fc2ブログ

涙骨 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

涙骨のページです。

涙骨

 
【涙骨】


涙骨を体内ひそかな鉤として帆につなぎつつ野をゆきしかな



装丁ミス。薬効と葉に充ち満ちたこの書にあまた「泣き別れ」あり



俺の骨の水晶部分がふえてゆき掌上じたい消えてしまつた



鬼没のため神出をした森なかで嚢の人らも泣いてながれた



ずつと心にのこしておくよ君の水は。肺胞すべてを青もみぢにして



コギトと樵、その中間のしづけさの林を過ぎて私も小切れ。



内と肉、たがひに相似る一対の悲哀がたとへば廃藩となる



奇怪とは自己洗滌のいやはてに 古経のきみを夢にみたこと



パイプ椅子折りたたまれる一切を音楽として聴く日もあつた。



あれが君の場所だつたのか 草のなか若草色の傘、閉ぢられた




どうも原稿執筆準備に心が向かない。
で、今週は控えておこうとおもった短歌日録を
如上、またもしでかしてしまった。

とはいえ授業日の昨日は好調だったのだ。
受けを狙うのが念願だったギャグマンガの授業は
(いつも笑いをとれなくて自滅する)、
コマ投影中、フキダシ内科白を読まないという
新手法を編み出して一切をクリアした。

笑いが、「リズム」「ズレ」「キャラ定着の安心性」「(脱)論理」
それと「ショモなさ」であるという点は
投影したマンガによってキッチリ実証できたとおもう。

うち、久しぶりだった古屋兎丸『ショートカッツ』は
「かわいさ」がどんな記号性に負っているか
その哲学思考の極致でもあって、もろに懐かしくなり
ひたすら薀蓄深いコギャル談義もしてしまった(笑)。

けれども現在の笑いの主流は「ショモなさ」だな。
90年代の兎丸より
90年代の花くまゆうさくのほうを新しく感じる。



入門演習では僕自身の詩(詩篇集『フィルムの犬』を抜粋したもの、
「阿部嘉昭ファンサイト」中
「未公開原稿など」の欄で全体が読める)を材料に、
D班からレジュメが提出され感想発表があった。
優秀な一年生により自分の詩が綿密に分析され、
しかも一切、見当ちがいなく褒められたものだから
嬉しくなった、というか、王様の気分すら味わった(笑)。

D班の発表を抜粋要約してみるか。

○ エロい語彙、言い回しが多々ある

○ 多い語彙=犬、少女、紫、植物、図形や時間をしめす語など
(「犬」は飼い犬のように馴化されておらず
獣性が温存されてヘン、
じつは阿部嘉昭自身ではないか?)

○ 引用出典など知識の多さがはっきりしているが
それを誇らないので気楽に読める

① 形式
・口語的表現が多用され、言い回しは日常的
・聯がなく連続的
・一人称の不在。おしつけがましくない

② あそび
・言葉あそび 和歌なども持ち込まれ 部分的には七五音韻

③ かわいらしさ/グロさ
・ひらがな表記 小動物の登場などで可愛さがあらわ
・半濁音が生かされている(音としてはラ行音も可愛い)
・文法破壊がグロテスク、読み手に負荷がかかる。
中島悦子のような断章形式なら息もつけるが、
阿部嘉昭の詩は切れ目(行間)なしに延々つづく



まあ、こんなところかな。

そういえば、授業で扱った諸テキストを「綜合」する位置に
この『フィルムの犬』がある、とも見抜かれた。

じつはこれがいちばん嬉しかった♪
 

スポンサーサイト



2009年06月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する