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『ネフスキイ』を語る会 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

『ネフスキイ』を語る会のページです。

『ネフスキイ』を語る会

 
土曜日は昼から「『ネフスキイ』を語る会」に出席させてもらう。

岡井隆さんの近来の「日録短歌」が完全開花した歌集。
840首+アルファという大部で、
それゆえそこに関わる視線は
分光器への光のように分散させられるという予感があったが、
案の定、会合も歌集のそうした巨大さを
ずっと傍証してゆくなりゆきとなった。

「未来」参加者が会場の三分の二を占める、というなかで、
平田俊子さん、林浩平さん、僕といった詩作者の面々がわずかにいる。
黒瀬珂瀾、斉藤斎藤、高橋睦郎三氏の基調報告のあとは
会合はごくシンプルに進んだ。
なんと出席者を指名し、基調報告を受けてさらに、
『ネフスキイ』の感想をマイク片手に順に語ってもらうというもの。
栗木京子、石井辰彦・・
歌作者だけが対象になるのか、とおもっていたら、
詩作者もやがて対象になり、僕も喋った。

それもあり、会合は緊張したし、
それだから出席者も精選されたのだろう。
ただ「緊張」といっても、
「未来」のかたがたは岡井さんという最大の才能に
ユーモアにあふれた揶揄も忘れない。
結果、すごく開かれた感触が空間全体にみなぎった。

僕は以前、『ネフスキイ』について
ここに書評記事を載せているのだが、
内容をもう忘れてしまっていた。
おまけに重たいので会合には当該本を持参しなかった。
で、斉藤斎藤さんのレジュメプリント
(彼の基調報告はすごくフィットした)をもとに
その場で考えたことを展開。

日録という形式が生活上の偶有性と関わり、
結局、作歌に随想性がとりこまれ、作歌行為そのものは弱体化する。
そこでは「私性」がとうぜん入り込んでくることにもなるが、
岡井隆の「私性」はかつては「肉の闇」としての重量をもっていた。

ところが現在の老齢では性愛歌の紛れ込んでくる経緯もなく、
それもあって「私」が軽量化する。
けれどもそうした「私性」、「私の軽量」は
じつは短歌形式そのものの本懐なのでもないか。

この本懐は現在若手の口語短歌作者も感じていて、
岡井短歌はあらゆる技法を自家薬籠中にしたうえでの
そうした若手の傾向への同調と反発という付帯機能をもつ。
斉藤斎藤さんの指摘した「時間の断面の小さな空間化」
(岡井はその場所をえがく詩的修辞が柔軟で平明でかつ異趣に富む)は
けっきょく岡井の身体の断面としても成立している。

もうひとつ。『ネフスキイ』は「医療者」岡井の自画像(自写)でもある
(この「ショット感覚」が大切)。
その日録にはシュバイツァーの伝記を読みすすめる経緯もあって、
「医は手段」という岡井の述懐が出てくる。
つまり「医は目的」ではない。
岡井の認識は医療的で、だから全体的なのだった。
医の文学者・鴎外や茂吉への岡井の興味も当然
(その知性は中井久夫などとも似ている)。
言い換えると岡井はまず「私」への臨床医であり、
結果、上記の機微からして、同時に短歌形式の臨床医たりうる。

岡井さんは会場の右隅最前にいた。
つまり会合全体が「本人を無視しての」一種の欠席裁判だった。
僕の席から岡井さんの顔がよくみえた。
瞑目して自分に語られた言葉を反芻し、
ときに苦笑もしていて、人間的なひとだなあと感銘をうける。

高橋睦郎さんの基調報告には動悸を誘う箇所があった。
これも略言すると、
岡井隆の短歌は短歌形式を
「教養」を盛る自由な器とした点に特徴があった。
往年は、短歌形式を教養を盛る器としたのは
塚本邦雄のほうだという謬説もまかりとおっていたが、
実際の私(高橋)は塚本短歌に教養を感じたことがない。
「生きること」と関連のない雑知識が、
目詰まりするようにひしめいていただけ、ということだろう。

