禁煙日記・もっと
禁煙は順調につづいている。一箇月を超えた。
際限なく進行するとおもわれた禁煙肥満もストップした。
現在はベスト体重の上4キロを
±1キロの幅で前後している。
要因は新学期が近づいて出歩く用事がふえ
そこで早歩き、階段のぼりを励行しだしたことと、
昼めしのバカ喰いをやめたこと。
夜の食事量も少し減らしてみた。
するとあっさり体重が落ちた。
女房は、意外に自制心がつよいと僕を感心している。
禁煙の副作用はいろいろある。
会うひとごとに「顔色がよくなった」「白くなった」といわれる。
体重増でも呼吸が深くなり、脂肪燃焼の比率が高まって
やや筋肉質になった気もする。
あるいは筋肉質になったのは精神かもしれないが。
体重増を牽引しているのは
もしかすると筋肉かもしれない。
そう、躯をうごかすのがラクなのだ。
それと慢性下痢の僕にしては
快便比率が高まってもきた。
この点は前の禁煙外来のときにも自己申告した。
お医者は、喫煙が下痢に結びついていた可能性、
ありますよ、といってもいたけど。
ラーメンをたべて即座に便意、
ということさえなくなってきた。
まあともあれ、禁煙肥満予防を兼ねて
このごろはよく女房と週末を歩いている。
最近のパターンは都バスの一日乗車券を購入し、
しかもその行路の途中ふんだんに
ウォーキングを加える、というもの。
もっと春めいて暖かければいいとおもう。
ソメイヨシノは最初の開花があっても
花冷えつづきで満開にいたらない。
一部咲きの枝に小さな葉まで芽吹いたり、
一部咲きの小花なのに花芯がもう深紅に染まったりと
ちょっと異変を演じている。
今年、天変地異がないといいのだけど。
ためしに一昨日=土曜日の行程を書いてみようか。
女房のケータイ内在の万歩計によると
家を出て帰ってくるまでが三万四千歩のコース。
「ちい散歩」が毎回四千歩くらいだから
すさまじい、といえるかもしれない。
渋谷駅→(バス)→慶応大学(三田)→(バス)→目黒郵便局前
→(以下徒歩)碑文谷桜並木→サレジオ教会→立会川緑道→
武蔵小山商店街(「三ツ谷製麺」のつけ麺で昼食)→
中延商店街→戸越銀座→大井町→
(バス)→蒲田(「ぼっけもん」=鹿児島地鶏料理で晩めし)
→京浜蒲田駅→品川→(バス)→目黒→帰宅
通過した区は渋谷区、目黒区、港区、
目黒区、品川区、大田区など。
新宿をターミナルにする市区、
たとえば世田谷、杉並、武蔵野の街路に
一定のイメージがあるのにたいし、
京浜東北線に沿う区にも共通点がある。
基本的に目黒、品川、大田各区の街路が似ているのだ。
道路は直線的で、家区分はわりに細かく、
旧い町工場も点在している、という感じ。
碑文谷桜並木と立会川緑道は桜の名所と知られていて、
僕ら以外にも気の早い訪問者(みな中年以上のカップル)が
ちらほらいたが、残念ながら
上述のように桜は一部咲きだった。
曇天や北風と相俟って、すごく寒々しかったけれども、
緑道では桜の幹を間近に見ることができた。
老木が並ぶゆえだろうか、
ほとんどの樹に桜の花がひこばえている。
その姿は可憐で、ケータイ写真にいくつか収めた
(その途中にあったサレジオ教会は
たしか三浦友和と山口百恵が結婚式を挙げた場所のはず)。
行程全体でいうと、品川区の二大商店街、
武蔵小山(最大のアーケード商店街は新小岩に似ている)と
戸越銀座(こちらは長さと庶民性が砂町に似ている)を行路に納め、
しかも池上を通って、ディープ蒲田まで踏破、という贅沢ぶりだ。
武蔵小山の商店街はずれでは
往年の三軒茶屋・らま舎をも上回る
カルト古本屋・九曜書房を発見。
宮西計三の旧いマンガ、大野一雄の豪華本、
中村宏の画集などを一挙買いしてしまった。
