賀だが、
「われに出る」の不随意性が修辞として怖く、記憶にのこる。
化け物が自分から幽体離脱し、それが俳句となる、ということだ。
《二分後も切り立つてゐよ春の崖》①
同じ句集には同巧発想のものがある。
《五秒後てふ時どこにある山躑躅》②
《天の川二秒後もほゞ天の川》③。
――どれもがいい。
眼をはなしたすきに「ふと」空間が
自らその確証を解いてしまわないかという不安が根底にある。
武田句の発明性とはこういうところだ。
ただ①、崖への「命法」は命法であることで
春の空間の定位性の弱さを逆証するのにたいし、
③にある「ほゞ」は秋の空間の定位性・明澄を深める働きをする。
つまり同巧発想は季節の特性に見事に振り分けられているのだった。
《春馬来て河の心に映る哉》
何と美しい句だろう。
「心」はcenter――「中心」の意も含むと一旦はとりながら、
河が擬人化されて「心mind」をもつようにどうしても思えてしまう。
「来て」の措辞にある、唐突、驚愕、開扉の感覚。
しかも像は「映り」だから間接性をも帯びていて、
それで句に「春意」そのものの喩が生じている。
この「心」の用語はたぶん一生忘れられないだろう。
《寝覚めれば鰆はゐずて色残る》
鰆の夢をみたというのか。形象は消えても色彩が心中に残る。
そう綴られて、さて「鰆色」とは他の魚色と変わらないとも気づくし、
「鰆はゐず」の要因が前夜みずからが食したためという
散文的読解すら成立するとも気づく。
このように句は遡及力をもって意味-因果を分解してゆく。
こうして「残る」としるされる最大のものが
春特有の「心許なさ」だという静かな逆転もが導かれる。
それでも魚篇に旁が春の「鰆」のからだに
魚族にあって特別の春色が漂う幻覚も醸成されてゆく。
《他者の葬ばかりなりけり藤の花》
生前葬といった特殊な例外を除けば
人は無論、自分の葬儀には立ち会えない。
知るべき主体が消滅しているから。
畢竟、葬儀も行くとすれば「他人」のものばかりとなる。
この不如意に、藤の花が二物衝突的に対置される。
藤は藤色ならば霞んだ色彩で薄い悲哀をともなうし、
白ならばよりはっきりした葬儀色となる。
しかし藤の花は、この語並びにより
自身が幻覚した自己死体にまで昇格してゆく。
鉛直方向に「垂れる」藤は、縊死体の喩ともなるのだった。
その自己に「藤色」「白色」が言外に装飾されるとすれば、
このロマンチシズムは自己愛的怪物のなしたものとも看做せる。
ところがそれを「死は存在しない」というエピキュロス的哲学が撃つ。
そう、句はそんな峻厳な二重構造を具備している。
《形あるものみな春ををはりけり》
春が終われば、そのなかにあった物象の春性も終焉を遂げる。
たとえば春の靴は夏の靴になる。それは当然のことなのだが、
こうして「形あるもの」と正面切って綴られて、
「形象」そのものにすでに
自己保全性が存在しないと作者が示唆しているとも気づかされる。
結果、一句読了後に、読み手の世界までゆるやかに崩壊してゆく。
このばあい「けり」の詠嘆がどこか女性的なのが良い。
むろんそうした修辞には悪意も潜んでいるだろう。
《木星に移さば花の鬱とほき》
「花=鬱」という等式が猛毒のように仕込まれているのに注意。
句は、それを遠くに置きたいという意志を表明しているが、
「木星に移さば」という仮定が非現実的なことから
作者は「花の鬱」に幽閉されているという裏事情もみえてくる。
「花」は虚心な読解では「さくら」となるだろうが、
同時に「木星」と同音の「木犀」の満開も浮き上がってくる。
結果、桜と木犀の満開が二重視覚化されたような不如意が
仮定そのものの不如意とさらに「二重化」される。
何という技巧だ。
だが、真情に迫るので技巧自体、技巧から離れてしまう。
《行き帰りみんな横顔桜人》
この句では「作者の位置」が問題となる。
花見遊山をする人々を「たえず」横に見る位置、