語の関係性のみに注意のゆく塚本短歌は、
結局は情がなく、構造的にも体言止めが多くなる。
あとで懇親会で睦郎さんと話すと、
晩年の塚本短歌はとくにその弱点が露わになったと
睦郎さんはさらに指摘なさった。
睦郎さんとは、「草森紳一を偲ぶ会」以来。

岡井さんご自身とも懇親会で長話する。
『朝狩』ごろまでは岡井さんは左翼短歌の旗印のもと
短歌にそぐわない政治用語を器に盛り、
器そのものを軋ませる「臨界の歌人」だった。
詩型に何かを盛ること。
それは詩型から恩寵をもらい、同時に恩寵を授けることだ。

岡井短歌は以後、さらに「本質的」になり、
そこに「私」をつよく盛りこんでゆく。
その「私」を徐々に軽量化してゆくこともまた、
詩型への挑発であり、その本質化でもある・・

左翼的な立脚というのが大きいのではないか。
自分(僕=阿部)は最近、花田と吉本を精査していて、
彼らの思考にはともに
互いにあい似た反転構造があるとわかった。
つまり戦後の左翼的思考はこの「反転」を基軸にしていて、
岡井短歌を底流しているのも、じつはそれだった、
と、そんなふうに岡井さんに語った。

話題はいろいろに飛ぶ。
柄谷の話にもなる。
岡井さんは柄谷さんは詩にうといと公言しながら、
あの切断文体は詩そのものだね、などとドキリとすることをいった。

当日の収穫。
斉藤斎藤さんとは懇親会でも話をして、
クレヴァーだな、と驚嘆する。
なぜ現代詩と現代短歌は並行性をえがくのか。
それはモダニスム詩とモダニズム短歌の並行性ではっきりし、
戦争詩と短歌の戦争詠でも同断。

じつは若手の詩が「無」という吉本さんと
若手の短歌が技法的にすべて把握できるものの
情に響かないという岡井さんにまで
この並行関係がつづいていて、
それだと柄谷~瀬尾育生がしめす
ネイションステイツ内の詩語、という枠組にすべて収まってしまう。
ならばなぜ短歌はその詩型によって
「独自に」「単独に」その表現性の発展が不可能なのか。

この会は江田浩司さんが誘ってくれたものだった。
最初、江田さんが岡井さんに
「阿部さん、『未来』に入りたがっています」と紹介してくれた。
岡井さんは盛田志保子が送ってくれた
岡井隆についての僕の講義草稿の内容をちゃんと記憶していた。

聞くところでは『未来』では選者を定め、
月に十五首を投稿するのが規定だという。
僕などはとうぜん岡井さんに宛てて短歌をしるすことになる。

世界認識を盛る俳句とちがい、
短歌は情を調べに乗せて盛るものだという
変更しがたい考えが僕にはある。
ちょっと前には、高島裕さんの短歌の「情」に驚愕したばかりだ。

ところが自分は理知的人間で
情緒的人間とはちがうのではないかという自己診断もある。
だから短歌をそれほどの分量つくるとなると
自己の組織替えが迫られることになる。
はてしてできるだろうか。

二次会の席は書誌山田・鈴木一民さんの隣で
懇親会に引き続き、さんざん話す。
どんどん「濃いひとだ」という感慨を深くしていった。
睦郎さんが健啖家なのにも驚く。

さんざん酒を飲み、
珂瀾さんと連詩について長い立ち話をしたあと
帰りの電車ではアルコールが回りはじめた。
比較的早い帰宅だったのに、
京王線最寄り駅を乗り過ごし、東府中まで行く。
戻りの電車では今度は終点の新宿まで戻ってしまう。
結局、飯田橋から還るのに
普通なら一時間のところを三時間かかった。

この経緯はケータイで女房に伝えていて、
日曜日、起きてからは女房にさんざんののしられる。
「帰巣本能をうしなった犬」という罵倒には笑ってしまった
 

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2009年02月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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