何しろ客が牛腸茂雄『Self and Others』の紙焼きのセットを
箱から出して確かめているんだから(幾らするんだろう?)。
試しに坐る店主の後ろにあった
森山大道『写真よさようなら』について
(後学のため)お幾らですか? と訊いてみた。
「45万円」の由。
たしか20年ほど前、上述・らま舎では
同じ本が15万円だったと記憶している。
森山さん、このあいだの特番効果もあるのか
人気もうなぎのぼりだなあ。
蒲田では本当は餃子を狙っていたのだが、
東急線ガード下のディープな飲み屋街、
その妖しい誘惑にとっつかまる。
最初、からあげが売りの店を狙ったのだけど
店主が六時を過ぎても未出勤。
ぼっけもんで食べ終わってから
もう一度その店の店内をのれん越しに覗くと
今度は馴染みらしい老男女で賑わっていた。
以前、心底感動した新潟のからあげ飲み屋と同じ匂いがする。
次に蒲田に来たときには要チェックだな。
晩食後、寒いなか京急蒲田まで歩いて、
その駅近くのアーケイド商店街で
たぶん地元人気No.1とおぼしい餃子屋を見つける。
「金春別館」。絶対旨いとおもう(もう常識かもしれない)。
誰か、京急線文化のひとか横浜のひと、
今度、ご一緒しませんか?
--さて禁煙日記に話をもどす。
喫煙イメージはたまに起こるが、
飲み屋にいても、同席者が喫煙者でなければ
それをあっさりと打っ棄ることができるようになった。
これで日常生活での心配が消えた。
べつにおしゃぶりなんて必要なし。
イメージが現れても深呼吸一回で解消に足りる。
こないだは三村さん、大中くんと
思い出の早稲田のもつ焼き屋さんでしこたま飲み食いしても
別に喫煙イメージとは闘ったという感触ものこらなかった。
落ち着く相手と一緒だととくに良いみたいだ。
精神的に最も変わったのが
コンビニ灰皿前の喫煙者、
あるいは歩行喫煙者らに向ける自身の目に
変質が加わったという点だろう。
前回もちらりと書いたが
これが哲学的考察に値するとおもう。
自分も一箇月ほど前まではその一員だったのに
彼らがともかく敗残者、虫けら、汚辱者といった
負性にまみれてみえるのは一体なぜか。
それは自分がその領域から脱出しえたという優越感の
裏返しにすぎないのだろうか。
いずれにせよ、喫煙者にたいして
現在の僕は感性的にすごく不寛容なのだった。
煙たがって敵意の眼を向ける、というのではない。
異様に憐憫を感じ、そうして憐憫を感じた自分を憎む、
というのにむしろ近い。
ひとつは美学上の変化だとおもう。
首都圏JRのホームでも今度全面禁煙になる、
と今朝のニュースにもあったが、
たとえばその喫煙所はホーム端に置かれている。
入構案内が出れば煙草を消し、
わざわざ乗車に急いでおもむかなければならない
不便な場所にそれはあり、
彼らが一服のために電車一台を乗り過ごす姿も
よく車窓から見かけることになる。
喫煙者から美学を奪うために
ホームの端に喫煙所を設けたことは正解だった
(田舎のJRではホームの真ん中に
喫煙所があることもままあるけど)。
つまり彼らは人間性の「辺境」にいる、という
場所分断が政治的になされたのだった。
そうされると、彼らから一挙に光が奪われる。
とうぜん灰皿が不便な場所にあれば喫煙者も
「急いでいるために」ホーム喫煙を断念するひとと
「それでも」ホーム喫煙を挙行するひとにわかれる。
その「それでも」は傍目からの観察でも感じられる。
それは即座に「妄執」といった語に転化される。
自己制御ができない愚者というより
妄執の凄さによって彼らは風景内に有徴化してゆく。
もともと喫煙者が漸減しているうえに
ホームでまで吸わなくてもいいという喫煙者も多いはずだから