したがって花見という愉楽から疎外された位置に作者はいるのだった。
それでこの美しい一句が
(とりわけ「桜人」の措辞が植物と人間の合体を思わせ美しい)
恐怖を孕んでいると気づかされる。
「花」に眼をやらずに「人」に眼をやる作者は
桜にたいしては融通無碍の取捨選択権を行使している。
それは桜にたいする自己位置が神出鬼没であることも付帯させる。
この結果、一句を挟み次のさらなる秀句が生まれた。
《花曇り廻ればさみし人のうら》。
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【Bay window】
《老女ころび鶯色の埃立つ》
「埃」も春っぽいが、季語は「色」に接合された「鶯」だろう。
「老女」への想像の残酷は(「ころばせている」のだ)、
老女が鶯の化身であるという見立ての美化とも「同時」で、
結局、句は埃のつくったおぼろのなか、二つに割れている。
《毬止まるそこまで春の裾野かな》
これも「発見」ではない。
作者の想像により「毬は止まらせられている」。
この停止=停滞にそのまま「春愁」が観測されるほか、
「そこ」という指示語、
さらには「春の裾野」という修辞の意図的な大雑把さが
俳味に変じているとおもう。
「裾野」まで転がった毬を作者が見ているとして、
作者はならば「春の山」にいるのか。
そして「春の裾野」の先は、たとえばもう夏なのか。
語関係がつくる限定性はそうした疑問に応えようとはしない。
結果、不如意とともに「空間の不可思議」も際立ってくる。
《雨含む椿より人出で立ちぬ》
遠近の景。手前に雨中にひらく椿があって、
その奥にしばし隠れていたが移動により人の姿が現れた
――因果論的な解釈はそのように落ち着くしかないが、
椿そのものから人が花の精のように現れた、という錯視も導かれる。
「雨含む」という、取り立てての限定がどうも曲者で、
椿花はそれで柔らかくなり、魔法の極点の性質を帯びだすのだろう。
《てふてふと蝶はふとりつゝ耳の中》
安西冬衛の短詩「春」、
《てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。》中の「てふてふ」は
冬衛の自己要請によれば、「ちょうちょう」ではなく、
「テ・フ・テ・フ」と発声してほしいそうだ。
この武田句もそうだろう。
長音で馴致されないこの音反復と蝶の形姿が化合して
ひらひら翔ぶ蝶は、おのずと人の感覚にたいしふとってゆく。
錯覚にすぎないとわかっていても、一瞬はそう感じられる。
で、「ふとる」という語には恐怖の感覚がつきまとう。
「髪の毛が太るほど怖い」という成句があるためだ。
その恐怖が蝶を起点にして主体の耳のなかに入り、
耳孔-内耳をいわば「春の波動」でみたす――そう、読んだ。
《身体のどこの部位ともしれぬ春》
どこの部位ともしれぬ死体の一部を春に見たのか。
あるいは春との身体的同調を句の主体が感じていても、
四季トータルの「全身」のなかで
春がどんな身体的部位を受け持つかわからない、という覚束なさが、
この奇怪な俳句文法のなかに詠まれているのか。
「しれぬ」ののちに「切れ」を置くか否かで読解が変わるが、
武田本人はこうした二重性をそのままに提示しているとおもう。
《眼球の内部は暗き花の昼》
満開の桜が白昼の光に白く、あるいは銀に輝く。
眼はその盛りを受け止めつつ、
感覚の奥では眼球の内部の暗さこそが意識されている――と読んだ。
カメラ・オブスキュラの身体化。
しかし花の輝きが予め暗色を隠しもつからそうなるのではないか。
となって、歓喜の春が煉獄の春へとも変貌してゆく。
《十三時十分はなの昼とまる》
《二分後も切り立つてゐよ春の崖》と詠んだ武田だ、
時間推移への感覚は、病的なほど鋭敏だろう。
ここでは「十三時十分」という執拗なまでの修辞により、
腕時計/柱時計はともかく時計盤が「具体的に」見えてくる。
