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燃えつきる ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

燃えつきるのページです。

燃えつきる

 
【燃えつきる】


挙止さへも紙の音するこのごろは点火ひとつで燃えつきるかも



サラダのやうな配合の野に鳥が来て 酢と油もて目をうるませた。



「通信が木立の手段」「それだから通り抜けては私が九人」



睡眠のさなか汀といふべきを春潮あふれ貝を巻くかも



たれよりも黄金のひとたそかれに黄いろく昏れてすがた残さず



頬杖をみなもととして思惟湧くも耳垂れみどり雨の憂鬱



十日めに泪となつて下りてゆく。「液体詩なる身を懸想せり」



群肝に螺鈿ちりばめ想、重し。呪ふかぎりやこの身蓬莱



おのれ編む血のたくらみに恋落ちて十字星なるきみも織られた



牧笛(ぼくてき)やこのゆふがたはむらさきの眷属だけを系にあつめる




――不調つづき。

昨日の午前は、あまりに探索効率の悪い
書棚の整理にとうとう励んだ。

ここ二年ほど読み散らかしてきたもろもろの本を
本棚の表裏二重化の徹底により
系統別・著者別へと並べ替えたのだった。

しかものちに細かいものを探しあぐねる苦労も見越した。
それでたとえば廿楽順治参加の「生き事」を
ふたつの廿楽詩集に挟み込む、みたいな工夫をつづけた。
そうね、これらはほぼ同人誌対策だったな。

むろん別れわかれになっていた
藤井貞和や岡井隆も一箇所にまとまっていったし、
判型の大きい詩集もそれなりの場所にあつめた。
こういうのをパソコンのデータ圧縮(整理)で
なんていうんだっけ。
佐藤雄一がぼくの書き込み欄で語としてつかっていた。

とはいえ整理の合間に見つけるつもりだった
市川浩の身体論の本はいまだにどこかに埋もれたまま。
当家の書棚の裏パートは、完全な藪知らずだ。

整理に結構な体力と知力をつかったので
昨日の午後は疲れてしまい、
音楽をかけながら、またダラダラ読書となった。

最近の愛聴盤は
この欄で既報の船戸博史さんのアルバムのほか、
こないだのライヴのときに買った、
アナログフィッシュの去年リリースの新盤。
彼らの初期のころに感触が戻ってこれも大好きだ。

未明、起きだして、
昨日恵贈のあった南原魚人さんの
詩集『微炭酸フライデー』を読む。
田中宏輔さんの『Wasteless Land.Ⅳ』での
僕の栞原稿に感激してのご恵与だとしるされていた。

ヘンな世界観でとても面白い。
好きな相手を自分に合うよう変革するのではなく
その相手のいる世界自体を
換えてしまうことで起こる変異。
これが南原詩の特質だという解説文に納得した。

そののち、日録短歌をまたつくってみた。
ふと気づく、僕のいまの短歌は
たぶんニューウェイヴ派でいうと
萩原裕幸さんのものの延長線上にあるのではないか、と。

そうだ、日録短歌のまえ、マイミクの日記を覗いた。
田中宏輔さんがふたつの日記で
素晴らしい俳句を列挙していた。

なかに坪内稔典《三月の甘納豆のうふふふふ》が挙がっているが、
こないだの「かいぶつ句会」でこの句に触発されたとおもわれる、
《走り梅雨いろはにふふふ頬の杖》に
僕は最高点を入れたのだった。
南々桃天丸さんの句だった。

宏輔さんが紹介する北村虻曳さんの句では
《つきあたりが息をしている内廊下》にビビる。

営業猫さんの日記からは
新たにたちあがった詩人集合サイト「六本木詩人会」を開く。
びっくり。こりゃ画期的だ。
掲載詩、意欲作ぞろい。
猫さん、僕も参加したいなあ。

panchanさんは三回連続で
安英晶『虚数遊園地』の秀逸な紹介をしている。
引用されるフレーズに毎回くらくら。
これは書店でゲットしなくちゃだなあ
 

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2009年06月18日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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