ゼロ年代詩集ベスト
マイミク・孤穴の孤児さんから
「ゼロ年代の詩集ベスト5を教えてください」とmixiメールが来て、
綴ったのが以下の文章。
ベスト5にはならなかったし、
公平性も欠いたとおもうので、
まずは自分の日記欄にアップしておく。
こんな規格はずれのものでもアンケートに利用できるなら
孤児さんは自由にコピペしてください。
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ゼロ年代の優秀詩集の特徴は
マイナス成長時代にふさわしい
詩の結構の小ささだとおもう。
詩人事大主義の恥しさに気づいた者から
詩の些細な栄耀域へと順に入っていったようにおもう。
詩語の尊大癖、散文詩の晦渋などもとうぜん忌避され
「軽い時代」の哀しみがそこかしこに行き渡っていった
(こう書いて、誰を選定で嫌ったかがわかるかもしれない)。
程度問題で詩集の出来不出来に差が出るのみ。
これも民主的で良いことだとおもう。
80年代的「文名」はもうほぼ無効となったろう。
ただしとうとうベスト5には絞れなかった。
僕のように偏って詩書を読む者でも、
20~30は候補詩集をかぞえあげてしまうのだ。
僕以下の詩書愛好者が
幅のない読書ゆえに得々と詩集五冊を掲げうるとすれば
それは厚顔、夜郎自大の振舞とだけ注意しておこう。
そうだ。
別に倉田比羽子や小島数子や杉本真維子や藤原安紀子や中島悦子には
何の恨みもないのだけれど
選定から女性詩作者を落としてしまえばいっそ眺めもすっきりする。
つまり詩の領域から半分を度外視し、
かつ選定数を倍にすることでようやく要求に応えることができた。
ところで一般にゼロ年代(世代)詩人と目される者のみを選ぶのは
ティピカルにみえるが内実はナンセンスだ。
上述、「小ささ」が
肉体感のうち見事に貫徹されている詩集をこそ強調すべきだ。
結果、広部英一、金石稔、荒川洋治などベテラン詩人も選に組み入れてみた。
反面、まだ詩観が定着していない若手詩人は
その意気軒昂を買ってもやはり割愛した。
愛すべき知己も多いが、僕のなかで重量がまだ響かないということだ。
これらの傾向の先駆にして純粋形としては
じつは貞久秀紀や故・西中行久がいる。
ただ貞久の素晴しい詩集群は90年代後半に刊行が集中しているし、
西中の代表詩集『街・景色』も98年7月刊で割愛せざるをえない。
本当はゼロ年代詩集ベストより
90年代詩集ベストを企画したほうが、
既存価値にたいして転覆的でスキャンダラスなものができるだろうに。
なお掲出にあたっては何がゼロ年代的かも一言のみ、しるしておく。
順位はない。ただ刊行順に並べただけだ。
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松本圭二『詩篇アマータイム』(00年08月、思潮社) ※映画性
田中宏輔『みんな、きみのことが好きだった。』(01年08月、開扇堂) ※都市内口語性
下村康臣『黄金岬』(02年10月、ワニプロダクション) ※対女性執着
飯田保文『ムルロワ』(03年03月、砂子屋書房) ※やんちゃさ(破壊性)
広部英一『畝間』(03年07月、思潮社) ※形式
杉本徹『十字公園』(03年09月、ふらんす堂) ※エレガンス
荒川洋治『心理』(05年05月、みすず書房) ※地名性、人名性
廿楽順治『すみだがわ』(05年10月、思潮社) ※脱臼型レトロ
石田瑞穂『片鱗篇』(06年10月、思潮社) ※散乱性
金石稔『星に聴く』(07年09月、書肆山田) ※祈祷性
【番外】
高島裕『薄明薄暮集』(07年09月、ながらみ書房) ※抒情性(歌集です)