ホーム喫煙の「彼ら」はすでに少数者の地位に置かれる。
「少数派」への風当たりのきつさは
日本的風土の閉鎖性によっても明らかだが、
時代精神に濃厚にネオリベが混ざってきてさらに強化された。
このとき煙草を吸う仕種は
集団的ではなく、個別のそれの集積へと変化する。
ホーム喫煙所の人影はもう重ならないのだ。
そしてその仕種を虚心にみると、
それは口唇愛を人前に晒す恥知らずなものとみえる。
惑溺を導く嗜好のなかで
とりわけみすぼらしく見えるのが
口を尖らして小さな棒状のものを
鴉のように「嘴に咥えている」喫煙なのではないか。
喫煙者は煙草を指で挟む体感もほしいから
手袋などはしない。
冬ならば手許の冷たさに耐えて喫煙をする。
その「痩せ我慢」もこちらに伝わってくるが
(とくに一箇月前までは僕は喫煙者の側にいたのだ)、
この「痩せ我慢」の姿は
予想的には彼らの不平傾斜性へとさらに短絡してしまう。
そのように擬制されてしまう。
そうした辺境・不平の場所に彼らを置いてみると
(じっさいはその置き換えが恣意にすぎないのに注意)、
彼らの社会的階層性が何ランクも下がってみえ、
服装にしろみすぼらしく見えるから不思議だ。
これが「場所分断」の政治的効果だといいたいのだった。
喫煙者が闘わなければならないのは
嫌煙ファシズムにたいしてでは本当はなかった。
この「場所分断の政治的効果」にたいしてだった。
そう、喫煙者は嫌煙の横溢には敏感だった。
だから分煙提案にはあっさりと武装解除する。
しめされた喫煙場所が
電車一台を乗り過ごすほどの不便な場所であろうと
食事の円滑なリズムを壊すものであろうと
分煙提案には「乞食のように」情愛の存在を感じ
彼らはいそいそと提案された喫煙場所に赴いてしまう。
そうしてそのような場所に囲いこまれて、
彼らは檻のなかの動物のように観察される羽目にもなる。
その観察に蔑視がふくまれていると感じるのは
嫌煙者よりもじつはたとえばホーム喫煙をする喫煙者自身のほうが
度合いがつよいはずなのだ。
「卑屈」が植えられる。
だから僕のように喫煙を経験していて、
禁煙に踏み切った者の喫煙者への視線のほうが
精神事情を把握しきって
「内在的に」冷たくなるのだとおもう。
これが実は巧妙な精神的加圧だった。
なぜ分煙としてはじまった喫煙者対策が
一挙に嫌煙・全面禁煙へと雪崩れうってゆくかといえば
たぶん「プアの等質性確保」のためだろうが、
実際は全面禁煙の一挙の強制よりも
分煙提案のほうに効果があったのだろう。
喫煙者は囲い込まれないところで
喫煙の歓びを味わう必要があった。
喫煙はもともと自由に属しており、
それを行動の自由と兼ね合わせることはできないか。
となって、歩行喫煙だけが光のみちる領域になる。
市区条例が「子供の眼と下げた腕の煙草の場所が同じ」
などを論拠に歩行喫煙をまず禁止したのは
(携帯灰皿をもつ者の混雑しない場所での歩行喫煙の自由、
という基本的人権にかかわる論議は巧妙に封殺された)
歩行喫煙を認めると喫煙者を賦活させ
全面禁煙化にブレーキがかかるからにほかならないだろう。
試しに昭和最後の日々の新宿駅から伊勢丹あたりの
地下道をタイムワープして「いま」歩いてみる。
地下道は紫煙濛々とし、視界十メートル程度。
たぶん半数以上の人間は男女問わず歩行喫煙していて、
吸い終わった煙草も地下道・床に捨てられ、
吸った当人以外にもそれを続々と踏み潰してゆく。
地下道はそれ自体が灰皿のように吸殻だらけだった。
この光景は、煙草を吸う習俗のなかに
煙草を吸う種族が誇らしげにいたということだ。
この誇らしさのなかでは
べつだん煙草を吸う仕種もいまのようにみすぼらしく映らない。
数/比率の問題はそのように作用する。
