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記憶蚤 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

記憶蚤のページです。

記憶蚤

 
【記憶蚤】


坂のうへ 私ら北を遠望し刻々青い記憶蚤となる



追放はたぶん肋のごときもの横梁を縦が容赦なく割る



駄弁状の語りがあつた。病套のひとらが運ぶ黄花のやうな



SといふイニシャルさくらSさまは光ひきゐて廊をおとなふ



青舌〔セイゼツ〕とふ病を得ては弔問が蝶紋としか言へなくなつた



だつて轢〔レキ〕だろ 死なんて死など万分の礫のなかの小宇宙だろ



是〔ゼ〕の人は区域に草をむすんでは星の落下の場所をつくつた



是〔ゼ〕の人はあばらに青い電をもち心も雫にした人だつた



十月の抱擁だけはむらさきの馬群のなかへ紛れたものだ。



十月は地軸が真水ふふむから きみとの不明も草底のそこ




今日は畏敬する京都の詩人、萩原健次郎さんから
大量の詩集、掲載同人誌の恵贈があった。
詩集は『K市民』の続篇と銘打たれた『求愛』(95)、
『絵桜』(98)、萩原さんの詩集としては珍しく大判の『冬白』(02)。
すべて彼方社という大阪の版元から出されていて僕は未所有だった。
こんなに嬉しい日はない。

さっそく『絵桜』を読み、そして
『求愛』を26頁まで読みかけたところで
矢も楯もたまらなくなり、
短歌を十首ひねってしまった。
浸透を防いだのか、共鳴にまかせたのか
じつはよくわからない。

その詩を読んでいる、というだけの間柄にすぎないが
萩原さんは僕にとっては「凄みの人」だ。
誇るようにではなくおのずと
発語に妖気がひらめくが、
語は峻厳に刈り取られ除算がなされ
妖気とみたものも幻で、
そこに草枯れだけがあり、
目の歩みも詩篇に沿って
ただ再びうながされてゆく。

きびしい、厳しい「像否定」のひと。
何か宗教的確信もあるはずだ。
像否定は内在韻律への信頼と対をなしていて、
結局、詩篇の秘密に触れようとすると
音のまぼろしをつかまされることにもなる。

それでいて何かがたえず鮮しい。
たぶん「不整合」を理想境と捉えているからだ。
ときたま彼の詩線は火や液体を噴いて、
上古から現在・未来まで多時間を現前し
時間の不測性をもあかす
(と僕はよく幻想している。
詩は水墨画になったり不敵に社会を写したりもする)。

それらの所業のなかで
言葉が理想的に少ない。
その少なさが厳しさなのだが、
ストイックなのと同時に豊饒を感じるのはなぜだ。
うらやましい、とおもう。

僕は萩原詩を解明することで
詩の秘密にふれたい、とおもうようになった。



その萩原さんから
住所がこれまでわからず感想が書けなかったと但し書きして
拙詩集『昨日知った、あらゆる声で』のご感想が添えられていた。
私信公開は恐縮至極なのだが、
一節のみ引用することをお許しねがえるだろうか。



連射砲のように詩の想念が繰り出される、
激しいリズムに目が眩むようでした。
豊じょうすぎる、濃密すぎるとも感じました。
逃がしてあげる、詩を余白へと破ってあげる、
そうした実の詰まっていない余地がないと思いました。



なんと見事に僕の詩の軽薄、弱点が
ふくみの多い修辞でしるされていることか。
襟を正した。
そう、「詩を逃がす」ために
僕自身その後の詩を模索しようとしては
いまだに失敗の連続だ、という気もする。

萩原さん自身のために抗弁するが
この萩原さんの言葉はけっして尊大ではない。
上の言葉は次のような詩を書いてしまう
萩原さんならではのことなのだ。

詩集『絵桜』のなかから引用しやすいという理由で
次の詩を部分転記します
(人によっては永田耕衣の俳句を聯想するかもしれない)。



【笑える鯉】
萩原健次郎


まっさかさまに池のなかへ落ちていった。

背中をつつかれ
ちいさな口で吸われ
眠っているうちに
緋のうみに。

まんなかで生きている鯉の
笑顔
それにならって
群全体が笑っている。

それが私にもおかしい。
声のない真空で
輪になって
うつろの、水の穴で、

そんなこともあろうかと、皮膚を鍛え
頬をばしばしとしばいていたのだが
無意味に終わるとは、情けない。

昼の陽に照らされて
まんべんなく、池面は光っているのだが
まるで生気のない
どんよりとした濃緑で

しゅぽんと
垂直に入水すると
波ひとつ起こることなく
ただただ、しゅぽんと消えていく。

ああ、あなたは
笑える
笑える
手足のない、ぬるぬるの淡水魚で
目が離れている。

どこから見ても、派手な緋の身体で
水中の気配という気配に唇を向ける。


〔…〕
笑える鯉の
眼には
メタリックな音楽が流れている。

やわらかい皮膚を刺すような
削ぐような。

電子のコサック合唱団の、
光を見る
光を切る
一瞬の速度で

音楽がすり替えられる。


笑える蛙もいる。
 

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2009年06月23日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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