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代田物語① ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

代田物語①のページです。

代田物語①


【代田物語①】


星のよるをひと晩あるいて下駄の歯のあひだにたまつたひかりをあげる



眼圧のたかさのままに緑内障、みどりの奥の障りにみとれる



数人のをんなはすでにカレー粉で無価値なんかへきいろく絡む



目鼻おとすシャワーを浴びて大悲日は肉の嚢となり横たはる



三塁打に何か傷ふかいものをみた。その外野にも七福神が



禁煙の三つきが経つてもう煙の昇天芸もやらない僕だ



だからといふわけでもないが腰に銀の鎖をつけて北をみてゐる



しじまつて「肉魔」と書いても良いかもね。ずつと静かな抱き寝がつづく



代田あたりのだいだらぼつちの足跡でかつてプラハの学生を抱いた



現象に減少はある。それならば軽くなるべく書を読みつくす




何か軽い足どりがほしくて
またもや口語短歌に挑戦してみる。

まえにも書いたかもしれないが、
口語短歌はこころを顫動状態にして
たまゆら通過してゆく詩神をつかむ。
しかもその全身を捕縛するのではなく
蝋のような片腕だけをもぎとるのがこつだ。
その全身はおのずとまぼろしとして現れる。

その瞬発の機微にたいし
何か良い言葉があったはずだ。
貞久秀紀さんに送っていただいた
編集工房ノアの雑誌「海鳴り」で
三島とコクトオ(とラディゲ)について書かれた
三木英治さんの文章に
待望の一節をみつける。
コクトオがラディゲを追悼した有名な文だ。
細部を失念していた。



天は、手を汚さずに僕等に触れる為めに、
手袋をはめることが間々あるのだ。
レイモン・ラディゲは天の手袋だつた。
彼の形は手袋のやうにぴつたりと天に合ふのだつた。
天が手を抜くと、それは死だ。

〔…〕

この種の死を、真の死だと思つたりすることは、
空つぽの手袋を、
切断〔きら〕れた手首と間違へるのと同じことである。



望月裕二郎くんには「早稲田短歌38号」をもらっていた。
ここにも口語の秀歌が数多くある。
彼に約束したので、それらを抜書きしてみよう。
読者がそこから「瞬間への崇敬」を高めてくれれば幸いだ。

【梶原由紀】
軽トラに乗せられているじゃがいもの傷から光る汁が出ていた


【酒井孝明】
流体に完全解を与えたら必ずお前を滅ぼしてやる


【柴田小夜子】
こんな寒い夜にわたしが怖いのはかたちを変えるものたちである


【高田一洋】
深更の野球場にて寝ころんでひとりは広く星を含んだ

何かあるような気がして冬の夜のベランダにそっと発条を置く

ひっそりとひかりの層を重ねゆく春の窓辺に溜まる埃は

金属の釦を撫でる冷覚で初夏の照度をはじめて知った


【田辺広大】
捨てられた都ばかりが大きくて今は胎児に帰るうみへび


【五十嵐菜見子】
くちあけてシャワー浴びても透明なものになれないわたし肉色


【吉田恭大】
八月の一番ひどい雨の日に隣人の発生と分裂


【平岡直子】
グラビアの谷間をなぞりつつ君は お腹の中はほぼ腸だよ、と

唇を離したときに日が落ちてテレビの黒い画面にふたり

引っ越した夜はビニールハンガーでちゃんばらをしてそれから眠る




転記打ちをしていて気づく。
ごつごつの現代短歌調とは異なり、
体言止めが比較的少ないのだった。

調べの回復のため、阿久津英さんが
どこかの雑誌で体言止めの多さを難詰したとは、
こないだの岡井隆さんの会での
栗木京子さんのスピーチで聞いたことだが、
つくってみてわかるが口語短歌なら
体言止めの回避もしやすいのだった。

さて俳句はどうだろうか。
僕は同人となった「かいぶつ句会」の句作でも
やはりなるたけそうしてみた
(それを今日、榎本了壱さんにメールした)。
できあがったものは自己判断では
句体も軽く、わりと良い感触だった

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2009年05月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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