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顔出し ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

顔出しのページです。

顔出し



「顔出し」を僕は以前、きらっていた。
それは、モーリス・ブランショがあらゆる出版・新聞関係にたいし
「顔写真の掲載不可」を貫いていた姿を
青年期の僕がずっと範にしていたからかもしれない。

そう、「書く主体」には文字だけが現前すればよく、
背後の肉体などは書かれたものにはいっさい無縁だ――
こういう清潔な峻別がブランショにはずっとあって、
それは当然「テキスト」のみを扱う彼の批評態度とも直結していた
(やがて彼はそういう一生を見事に全うしてしまう――
ただしパリの5月、「68年革命」時のブランショの写真は
マスコミの興味本位で「流出」してしまったらしいが)。



そういえば――
まだ僕が社内原稿だけを書いていて
インタビュー写真も公になっていなかった時分、
アテネフランセで何か「凝った」作品を見ていて
いきなり見ず知らずの年少者から
「阿部嘉昭さんですよね?」と呼びかけられたことがあった。
すごく吃驚した、というより感覚が恐怖にちかかった。
「阿部さんの映画批評は花田清輝の現在形ですよね?」とか
いきなり突っ込んだ質問もなされ、
それなりに相手からの敬意が感じられたが、
最初に覚えた恐怖はずっと自分の躯に澱としてのこった。



けれどもそんな臆病も大学で授業をやるとフッ飛んでしまう。
マイミク「ちくびたいけん」らとサイトの林檎鼎談書簡の打合せで
江古田で呑んだときの飲み屋では
前年、所沢で教えていた(僕にとっては見ず知らずの)日芸生徒と
本当に「これでもか」というほど次々に邂逅し、
「あ、先生」と呼びかけられつづけた経験がある。
もうこの顔は「晒されている」のだ。
潔癖を「童貞的に」貫いたって意味なぞない(笑)。

そういえば昨年末、三軒茶屋に七尾旅人のライヴを見に行って、
休憩時間に七尾旅人自身から絡まれたことがあった。
風体が他の客と較べ異様だったのだろう。
七尾さんから「職業何? 年齢は?」などずっと「訊問」されるが
こちらは年長者の余裕でずっとへらへらトボケつづけた。

そしたら翌日、誰かのmixi日記で
「批評家の阿部嘉昭が七尾旅人にからまれていた」と
さっそく書かれていた(笑)。
「先生」と書かなかったところをみると、
僕のインタビュー写真を何かで知っていたのだろう。

「先生」ということであれば
ミヅマアートギャラリーで近藤聡乃の展示をみていたとき
立教の元生徒からいきなり声をかけられたことがあった。
彼女がミヅマのキュレイターで活躍していると聞いて、
こちらはすごく嬉しかった。

以後、ミヅマからは案内状も毎回届くようになる。
こないだの上野の森美術館の「会田誠&山口晃展」、
あるいは先週日曜、
練馬美術館で見た「山口晃展・今度は武者絵だ」などは
そうして案内に促がされて見にいった。

(ちなみにウチの奥さんはどうも、画筆の細密性によって
リアリズムが幻想に反転する画家の系譜が好きみたいで、
最近はそれに「和調」傾斜が絡んだらしく、
伊藤若冲と山口晃が現在の大フェイバリットだ――
練馬ではその山口が若冲の一生を双六形式で描いていて、
女房は具体的なその「一致」に接し、めちゃめちゃ狂喜していた)



自分のイケてない顔を晒してもいいんだ、
そうおもうようになって、自分の書くものにも変化がおこった。
以前の僕の評論は一人称主語がなく、
やむなく使用する場合も、
「筆者」「評者」などととりわけ中性的な主語をもちいていたが
この禁則も最近はゆるゆるとほどけてしまっている。

詩をふたたび書き出したのが大きい。
それとmixiで日記を書き出したのも。
主語がないと、詩も日記も僕の場合さすがに定位できないのだった。

ただ、そのような肉体性が
自分の書くものに裏打ちされていいと考えるのには
ひとつの契機があったのだとおもう。

自分の肉体が元気で生臭いうちであれば
僕は日記も詩作自体も
自分を不要に晒すものと厭ったかもしれない。
それが衰退相にあると確認できて
臍曲がりの僕はそれを自分の文に
じわじわ炙りだす倒錯的快楽に惹かれだしたのだとおもう。
もう自分は以前のように「かしましく」も「可愛く」もない。
だったらそれを「さらけちゃおう」ってことだね。
だから僕がいま書くものは「中年の反逆」の色彩もつよい(笑)。



