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自身のゆび ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

自身のゆびのページです。

自身のゆび

 
【自身のゆび】


瀉血の要感じ次善の排尿を了へて春夜は真闇ふかしも



同寸の樹を共依存の的としてそんな木陰を蹲みつくさう



膀胱をもつ定めなら人みなも晩鐘として見えずなりたり



丘ゆ丘往く高熱の自転車もいつか乗り手を草生に落とす



月齢をもつて呼び名を変ふるまの恋や枕に相手散りぢり



剥くことを自負にしをれば時々は卓上に散るわが指十本



おのれ焼く手立てがことば、持ち重る耳も脳(なづき)へぢかに順ふ



消えるべき身の糊代をどこと決め半ばに真夜はわれを折らむか



正中の線もて魚は断罪のかぎりをおよぐ我は水飲む



幻術のやがての毛野はうすひかる老いのわたげのあまたうかぶも




卒制指導で望月裕二郎君の歌集制作を指導することになった。
彼は立教生ながら早稲田短歌を根城にする口語短歌の徒。
助走段階で出された歌にも秀吟がすでに若干みえる。転記すれば、

玉川上水いつまでながれているんだよ人のからだをかってにつかって

さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく

などなど。

これはこっちも口語短歌の水準に慣れなければと
とうとう笹井宏之『ひとさらい』、
斉藤斎藤『渡辺のわたし』をネット注文し、読んだ。
どちらも読んでなるほど、とおもう。

それぞれ、僕がおもった秀歌を引こう
(あまりに人口に膾炙しているとおもわれるものは
なるたけ避けることにします)。

●笹井宏之

ひまわりの顔がくずれてゆく町で知らないひとにバトンをわたす

街中のリーゼントへと告げられた初雪予定時刻 十二時

美術史をかじったことで青年の味覚におこるやさしい変化

いつもより遠心力の強い日にかるくゆるめたままの涙腺

フロアには朝が来ていて丁寧にお辞儀をしたらもうそれっきり

思い出せるかぎりのことを思い出しただ一度だけ日傘をたたむ

ファールっておもったときの地平線 あおくってひとたまりもない

どんなひともひかりのはやさたもってる みえたしゅんかんにみえてしまう

シャッターを切らないほうの手で受ける白亜紀からの二塁牽制

ひとたびのひかりのなかでわたくしはいたみをわけるステーキナイフ


●斉藤斎藤

あなたあれ。あなたをつつむ光あれ。万有引力あれ、わたしあれ。

背後から不意に抱きしめられないと安心しているうなじがずらり

あるあくる朝めざめると左手は洋梨をにぎりつぶしたかたち

リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる

ふとんの上でおかゆをすするあと何度なおる病気にかかれるだろう

それぞれのひとりをこぼさないようにあなたのうえにわたしを置いた

ぼくはただあなたになりたいだけなのにふたりならんで映画を見てる

めざめるとひし形だった天井を正方形にちかづけて寝る

横断歩道の手前でかるく立ち枯れていちまいの葉を裾からこぼす

寝返りにとりのこされて浮かんでるひだりのうでを君にとどける




口語短歌はこのレベルだと
平明さへの注意とともに精神の瞬時の集中が要る。
その軽やかさ、柔らかさは、
詩神と緊張ある取引の果てに舞い降りたものだ。
これらは塚本亜流の重々しい駄作とはまったく基準がちがう。

斉藤さんとはこないだ岡井さんの会で話した。
それにしても笹井さんの夭折が惜しい。
どちらの才能も、口語短歌流行初期のそれよりも
僕にはしっくりとくるが、
それは時代の照準が彼らのようなタイプに合ってきたからだろう。

試しに僕も口語短歌をつくってみようかとおもった。
けれどできなかった。まだ軽さの達人になりきれていないのだ。
それでも上に掲げたものは発想が口語になっているとおもう。
ご参考までにアップしておきます
 

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2009年05月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(2)

例の二歌集と僕の作品、
さっそく読んでいただいてありがとうございます。

ライトバースやニューウェーブの旗手とされる歌人たちには、
意識的にせよ無意識的にせよ、塚本への憧れがあって、
前衛短歌がやり残したプログラムを口語の導入によって完了させるという
自負があったように思います。

一方、斉藤斎藤や笹井宏之といった
ポスト・ニューウェーブ世代と呼ばれる歌人には、
その反動というか反抗というか、
名詞の衝突をおもしろがるだけでいいのかという危機意識があって、
そこが塚本からの距離を生んでいます。

ただ、これらの才能を発掘したのは、
奇しくも加藤、穂村、荻原のニューウェーブ三羽烏です。
ということを考えても、やはり、斉藤や笹井の登場は
「時代の照準」なのでしょう。

「丘ゆ丘往く高熱の自転車もいつか乗り手を草生に落とす」の歌、
ひとりで走っていってしまう自転車のビジュアルが魅力的です。
ただ、先生の短歌は全体的に、一首中の要素が多すぎて難解な印象。
もっと削ってポイントを絞らないと口語短歌の「軽さ」はでませんよ。
なんつって偉そうに…

2009年05月19日 望月裕二郎 URL 編集

あはは、そうだね。
もっと要素を削って軽くするか。
大学時代にちょっと短歌をつくったときも
そういう傾向があって
そのときは僕は作歌をやめてしまった。

あ、きみにもらった「早稲田短歌」にも秀歌が目白押しだった。
今度それを抜粋紹介しながら、
また口語発想の短歌に挑戦してみよう。

ただ、当面は所属同人誌のため俳句をつくらねばならず、
現在は読書も俳句への傾斜を高めています。
俳句・短歌は同時進行は難しい。

そうだね、短歌ニューウェイヴ第一弾の歌人たちは
反動でもなんでも
塚本邦雄との距離を意識してた。
笹井・斉藤にはもうそういう対抗軸もない。
ないことで真空のなかに立ち、
崇高な真空斬りみたいな歌作となっている。
喩で自身の歌を保証した前世代にたいし、
斉藤、笹井のほうがたぶん真剣な瞬間性がある。
だからまあ「切ない」。

本当は彼らと併走する位置に盛田志保子もいるはずだ。
ただ彼女は原資に
葛原妙子と水原紫苑をもっていた。
それで原資が枯れる、とか
ブレーキ要因を歌作にもってしまった、ってことだね。
僕は彼女の復活を待っているんだけど

2009年05月20日 阿部嘉昭 URL 編集












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