喫煙が男性の知性の印象を演出することもあったろうし、
女性のバサラや決死の覚悟を、
色気のうちに印象づけることもあっただろう。
喫煙者は非喫煙者の寛容性のなかに幸福裡に「混在」していた。
それを非喫煙者の鷹揚さの土台のうえに君臨し、
ふんぞり返っていると言い換えられて
嫌煙運動がスタートしたのだった。
これが通商摩擦問題が繰り返された80年代の日米関係のなかで
顕著なアメリカ的干渉のひとつだったのも
いまとなってはすごくはっきりとしているだろう。
「健康」の語を担保に副流煙の恐怖とともに
経済エリートの自己責任論がプラスされた。
その根が80年代、ゆっくりと植えつけられていって
90年代の細川内閣、ゼロ年代の小泉内閣と
段階的にネオリベ的精神風土が蔓延してくれば
喫煙者の理論立脚がガタガタになるのはいうまでもない。
JRホームでの「分煙」が全面禁煙になり、
市区条例のレベルだった歩行喫煙禁止を
神奈川「県」が一挙に全面禁煙のレベルに
いま格上げしようとしているのは
段階的禁煙運動が完全勝利に終わった結果だとおもう。
繰り返すがその勝利の要因は
実は「分煙」という場所分断の政治効果を
為政者が知っていた点に尽きる。
そして歩行喫煙禁止条例で、喫煙と自由の結合を不能にし
喫煙者から退路を断ったのだった。
人ごみで吸わず小型灰皿も携行していた彼らは
あたうかぎり紳士的に喫煙を続行させていたのに
彼らの協調努力一切が無に帰した。
さて、禁煙成功者が喫煙続行者に
なぜ冷たい視線を向けながら
それが嫌煙ファッショとはちがう道筋を辿るのか、
この点がもっと精しく考察されなければならない。
嫌煙ファッショとは、喫煙経験のない者(多くは女性)が
副流煙からの離脱-自らの健康維持を論拠に
眼前の他者の喫煙をやめさせるよう権利行使することだ。
これはそのままなら正当な権利行使であるはずなのに、
喫煙者、もしくは喫煙文化といった
「他者領域」への想像をいちじるしく欠落させ、
その欠落を補填するため「声高」な身振りだけをまとうから
ファシズムが印象されることになる。
禁煙成功者の喫煙者への視線はこれとはちがう。
つまり前者は後者を隈なく想像できる、ということだ。
禁煙成功者はその喫煙時代に
嫌煙主張者がいかに不寛容だったかを身に染みて知っている。
嫌煙主張者は「本質的他者」で、
そのあいだでは「説得」の可能性が今日的に試されていたのに
(たとえば原理主義同士の角逐と同じ問題なのだ)、
その機会もまた「今日的に」やりすごされてしまった。
じつは「不寛容」という精神悪弊の隣にもうひとつ、
いうなれば「不同化」という精神性が並びたっている。
「不同化」を独立不羈と換言するとそれは精神的美徳と映ずるが、
「不寛容な者を説得するために同じテーブルに着くことを
検討もせずに拒否すること」を翻訳すれば、
それは協調領域の拡大にすら寄与しようとしない愚昧に転ずる。
よくぞいった、とおもうのが「KY」の流行だった。
喫煙続行者は「KY」の位置に置き換えられたということだ。
「KY」にも二義がある。
とうぜんネオリベ的精神風土のなかでは、
「安全」を保証する等質性の蔓延によって
「勝ち組」の領土が占有される要請があるだろう
(実際は勝ち組の勝ち組たるゆえんは少数性にあるのだから
この論理機制が虚偽だとも気づかれるはずなのだが)。
ともあれそのために「空気の読めないひと」は
とりあえず負け組へと編制されてゆくことになる。
もう一方で「空気が読めなければ」
眼前の他者と対話ができない、という
コミュニケーションの本義に立ち返る必要も出てくる。
たとえば煙草を吸う者が、
「あなたの嫌いな、協調性のない、自分勝手なあのひと」と
