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高柳重信読本 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

高柳重信読本のページです。

高柳重信読本

 
多行形式の俳句というのは、どうも苦手だ。
僕は俳句に軽みをもとめるほうだが、
多行形式俳句では改行、行アキなどに
切れ字以上の切れの効果がもとめられる。

むろんそれで空間が多層性をもって広がるが
一行の立ち・定着性をくわだてるべく
使用語彙が拉鬼ふう、深刻にもなり、
結果、世界認識のしなやかさが失われる例が多い。

というか、それは元祖・高柳重信からの句風の悪影響だろう。

ところで今年三月、角川から出た
『高柳重信読本』が大盤振舞だ。
もともと生涯句数の少ないひととはいえ、
定価二千円にしてそこに全句が載っている。
そのほかに彼の文章が併録され、
加藤郁乎、高橋睦郎らの重信生前を偲ぶ新規原稿もある。
充実の年譜だってある。

高柳重信の句を往年の僕はどのようにして手に入れたのだろう。
古書価格が高かったので句集単位ではもっていない。
詩人歌人俳人らの重信論に載った句を皮切りに
重信編集長「俳句研究」での重信特集、
角川「増補・現代俳句体系」の14巻(『青弥撒』が収録)、
それと近年になって花神コレクションとして
中村苑子が編集した文学アルバム風の一冊をもった。
金子兜太とカプリングだった朝日文庫は買いそびれた。

虹/処刑台、船長は/泳ぐかな、まなこ荒れ、など
多行形式俳句での重信の達成はむろんみとめる。
ただしいつからか僕は
俳句形式の単純要請によってできただけの簡単詠と重信が嘯く、
山川蝉夫名義の一行棒書き句のほうに興味が移っていった。
そこでは三橋鷹女、永田耕衣、赤尾兜子、
中村苑子、安井浩司などと同じ土壌で、
しかも自分の個性に軽みを掘り当てたらしい重信が、
僕の無知な眼では
すごく生き生きと句作しているように見受けられる。

なので『山川蝉夫句集』『同句集以後』を一望に手にできる、
この『高柳重信読本』を今後、重宝することになるとおもう。

高柳重信に先入観をもつひとのためにも、
『山川蝉夫句集』で僕が○をつけた句を以下に転記打ちしてみよう。



【春】

初蝶や馬上ゆたかといふ言葉

いまはむかし夜景とあらば桜咲き

午後長し人から人へと虻とんで


【夏】

少年に五月ぞ青し悲しめり

河鹿鳴けり杉山に杉哭くごとく

六月や藪を出づれば棒も蛇

山は即ち水と思へば蝉時雨

この夢如何に青き唖蝉と日本海

遠くにて水の輝く晩夏かな


【秋】

天を仰げば身の錆おつる秋なりけり

頬杖の指のつめたき夕野分

水うごき秋浜の砂うごきけり

切株は掘られて積まれ雨後の秋

足生えて足が疲れる秋の幽霊    ①


【冬】

わが顔あり野分のあとの凩に

日の正午墓の枯野を人いそぐ

枯葉走れる正門のほか門いくつ


【雑】

乱世にして晴れわたる人の木よ

早鐘の吉野を出でて海に立つ ②

尖塔を人語の闇が仰ぐなり

目覚めをるかな海おそろしとあくがれて

或る峠を三日眺めてゐる旅愁

水過ぎゆくここにかしこに我立つに

男死に男ら来ては食ふ蕎麦よ   ③

海と山と川と島見え神去る神

壜より壜へ空気を移しつづける遊び

少年老い近海いつか遠ざかる   ④

椎の木の下の亜聖の亜晩年

帆柱を伐れば神父が一人立つ    ⑤

日が落ちて火が燃えてゐる泥の中

群鴉仰いでゐるや足揺れて    ⑥

水澄んで墓のうしろを流れけり

添ひて流れる大河の水と野の水よ   ⑦

さびしさよ馬を見に来て馬を見る

衰へし夢見に鹿を死なしめる

友よ我は片腕すでに鬼となりぬ   ⑧




①《足生えて足が疲れる秋の幽霊》の可笑しさ。
諧謔の質が永田耕衣と似ている。

②《早鐘の吉野を出でて海に立つ》。
「海」は伊勢か熊野か。岡井隆の一部の歌にある
具体地理的な疾走感をおもった。
吉野は桜の時分だろう。
「早鐘」の語がもたらす疾走調により紀伊半島自体が消える。

③《男死に男ら来ては食ふ蕎麦よ》。
芭蕉《あさがほに我は食〔めし〕くふ男哉》の複数化。
それで耕衣《男老いて男を愛す葛の花》のような
「男」の重畳となった。
同時に葬列参加の無常観・悲哀も詠まれている。

④《少年老い近海いつか遠ざかる》。
これはもっと如実な耕衣句の合体。
すなわち《近海に鯛睦み居る涅槃像》と
《少年や六十年後の春の如し》との取合せだが
「いつか遠ざかる」で批評的位置が堅持されている。

⑤《帆柱を伐れば神父が一人立つ》。
重信の多行形式での名句、
《船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな》の
老境での反響だろう。
「船長」も「神父」も重信自身。絶唱にちかい。

⑥《群鴉仰いでゐるや足揺れて》
鳥への仰角視線が、鳥によって折れる。
これも耕衣に先例。《天心にして脇見せり春の雁》。

⑦《添ひて流れる大河の水と野の水よ》。
スケールの大きい、同時にこまやかな風景把握。
鷲づかみの感触に、耕衣調も感じられるが、
水と水が出会って、
「地」の消えてしまう点にゾクッとする。
これは②と同じ感慨だ。

⑧《友よ我は片腕すでに鬼となりぬ》
鷹女の名吟《この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉》
がとうぜんに念頭にあるだろうが、
句集を収めるに素晴しい一句。
むろん「片腕」は比喩。



そういえば『高柳重信読本』の目次裏に
『季題別 飯田龍太全句集』の広告も載っている。
「ハンディな廉価愛蔵版」の文字。272頁。
また大盤振舞の価格なのだろうか。買わねば。
そう、最近は飯田龍太に心惹かれ、
全集を買うべきかいなか呻吟しているのだった。
俳句は短歌に較べ声調を重要視しないが
飯田龍太は最も声調の良い俳人だとおもう。



あ、忘れないうちに書いておこう。
昨日ご恵贈いただいた山田亮太『ジャイアントフィールド』は
すごい詩集だ(いずれ書評を書くのでここまでの評言)。
今日未明に読んでいまも興奮が残っている。
双子詩の達人!
 

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2009年05月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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