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自分を試す ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

自分を試すのページです。

自分を試す

 
風邪をひいた。喉が痛い。
関節も疼かず、高温になってもいないようなので、
インフルエンザではないらしい。
どこかで寒い思いをしたのだ。
昨日の外出時から咳き込みつづけ
おかげでさっき起きるまでは
ひどい頭痛がしていた。

さて、既報のように
現在は禁煙実現に向けて
いわば助走段階にいる。

いままでなら風邪をひいて喉が痛んで
しかも喫煙により咳き込んでも
声がどんなにがらがらになろうとも
「風邪のせいで」減煙することはなかった。
そんなに苦労しても
喫煙をしたくなる、という自覚があった。
傷みきった喉に強い煙草の煙、この取合せが
喫煙の原初性イメージを形成するらしかった。
煙草吸いも必死なのだ。

喫煙年数が重なって
厄介なもののひとつに咳がある。
僕は幼年時から学童時まで小児喘息で、
鎌倉への転地療法で偶然、それが治ったのだが、
気管支は以後もすごく鋭敏なほうだ。
それが長年の喫煙で変なふうに過敏になった。
ある場所からある場所に移り、
空気が少しでも冷たくなると咳き込んでしまう。
つまり夜中にトイレに起きるときのみならず、
真夏、外から冷房中の店に入っても咳き込むのだ。

これは現在ではすごくまずい。
他者への寛容がなくなって、
菌発散者は電車のなかにいても白眼視され、
下手すれば撲殺されようという勢いだから。

話をもどす。
「いい具合に」喉が痛くなった。
しかも昨日までは、煙草を吸っていたけれども
同時に脳のニコチン受容部を遮断する
禁煙錠剤チャンピックスを服用中だ。
今日でじつは服用四日目になった。
今日から朝晩一錠ずつ、一日二錠となる。

風邪のときの常として昨日は
どんなに咳き込んでも煙草を吸いたかった。
ただそれで喉がやられ、
咳の衝撃で脳神経がずたずたになって
頭痛もものすごかった。
とうぜん、理性は風邪のこのときこそ、
煙草をやめる好機だと判断している。

ましてや現在はチャンピックスで
ニコチン刺激を遮断中。
一日一錠だったからまだ遮断は緩やかだろうけど。

この今日の風邪が禁煙の引き金になれば
それに越したことはないが、
そうならなくても、
チャンピックス効果により、現段階で
減煙がどの程度まで容易なのか、
それを自己診断できる絶好のチャンスではないか。

じつは今朝未明に起きたとき
枕許においていた煙草に手を伸ばさず
(それは僕にとって「起きる」道具なのだが)、
のど飴に手を伸ばして舐め始めた。
痛かった喉が潤ってゆくのを
ゆっくりと自覚することで起きる準備をした。
喫煙よりも意識が精確な像を結ぶまで
倍以上の時間がかかるが、よしとした。

そうしていまこの日記を書いている。

起床の瞬間に煙草を吸わなくて済むというのは
チャンピックスのニコチン遮断効果が
ある程度、実現されはじめたからだとおもう。
ただ起きてほぼ一時間経過した現在、
自己診断では、喫煙欲望が脳の奥に出始めている。
どうしようか。

体育会的に我慢を通すという選択もあるが、
この段階で一気に禁煙に踏み切ったら
かえって本番、三月三日からの禁煙週間にたいし
禁煙ストレスをあらかじめ学習してしまうことにならないか。

聖書は託宣する。「神を試してはならない」。
僕はべつだんキリスト教徒ではないが、
神をずっと試さずにきた。
悪いことをして
何か超越的な領域が懲罰をもくろむか、
それを固唾を呑んで見守るとでもいった
射幸性の高い生き方を拒否してきたのだった。

僕は自分も試さなかった。
尾籠な例でいえば、
「この据え膳を食うだろうか」と
相手を引き込んでから
自分の欲望を測ったりもしなかった。

ただ現在、ニコチン依存によって
実際は脳から気管支・肺、血管までもを
深甚に傷つけている自分にたいし
自己保存本能がどの方向で発露するかを試そうとしている。

禁煙が理性による自己保存だとすれば、
喫煙が慣性による自己保存。
僕は自己保存性そのものが大事だとおもうから
本当は禁煙・喫煙どちらでもいいのだが、
女房や学生やマイミクさんや禁煙外来までもを巻き込んで
ことさらに禁煙実行を大騒ぎしているのは、
理性と慣性との闘いにおいて
もうひとりの本能的な自己が
スト破りめいたことをしないための防備なのだろう。

むろん禁煙は他人からの強制ではない。自発的意志だ。
歩行禁煙区域がふえて生活がしにくくなったのと
ニコチン依存が昂進し、
一時間半の講義の終わりに
ものすごく煙草が吸いたくなって
どこか授業が上の空になってしまうのが厭なだけだ。
禁煙すると長いものが書けなくなる、というのは
たぶん嘘(短期傾向)だろうという確信も得た。

じつは昨日は咳き込みですごく辛かった。
会社で働く女房とケータイでやりとりするうち
ひとりで帰るのが億劫になり、
僕が読書しているサンマルクカフェに
女房が落ち合う、ということになった。

とうぜん昨日の段階だから喫煙席。
うなぎの寝床みたいな地下施設の店で
喫煙室は込み、煙ももうもうだ。

僕は20代末期に二度ほど
禁煙を試みたことがある。
そのときは一日二本程度までの減煙に一旦は辿りついた。
だが一回目は飲酒時に自己抑制がゆるくなり、
二回目は理不尽な上司に怒りストレス抑制のために、
それぞれ煙草に手を伸ばしてしまい、
堤防決壊にいたってしまった。

ニコチン欠乏のそのときは
他の喫煙者の側に行き、
彼らから出る副流煙をことさらに吸った記憶がある。
それでもニコチン補充が少なからずできた。
このときの禁煙は本数主義で、漸減主義だった。
むろんそれでは喫煙イメージが残存し、
禁煙は成功にいたらないのが眼にみえている。

ところがサンマルクカフェの喫煙席では
僕の躯が他人の煙草に不寛容という、
これまでからすれば信じられない事態が起こった。
すべて煙が自分のほうにたなびいてくる隣席が起こす問題で、
その席に坐るひとは十分おきくらいに代わった。
あるときは匂いが甘すぎてちゃらちゃらしていると不機嫌になり、
べつのときはつよすぎる煙草の煙が僕のほうに流れてきて、
落涙にいたるほど眼が沁みた。
自分ではなく他人の煙草の煙で咳き込みそうになったこともある。

あ、とおもった。
チャンピックスが効いてきているのだ。
煙草を異物として、僕の躯が「正しく」認識しはじめているのだ。

とここまで書いたところで決意。
いま口に入っているのど飴が全部溶けたら
今度は煙草刺激が自分の躯にどう分岐するかを測るために
一本だけ吸ってみよう。

咳き込みは拒絶として出現する。
脳へのニコチン充填は悦びとして出現する。
その悦びが意外に少なければたいしたもの、といえそうだ。

さっきも書いたが現状は少しだけ、
脳がニコチンをほしがっている自覚がある。
それを完全に殺すと、
禁煙ストレスを事後的に刻印してしまう。
まだチャンピックス効果が完全ではなく
禁煙挙行は時期尚早という判断なのだ。

一本吸おう
 

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2009年02月27日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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