FC2ブログ

昨日は ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

昨日はのページです。

昨日は

 
昨日は榎本了壱さんたちとしこたま呑んで、
そののち榎本さんのご自宅兼事務所にまでみんなで押しかけ、
寺山論・俳句論・60年代論・
セゾングループ論・女性器論等を延々交わしあい、
大盤振る舞いともいえる榎本さんのご著書連続寄贈にまであずかり、
結局はタクシーで帰宅したのがもう朝の4時前だった。
こんなに愉しい酒は滅多にない。

おまけに俳句の投句にも誘われた。
僕の俳句をいい、といっていただいたのがすごく嬉しかった。

おかげで今朝は10時起き。
起きると、何と女房が家にいる。
「体調が悪くてお休みしたの」。
あほたれえ!
以後、女房のだらだらの身体性がこっちにも移り、
結局、やるべきことをだらだらこなすうち、
試写に行く気もうせてしまう。

いま女房がつくっているオムライスを食べたあと
また昼寝だろうなあ。じつにダルな一日だ。



何か散々ミクシィでの詩作発表を説いたせいか
マイミクの日記やそのやりとりが急におもしろくなってきた。

小川三郎はすごくいい詩をアップした。
うみきょん日記への僕の書き込みも詩的で、すごくいい。
なにぬねの?では近藤-高塚の連詩バトルが
血で血を洗う壮絶な成行だし。
そうそう、世の中、こうでなくっちゃ。

となってtaitaiさんもスタンザを連続アップして気を吐く。
それで以下に貼るのは
taitaiさんの四つのスタンザから僕が適当に語を拾って、
再構成したもの。
返詩のつもりで書きました。読んでみてください。



聖美術犯
扉のなかをかけめぐる
「俺を開けろ」が標語
--「道を開けろ」ではなく。
世界の膀胱がそこにふくらんで
あらゆる金色も禁となるが
鳥の目はやがて点数から離れ
指先から現れでようとする文字すら
圏点だらけになってゆく。
胡麻だな、鳥は開かない
 



榎本さんと僕の出会いのきっかけをつくった
榎本さんの『東京モンスターランド』の書評を
下に貼っておきます。
もう掲載からだいぶ経ったので許されるでしょう。
すごく柔らかく雑多で、気持いい読み応えのある本です。


○快走感に満ちた時代証言
--榎本了壱『東京モンスターランド』
(東京新聞=中日新聞08年12月7日付)


現在なら「誰でもピカソ」の駄洒落好き審査員として、小ぶりでハシっこい榎本了壱は、ワケのわからない人、と一般に認知されていると思う。
粟津潔門下のブック(雑誌)デザイナーとしてキャリアを開始、寺山修司の「天井桟敷」に様ざまな局面で関わり、盟友・萩原朔美とは雑誌「ビックリハウス」を立ち上げた。
同誌のスポンサーは増田通二のパルコ。
以後も黒川紀章の日本文化デザイン会議に参加、今は日本各地で展覧会のプロデューサーも務める。

団塊世代だが、党派を作らない。
蜜のありかをもとめるうち受粉を導く蜜蜂のような存在。
あらゆる仕事をやるのも分裂的な資質のなせる技だろう。
狙いではなく後天的に、人脈や文脈がこの人の足跡に生じてくる。
だからこの自叙伝『東京モンスターランド』も脱領域的な時代証言でありつつ、厭味のない快走感に満ちているのだ。

聖なる七〇年代対抗文化を、文化資本へ再編成させ陳腐化させた誘導剤という榎本への非難は当たらない。
彼がデザインした「季刊フィルム」のハイブラウ感と、「ビックリハウス」の、エッジが混浴のなかでとろけてゆくだらしないレイアウトの落差も、潮流変化の転写だった。
「ビックリハウス」創刊直前、榎本は天井桟敷のヨーロッパ公演参加ののち、欧州各地からインドまでを転々とした。
この記載が白昼夢に似る。
七〇年代が八〇年代になるにはこんな空位期を誰もが経過したのだった。
感銘の一節。

本が後半を過ぎ、交配者・榎本が加わった座談会記事のフラッシュ構成となる。
寺山修司、杉浦日向子など物故者の真の面影もここにたつ。
都知事選などで不思議な晩年爆発をした黒川紀章は、共生体の条件を都市デザインの分野から真摯に示していたと、このごろ考えているのだが、相互の異質さがコミュニケーションの前提だと語るここでの黒川の言が、今更のように強く迫ってきた。
 

スポンサーサイト



2009年02月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する