春はそうした時間の円満な円周運動のなかにある――はずだった。
じっさいは桜花の魔性の盛りがそれをも停止させてしまう。
時間が円周してゆく春の極点で、
最も春らしい桜がその停止要因として働くのだ。
だから満開後や散華にいたる前の桜は、
緩慢な進行をかたどるどころの話ではない、
時間進行に反逆する、反世界の実証なのだということ。
こうした直観が桜の満開を死へと結びつける、
西行しかり、梶井や安吾しかり。
このなかで最も端的な俳句的修辞をもってしたのが武田肇だ。
とうぜん「花の昼」という時空の魔性は
同語反復に罠と恐怖のある次の秀句をも生む。
《花の昼をんなと見紛ふをんな哉》。
《擂粉木に大小のある春の魑魅》
「擂粉木」は「すりこぎ」。それが厨の空間のどこかに並んでいる。
一般家庭で擂粉木を複数所持するのが現実的でないとするなら
詠まれているのは料理屋の空間ともなるだろうが、
擂粉木が一般家庭で何かの願掛けのように蒐められているととった。
それに大小があることから(長年に蒐められそうなったのだろう)、
大小を当然にもつ人間の俤をも湛えてくる。
否、それは人間というよりやはり「魑魅(魍魎)」のたぐいなのだ。
ともあれ、そんな感覚に導いたのは
やはり愁いと物憂さをしいる春という季節の特性だろう。
《居間に一人納戸に一人はるのくれ》
「秋隣」の人恋しさにたいし、「春隣」の感覚は物憂い。
秋の空間が清澄に分割されるのにたいし、
春の空間が曖昧・不如意に連続するためだ。
ただしこの句の場合は一家のいる空間が詠まれている。
おそらく、「納戸にいる」のが武田肇の夫人ではないか。
夫人は夫の用事を言いつかり、夫は居間に傲然と鎮座する。
詩書のたぐいをひもといているのかもしれない。
子供も出払って、春の家屋内に夫婦それぞれぽつねんといるのだが、
先にしるした「春の空間の連続性」により、
この夫婦には物憂い紐帯が築かれつづけている。
「あきのくれ」に置き換えてみて印象の変化を計測しよう。
《春昼の真中を犬は見てをりぬ》
「花の昼」につき記したように酣の春の昼は魔的だ。
それゆえに鏡花の連作『春昼』『春昼後刻』もあった。
そこでは鋭敏な感性だけが何かの(不)変貌に直面する。
しかしこの句の主体は犬。
恐怖のなかに置かれたこの犬にはたしかな俳味がある。
《てのひらの凹み物憂き卯月かな》
春は遍満している。掌を春に差し出す。
すると、春は掌の窪みに「憂愁」として降り立つ。
「卯月」の音が「疼き」と同音なのに注意。
憂愁・倦怠とは
鈍さのゆえに識閾に入らなかった疼痛のことなのだった。
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――という次第で武田肇のふたつの句集から
春の秀句とおもうものを通覧して回った。
詩的・哲学的な認識論を句体へと変化させながら、
俳句の属性に変貌をもたらす武田の着眼が明らかになっただろう。
「理」のひとなのだった。
となって、同語反復句に武田句の特性が出るとも理解されるだろう。
逆にいうと、同音反復によって意味が減少しながら、
その意味重複のズレから俳句性が姿を現すためには
熟慮と直感がないまぜになった理路こそが必要なのだということ。
最後にそれを武田の秋句から列挙してみよう。
《月うごき微塵となりぬ月のあと》
《いしぶみもいしぶみをみるひとも秋》(ともに『Bay window』)
そういえば、武田『海軟風』に最上の月句もあった。以下。
《両眼に灌がれて明月一つ》。
「両眼」は「りょうがん」と訓むのだろう。「灌がれて」は「そそがれて」。
この「一」への帰趨は清澄な秋ゆえのことだ。
それでも二つで一つを知る身体感覚が哀しい。
ただ、武田句の俳句型の論理性に慣れた僕は
いわば掲句の逆元の位置に当たる句を「妄想」してしまうのだった。以下。
《隻眼に灌がれて春月二つ》。