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口遊び ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

口遊びのページです。

口遊び

 
【口遊び】


不香びと、チンギス・ハンに運ばれつ砂汎域も晩春と思ふ



そんなとき便り舞ひこむ袖ゆ袂、着物のぼくが怯でふくらむ。



車中より馬上うかがふ。馬上には衣・かげろふ・人無しの恍



それほどの淋しい場所にきみと来て同じ地球儀を交換しただけ



やがて鰈の白い身を食(を)し夕暮は相模ことばに脂まはるも



車夫にして写譜。楽想のごとき妃を長塀つたひ終春へはこぶ



若葉萌え澄みわたる世の葉裏には哀ともまごふ銀のいくつか



春から夏、わたくしのしたことはただ蝶吹き消した口遊びかな



くちづけもわが口遊びのひとつとてそらごと舞へるゆふつかた美(は)し



朽ち恋のいつしん桐の樹下に置き夏まへにしてこの青凄し




短歌日録。
出来にやや苦しみ、三首ほど捨てた。
お気づきのようにここのところ
口語発想で作歌数をふやそうとしている。
その成果は「阿部嘉昭ファンサイト」中のネット歌集、
『ラジオ巍々峨々』に刻々加算反映されている
(「未公開原稿など」のコーナー)。

――なぜこんなことをしているのだろう。
詩的発語の「瞬間性」、それを手許に招きいれ刻印するには
口語発想で歌作をするのが一番、と考えだしたからだ
(そこで同調感覚ができ、若いひとたちの口語短歌が好きにもなった)。
俳句ならもっと安定的なものがつくれてしまう。
危うい、一行の「立ち」――宝石のような、銀色のような。

いや通常の口語短歌でも律があっているだけで、
ただ口語がつかわれ、
現在的抒情がそこに企図されただけのものも多い。
僕のほしいのはもっと一行詩的なスパークだ。
一行でスタンザをなすことだ。

そうか、もしかしたらいまやっていることは
口語短歌の趨勢とは立脚が異なるのかもしれない。

う~ん、誰かの意見がほしいなあ
 

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2009年06月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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