喫煙事実の如何に関わらず、本質的に似ているといわれるとしたら。
こういう「決め付け」が暴力的な認知であっても
「空気読めない」といわれたくない自己演出のために
「あえて」喫煙者の領域から自立的に離れてみる
--近年ものすごい勢いで増えた禁煙移行者の精神機制は
たとえばこういう言い方で表現できるのではないかとおもう。
つまりアメリカ的画一強制
(実際は格差が助長されている)にあらがうために
協調的自己を錬磨すべく禁煙に踏み切る道筋があるということだ。
このときたぶん認識の逆転が要る。
喫煙文化とはその本質が植民主義の遺制で略奪的だから
墨守には当たらない--歴史的に消滅していい一つだ、と考えること。
もっというなら喫煙とたとえば纏足が同根だと看做すこと。
たとえばイギリスのパブ文化に喫煙がないとは考えられないと
歴史文化の擁護者が口を尖らす。
しかし僕は予想できる。
喫煙者の姿が消えても紫煙がなくなっても
下層者用パブは下層者用パブであるかぎり
労働者で和気藹々としているだろうと。
喫煙しないで飲み屋にいる自分自身を考えれば
こんな簡単なことはすぐわかる。
最近、中谷巌の話題の書、
『資本主義はなぜ自壊したのか』を読んだ。
中谷は非アメリカ的価値観によって
「幸福」を維持している国として
キューバとともにブータンを挙げていた。
貧困国ではある。
チベット高地の国土では細々とした農業しかなく、生産性も低い。
農地集約に適さない国土だろう。
国民はみな敬虔な仏教徒。物欲がない。
いっぽう地縁のなかで濃厚なコミュニティを築き、
地域住民はたぶん相互の個性差をも「寛容」している。
本で記憶に残っているエピソードを幾つか。
立憲君主国だったが「君主の薦めで」先ごろ民主制に移行した。
電力非供給の村で電力導入是非をめぐる住民投票があった。
導入は否決された。
理由は、電線をめぐらすと飛来する鶴に感電死の恐れが生ずるため。
といって通信手段が不便極まりないわけではなく
多くの国民は携帯電話を保有している。
森林資源の伐採は徹底的な許可制。
国をあげて自然資源の維持につとめている。
国外からの観光客の受け入れも数量制限されていて、
観光客からの精神感化がない。
その至純性が希少性・自然の美しさとともに評価され、
ブータンの観光価値は世界的に高まる一方で
外貨も倹しい生活水準を維持するなら充分に獲得されている。
国業の基本が農業という構えは終始崩れない。
それでもインフラは行われている。
けれどもたとえば道路工夫を誇り高いブータン国民はやらない。
それはインドからの季節労働者によってまかなわれる。
このブータン国民の幸福自覚度がすごく高い。
それは彼らが自然を読み、文明を読み、
必要以上を自覚であれ本能であれ遠ざけているためで、
むろん欲望抑止にあずかっているのが仏教理念だ。
ところで「自然を読む」ことと
「近隣同胞を読む」ことは同じ精神性の賜物だろうし、
それは当然、「他者を読む」こととも地続きだろう。
そうして彼らは観光客を歓待しながらそれに染まらない。
彼らの隠し持つ植民者的欲望と無縁のままでいる。
そう、この日記の結論が予想できただろうか。
「ブータンでは法律で喫煙が禁止されている」のだった。
喫煙の自由を謳う者が反体制的だという図式はもう成立しない。
反帝国的=反アメリカ的ブータンが
価値的に世界体制の外部なのは明らかだろうが、
そこでは他者と自然理解と地続きの状態で
喫煙が法律でこのように禁止されているのだった。
これこそが現行喫煙者の銘記すべき事実だろう。
文意がとりにくいかもしれない。
こういおう。
《今後、他者への想像に長けた者は
必然的に喫煙者の姿をとらない》。