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阿部嘉昭の八〇年代 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

阿部嘉昭の八〇年代のページです。

阿部嘉昭の八〇年代

 
「酒乱」第三号、特集=八〇年代詩を、
高塚謙太郎さんに送っていただく。
特集を読む前に、自分の八〇年代とは
何だったろうかと考えてみる。

最初の二年間が大学生で
以後は不安定な編集者生活、
もしくはネクタイをしめて
一部上場企業の、映画製作部署にいた。

バブルの恩恵はこうむっていない。
後半に学生時代の映画みまくり生活が復活しているが
ちょっと年少の「映画小僧」たちとは
感性的に一線を画していた自覚もある。

「酒乱」巻末には、
八〇年代の代表詩集のリストが載っている。
驚くほど同時代的には読んでいない。
吉岡実、那珂太郎、吉増剛造、平出隆、稲川方人、松浦寿輝など
わずかな詩人の作品を選んで読んでいただけで
すると僕は八〇年代、ほぼ詩から離れていたのだった。
相対的に詩がつまらなかった。
不勉強もあったけど、稲川方人にしか戦慄していない。
七〇年代は結構「詩手帖」を愛読してたんだけど。

粕谷栄市にしても井坂洋子、中本道代、倉田比羽子にしても
あるいは荒川洋治などにしても読んだのは事後的で、
その多くは二○○○年代に入ってからだ。

では八〇年代に僕は何を読んでいたのか。
前半は隠者生活で、フランス文学(翻訳)を読んでいた。
つよく印象をのこすのはプルースト、ブランショなどで
やがて後半になってバルトなんかもひもときはじめる。

その合間、詩を読みたくなると
歌集をひもといていた記憶がある
(「俳句研究」なども読んでいた記憶があるのだが)。
塚本邦雄から離れるいっぽう、
旺盛に歌集を出す岡井隆を追いつづけ、
八〇年代空白だった女性詩の体験のかわりに
山中智恵子や安永蕗子の歌集を出るたび読みついでいった。
角川「短歌」で最終的に『をがたま』にまとまる
葛原妙子の歌作群を、その奇異さを喜び読んでいたのは
八〇年代も前半だったかもしれない。

ただ俵万智ブームには辟易してしまう。
その歌はコピーライティングのレベルで読み、
そのレベルで駄目だとおもったのだった。

八〇年代といって僕がイメージするのは、
コミックでいえば江口寿史『爆発ディナーショウ』みたいな
モザイク引用型の文化批評のたぐいで、
音楽でいうと、戸川純たちのヤプーズみたいな感じになる。
この流れでおもしろい雑誌が多々あった。

この感覚を文芸に移すと高橋源一郎になるのだろうが、
小説にはあまり手を伸ばしていない。
中上健次くらいだが、これはスケベさで読んでいた。
『水の女』から彼に嵌ったのだった。
むろん映画の影響による。

いっぽう当時の僕にとってサブカル評論のスターは
相変わらずの平岡正明のほかは橋本治だった。

おもいかえすと僕の平岡さんの読み方はちょっと変で、
谷川雁、竹中労的「蒼古」の現代的対応、
朝倉喬司的犯罪評論の併走など
多元的意味をこめていた。
平岡さんには屈曲がない。文体はそうだった。

もうひとりの橋本治は文体的に屈曲があるようにみえるけれども
じつは驚くべき「正論連鎖」。
最後の一文で、煙に巻いて迷宮をかたちづくるのが彼の癖で、
この、破線ではなく正線の連鎖のつよさ、に憧れた。

八〇年代的なものとは、
江口寿史のニューウェイヴ的おしゃれ、
平岡さんのサブカルパッチワーク(実際はザッパみたいだ)とともに
この無駄のない(スッキリした)正線連続というのがあって、
これが断絶をも孕むと柄谷行人の文体になる。
そういえば柄谷には八〇年代後半、すごく親炙した。

むろん仕事の関係もあって
後半になって異様に読み始めたのは映画評論本なんだけど、
蓮実重彦はエピゴーネンが蔓延してしまい、
じつは映画評論の論理展開には、その柄谷を意識しはじめた。
同じことを当時の早稲田の映画研究の精鋭学生もいっていて、
柄谷は映画的思考には援用できない、
などと僕自身は韜晦してたっけ(笑)。

ということで「詩心」はつづいていたのだけど
じつはそれは詩集を読むことによってではあまりなかった。
歌集、サブカル全般、そして柄谷などが備給源で、
そういう徒輩は案外、僕の世代には多いのではないか。

そしてたぶん、女性詩をみなおすことで
たぶん詩の世界にもういちど、注意を向け始める。
僕の場合、きっかけは誰かなあ。小池昌代さんあたりか。
いや誰かいたような気がする。

