口遊び
【口遊び】
不香びと、チンギス・ハンに運ばれつ砂汎域も晩春と思ふ
そんなとき便り舞ひこむ袖ゆ袂、着物のぼくが怯でふくらむ。
車中より馬上うかがふ。馬上には衣・かげろふ・人無しの恍
それほどの淋しい場所にきみと来て同じ地球儀を交換しただけ
やがて鰈の白い身を食(を)し夕暮は相模ことばに脂まはるも
車夫にして写譜。楽想のごとき妃を長塀つたひ終春へはこぶ
若葉萌え澄みわたる世の葉裏には哀ともまごふ銀のいくつか
春から夏、わたくしのしたことはただ蝶吹き消した口遊びかな
くちづけもわが口遊びのひとつとてそらごと舞へるゆふつかた美(は)し
朽ち恋のいつしん桐の樹下に置き夏まへにしてこの青凄し
●
短歌日録。
出来にやや苦しみ、三首ほど捨てた。
お気づきのようにここのところ
口語発想で作歌数をふやそうとしている。
その成果は「阿部嘉昭ファンサイト」中のネット歌集、
『ラジオ巍々峨々』に刻々加算反映されている
(「未公開原稿など」のコーナー)。
――なぜこんなことをしているのだろう。
詩的発語の「瞬間性」、それを手許に招きいれ刻印するには
口語発想で歌作をするのが一番、と考えだしたからだ
(そこで同調感覚ができ、若いひとたちの口語短歌が好きにもなった)。
俳句ならもっと安定的なものがつくれてしまう。
危うい、一行の「立ち」――宝石のような、銀色のような。
いや通常の口語短歌でも律があっているだけで、
ただ口語がつかわれ、
現在的抒情がそこに企図されただけのものも多い。
僕のほしいのはもっと一行詩的なスパークだ。
一行でスタンザをなすことだ。
そうか、もしかしたらいまやっていることは
口語短歌の趨勢とは立脚が異なるのかもしれない。
う~ん、誰かの意見がほしいなあ