ということで、以下は宣伝。
とりわけマイミクさんで、僕のイケてない顔を見たいひとや
僕の素軽く分裂症的な話芸に接してみたいひとはどうぞ。
何しろ、僕が公の場に出る機会がこのところ目白押し
(といったら大げさか-笑)なのだった。



9月9日(日):池袋シアターグリーン学生芸術祭の一環で
立教の演劇サークル「劇団しどろもどろ」の公演があり、
それを僕の生徒の乾亜沙美さんが作演出しています。
演目名は「揺れる部屋」。
僕にからむ開演は14時から。
公演ののち、16時40分ごろ乾さんと僕との壇上対談となります。

しどろの芝居は伝統的に往年アングラ風で、かなり「濃い」(笑)。
なので僕の肌身に合います。
っつうか、僕が昔やっていた芝居と色合いが似ている。
僕は乾さんに「学生生活と芝居」みたいな話を聞くつもりだけど
もしかしたら返す刀で僕の学生芝居時代を喋らされるかもしれない。

劇団しどろもどろのHPはこちら↓
http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/shidoro/
シアターグリーン学生芸術祭自体のHPはこちら↓
http://green55.jp



9月16日(日):
僕は昨年度、映画監督の新しい才能を顕彰する
大阪市主催の映画祭「CO2」の審査員をやっていましたが、
そこで岡太地くんという途轍もない新進と知り合う。
代表作に近視眼的ショットが異様なエモーションを渦巻かせる
ボーイ・ミーツ・ガール映画『トロイの欲情』。
僕はこれを06年度のベストテンで上位に掲げました。
(「阿部嘉昭ファンサイト」http://abecasio.s23.xrea.com)
その岡くんが新作『屋根の上の赤い女』を撮りあげて、
旧作も絡めた「岡太地特集」が池袋シネマロサで開かれるわけです。

9月16日は
『トロイの欲情』と『屋根の上の赤い女』を21時から上映。
上映後、岡監督と僕の壇上対談となります。

シネマロサのHPはこちら↓
http://www.cinemarosa.net
ここから『屋根の上の赤い女』のサイトにリンクされています。
あ、僕は「図書新聞」に岡太地論も書きます。
9月15日店頭の号です。



10月7日(日) @神田三省堂
評論家の切通理作くんが秋に評論集の新著を出すことになりました
(慶賀のいたり、おめでとう!)。
それに関連して切通君と僕が対談を三省堂でやります。
時間・場所・予約番号など詳細については追ってお知らせします



10月18日(木)、同19日(金)連日、
渋谷アップリンクファクトリー「性と文化の革命展」で
「女子」が撮った革命的エロピンク映画、
西原千尋+三浦祐美共同監督『竹林のさざめき』が上映されるのですが、
もと日芸の教え子という関係その他もあって、
阿部がトークショーに引きずりだされます。
どちらの日に出るのかは未定。
両方、という可能性もあるそうです。
これも追ってさらに詳報をご連絡します。




10月25日(木)19時~:@池袋ジュンク堂4Fカフェ
阿部単独のトークセッションで、
演目は「本当に面白いサブカルはどこにあるか/あるいはmixiの効用」
定員40名締切で、こちらは電話予約が必要になります。
池袋ジュンク堂の電話は03-5956-6111
池袋ジュンク堂のトークセッションについてはこちら↓
http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20070709ikebukuro

ちなみに、これは著作をもつ立教池袋文学部の教授たちの
一連トークイベントの一環です。
小池昌代さんは10月18日(木)19時からで
演目は「都市で生きるわたしたちにとっての、老い、死、詩、自然
――短編集『タタド』(新潮社)を中心に」。
千石英世先生は11月1日(木)19時からで、
演目は「小島信夫の小説と小説観」。
どちらも上記電話番号に予約が必要になります。

僕はこの時期までにまだ新著が出ていないけれども、
来るべき新著のアピールも絡めてmixi論を展開するつもりです。
それと旧著が会場に揃えられるとおもう。
ゲットしたい本のあるかたはこの機会にぜひ。



――とりあえず、柄にもない「宣伝」は以上でした(笑)。
ふう疲れた。
あがた森魚『乙女の儚夢』と
はちみつぱい『センチメンタル通り』を聴きつつ
ゆるゆると書いてみました(何てレトロを聴いてるんだ-笑)。

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2007年09月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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