「八〇年代はスカだった」的な大月隆寛的な発言は
九〇年代初頭にはすごく盛んだった。
新保守陣営特有の発言で、
自分への九〇年代の呼び水を期待するさもしい発言だから
そこに信憑を置いたことはない。
けれども八○年代の僕自身は、徹底的な「スカ野郎」だったなあ(笑)。

ただ八〇年代に僕は「アジア」を発見した気もする。
魯迅なんかを頑張って読んでいた。
象徴的な人材は侯孝賢あたりかもしれないなあ。
あとでそれはエドワード・ヤンに訂正され、
中国へのナヴィゲーターには草森紳一なんかも加わるんだけど。

そうそう、八〇年代の僕は
映画製作の場にいたとき以外は壊滅的にモテなかった(笑)。
見た目は変なリーマンだったろうけど、
おたくとおもわれていた公算がつよい(内実はちがったが)。

そうそう、八〇年代にはメディア的楽園もあった。
AVだった。

あとあと、八〇年代文体の象徴をつくったのは
中沢新一だったということになるのかな。
僕が彼を一所懸命読みだすのは九〇年代に入ってからだ。
いやちがう、「お茶」をテーマにした映画のイベントで
中沢さんをお呼びして
あまりの知識と思考力にびっくりして読み始めたんだった。
それまでの彼は僕にとって胡散臭かった。

いや八〇年代の象徴文体はドゥルーズの訳文か。
これらはじつは当時の日本の詩に影響していない。
この点でこそ、詩と散文が乖離し始めたのだとおもう。
村上春樹にはまったく興味が湧かなかった。
そんな詩もなかったんだけど


【その後のセルフ書き込み】

バブルの恩恵をこうむっていない、というのは
残業手当などで処分できない所得があったり
いやになるほどタクシー券をもっていたり
バブリィなギャルと
バブリィなセックスをしたりはしなかったということだ。

日ごろはほとんど、ウジウジ映画をひとりでみていた(笑)。
たまのアフター5娯楽が、
同僚(ギャルふくむ)との
比較的地味なカラオケだった。

当時はまだボックス化していない。
パブでのカラオケは
順番待ちがすげえ、うざかった。
ただ、キョンキョンを唄う同僚(20代半ば)に
朴訥に胸キュンしたりなんかしていた(笑)

なんか切ないなあ♪

キョンキョンはそういえば象徴的才能だったね。
たけしより80年代的な感じがする。
「ベストテン」も隆盛期だった。
けど「おニャン子」オンパレードで
もう潰れかかっていた、80年代後半。
なにしろ当時はAVの子が信じられないほど可愛かったし

音楽は、最後に「バンドブーム」になるんだけど、
やっぱ半ばはスターリン、町蔵、じゃがたら、なんか?
佐藤寿保なんかはこのあたりが好きだったんだろう。

僕は前半、ユーロニューウェイヴに惹かれたあとは
退嬰的にすごした。
ジャズのほかは、60年代おたくみたいな
レコードの買い方をしていた。
牙城は六本木WAVE。

WAVE行って
帰りにシネヴィヴァン六本木というのは
恥ずかしかったけど僕のパターンだったなあ。

あ、そういうことでいうと
僕に80年代の音をもっとも告げたのは
マーク・ホランダー=アクサク・マブール=
ハネムーン・キラーズ
だったりする

ま、映画でのスターはやっぱり相米慎二だったなあ
ありきたりだけど

意外にアメリカ映画はみていた。
ロバート・ベントンなんかが好きだったりした

80年代は女の子の服装が黒くてねえ。
眉毛のみならず、もみあげが凛々しい子もいた。
口紅=黒、というのは例外だったけど、これもたしかにいた。
でも脱がすと結構、乳臭くて

あ、三村京子、やっぱ『AVに捧ぐ』をもっと唄うべきだ(笑)



でも「酒乱」、なんで80年代特集なんだろ。
特化する意味がここに見出されているのか。
何の分岐点だといってるんだろ。
そりゃま読んでから判断するんだけどさ、
加藤治郎など象徴的な名前が見当たらないなあ
 

【その後のセルフ書き込み②】

80年代はそのラストに、
ベルリンの壁崩壊、
昭和天皇・手塚・美空などが逝去した89年が鎮座しているから
「何かの終わりへの助走」とみなされがちですが、
実際たとえば「戦後詩」の「戦後」がとれたのは
じつはもう70年代だったんじゃないかなあ、とおもいます。
やはり荒川洋治の登場が、あとで考えたんだけど大きかった。

ただ僕の70年代のフェイバリット詩人は
西脇・郁乎・吉岡・石原・入沢・天退などで、
「同時代的なもの」よりも
エスタブリッシュメントのほうに視線がいっていて、
このことに気がつかなかったのです。
本当をいうと戦後詩の別方向への転回は、
実際は詩の68年に萌芽されていたともいえ、
その意味でやっぱり吉増さんがビッグネームなのですね。

僕は読んでいたけど「麒麟」系のIQ高官詩を
生理的にまったく受け付けず
(短歌俳句が好きだったからかもしれない・・)、
結局、80年代詩が有意化されるのは
女性詩の存在によってではないかと現在は考えています。

しかも女性が女性によって定立する女性詩ではなく
その後の男性詩の遠因となる女性詩の存在が大きい。
「ラ・メール」は最初の四号程度を読んだだけ。
しかも当初は詩・短歌・俳句の鼎立状態に興味をもち
読んだ記憶があります。
「夏蜜柑ところどころに置きて鬱」とかいい俳句があった。

だから伊藤比呂美ではなく井坂洋子がでかい存在だとおもう。

まだ「酒乱」はアンケートを読んでいる段階ですが、
猫さんの女性詩への注意喚起と相即するように
たしかに座談会採録でも29頁、
久谷雉と廿楽順治の発言が重要ですね。

荒川洋治や鈴木志郎康の詩のやわらかさが、
女性詩を影で牽引したということ。
そこで僕などは泉谷明なども射程に入れてしまう。

そのあとで福間健二などがまた出てくる。
実は男性詩と女性詩の相補性というのは
もう80年代には確立的であって、
これがあとからは見えにくいところだった。
趨勢はこっちであって、「麒麟」じゃない。

福間健二への注意喚起で、
とくに「なるほどなあ」とおもいました。

僕は福間さんにお会いした最初が
93年だったかの、アテネフランセでの、
大和屋竺追悼特集が最初(映写技師はまだ松本圭二だった)で、
そのときすぐに彼の詩集を大量にもらう。
詩への再開眼はじつはそこでしたね、おもいかえすと。

福間さんのやっていることはよくわかった。
80年代詩の本質って実は複合性だったのです。
そこからするとねじめ正一も松浦寿輝もベタに映る。

僕自身は前半、短歌的喩と散文を組み合わせて
非物語詩を書いていた。

福間さんの80年代後半の詩は、
女性詩の私的述懐、身体性、それと散歩詩の枠組に
ロック詩とエリオットなどのイギリス詩の系譜を重ね、
箴言的フレーズを箴言化するか否かで
逡巡をかたどってみせる、という「複合型」だった。

その「複合型」が照れ隠しになっていて、
わかる、という感じかなあ。
志郎康→泉谷明→福間、という系譜ですね。

福間さんがいちばん複雑で、
だから荒川洋治・井坂洋子的なものにも隣接できた。

いまはその福間詩の複合性が忘れられているかもしれない。
また「ベタ」が戻ってきちゃってる。
僕が叛旗をひるがえすとしたら
そういう風潮にたいしてかもしれません。

「ベタ」の要因はわかるのです。「野心」です。
これ、じつは他人事ではなかったりもします・・・



「酒乱」の座談会、あるいはアンケートを途中まで読んでいて、
うんと若い詩人はいざ知らず
(しかし久谷くんみたいな例外もいる)、
みなさん、80年代に詩の世界から
執念で離れなかったなあということに感激したりしてました。

僕は軽薄にも映画に奔った恰好で
(北爪さんがその良いパターンですね)、
それは詩の社会的重要度が薄れていった時代の趨勢だけども
この感覚をもたなかった詩作者もずいぶんといたわけです。
これが奇異にうつる。
これほど詩作者の名前「だけ」に限定して
あのバブリィな混沌時代を語りきれるなんて・・・

その意味で80年代後半、詩から離れた、
という廿楽さんもリアルによくわかるのです。
「こんな自己閉塞のオンパレードに付き合ってられるか」
「世界にはもっと重要事がある」ってことでしたね、僕は。

僕にとっては90年代は
座談会でみなさんがおっしゃるような更なる暗黒時代で、
ゼロ年代になって出てくる名前によって
ようやく逼塞がとかれた、という感じです。
その「新しい名前」には、じつは廿楽さんのように
年齢的に自分にちかいひともいてびっくりする。
うみきょんは何度もいうようにかなり下(笑)

80年代の僕の女王というと
キョンキョンや戸川純という言い方がひとつ成立しますが、
もうひとつ成立する。
コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーですね。

僕はのこっている写真をみると
80年代、ひじょうにダサかったんですが、
自分の感覚では精神的に
えらいおしゃれな感じがのこっていて・・

80年代回顧はじつは
この落差との闘いだったりもします。

 
 

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2009年08月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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