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俳句の犬 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

俳句の犬のページです。

俳句の犬

 
 
この夏の北海道旅行のおり釧路の古本屋で買った
『犬たちの歳時記』(平凡社、01年)という本を最近読んでいる。
寝酒と付き合うように、夜毎ちびりちびり、寝るまでを「呑む」。

著者の笠井俊弥さんは犬にも俳句にも詳しい人で
1925年生の、一部上場企業の重役さん。
文章は平易、いばらない。
もう少し年少ならTBSの鴨下信一さんともつうじる
知的な洒落者タイプとみた。

ともあれこの著者はこの本を書くために生まれた、
とおもうくらい「水を得ている」。
新年から春夏秋冬に章立てされ古今の犬句が紹介されて、
犬のいる地上の季節推移がゆっくり寂かに迫ってくる。
それで一気読みが勿体なく、ちびりちびりと「呑んでいる」わけだ。

僕にとっては犬の必殺句となれば、まず安井浩司の
《犬二匹まひるの夢殿見せあえり》(『阿父学』)だが、
江戸句から現代俳人まで偏奇なく例句を引く笠井さんは
たとえば安井の兄格=加藤郁乎の以下の句を引いている。

元旦や三本足の犬走る

犬川で今日もくらしつちぎれ虹

掲出一句目は郁乎『微句抄』所載。
この句集、郁乎の初学時代の句集成とは
最近、砂子屋書房版の現代俳人文庫3『加藤郁乎句集』を読んで知った。
つまり高柳重信なら『前略十年』、
塚本邦雄なら『透明文法』さらに『初学歴然』にあたるもの。
「元旦や」に話をもどせば俳味は「三本足」の欠落により
力技で持ち寄られている。そこが若さ。だが佳い。

二句目は郁乎『佳気颪』所載。
郁乎は『えくとぷらすま』よりのち、
大冊の句集『江戸桜』にいたるまで地口、名詞の動詞化から
やがて江戸回帰句へといそしみ
その句風もケンカイ孤独になるという一般見解だが、
先述『加藤郁乎句集』の編集がよくしたもので
江戸俳人についての郁乎の論考、『江戸桜』の自註文が入っていて、
それらを参照に難攻不落とおもわれた
『江戸桜』の幾つかの句が解けてゆく。
すると句の奥行きもくっきりとみえてくるのだった。

断じていおう、「江戸回帰」によって「つれなくなった」郁乎句は、
そうおもわせたのがこちらの無教養によるもので
責任は郁乎にはない、と。

二句目から話がそれた。これも同じだ。
初五「犬川で」が難読箇所だろうが、
『犬たちの歳時記』で笠井さんは明快な解説をする。以下。

《「犬の川端歩き」は日常使われた慣用語ですから、
略して「犬川」ともいいました。
あてどもなくウロウロ徘徊する人のことです。》
つまり「犬川で」は恣意による修辞ではない。

この解説があれば郁乎《犬川で今日もくらしつちぎれ虹》、
その句主体の姿がたちどころにわかる。
わかって、「ちぎれ虹」の実像がみえつつ、
それが今度は加藤郁乎の綺語ではないかともおもいはじめる。

『犬たちの歳時記』に引かれた句で陶然としたのは
たとえば中村汀女の以下。
《緑陰やリラと呼ばれて行ける犬》(『汀女句集』)。
やはり「女流」の可憐。すばらしいとおもう。
「リラ」=ライラックの名を犬につける少女趣味が
虚構か否かを考え、却って興趣が尽きなくなる。
葛原妙子の「金森光太」のようなものではないか。

あるいは数多く引かれた一茶の犬句の親密・庶民性にたいし
やはり蕪村、と溜飲を下げたのが『蕪村句集』の以下、
《おのが身を闇より吼〔ほえ〕て夜半の秋》。

これには《丸山氏が黒き犬を画〔ゑがき〕たるに賛せよと望みければ》
の詞書がある。黒犬の絵への賛句というわけだ。
ちなみに「丸山氏」は円山応挙。
詞書と相俟って、犬一個の「宇宙」が顕在化してくる。
これに匹敵する句についてはまたあとに書く。

犬に詳しい笠井氏は、犬についての雑学エピソードを
句の紹介に挟み、紙面がじつに流麗としている。

たとえば江戸時代、長崎から洋犬の輸入があった。
だから巷間では柴犬、甲斐犬、秋田犬、アイヌ犬だけではなく
スパニエルなども移入されていたのだ。

ただし笠井さんは書いていないが、
とうぜん朝顔、金魚などで盛んになった交配熱が
それならばなぜ西洋人の犬にたいしてのように
江戸で開花しなかったかが疑問となる。
たぶん安産神としての犬を
素朴に江戸人が敬愛したからではないだろうか
(ちなみに秋田犬とブルドッグを交配させて土佐犬をつくり
それで闘犬が興行化したのは明治以後のことだ)。

あるいはこの移入犬の話題の枝葉として
江戸俳句に頻出する「水犬」が
いったい現在のどの犬種を指すのか
推理小説のように真相に迫る、コワク的一説もあった。

皮肉屋(シニック)がなぜ犬儒派と呼ばれるのかは
秋元不死男の句《犬儒派や木の芽爆ぜるも耳になし》の紹介とともに
大略、以下のように解説される。

ソクラテスの死後、弟子は幾派かに別れ、そのうち最大のものが、
アンチステネスが率いたキニク(キュニコス)学派だった。
《恬淡無欲な自然生活をよしとし、
文化的生活や見栄を意識的に無視する
「犬の如き生活」を実行する者もいたので、
キニク派、つまり犬儒学派といわれたのです》。
やがてその太祖に、ディオゲネスが陣取ることになる。

そういえば僕の処女評論、『北野武vsビートたけし』では
北野監督の第二作『3-4X10月』が素材とする野球を
無媒介に「犬儒派的価値観のスポーツ」とする断定があった。
そう、犬儒派の由来を書き忘れてしまったのだった。
むろんあの作品の柳ユーレイの顔には「犬の風情」を認めている。

あるいは僕のことでいえば、
造語として何かの詩篇に「Y字架」を書いたことがある。
ところが、「Y字架」が実際日本に存在していたとこの本で知った。
江戸時代、犬の屍骸を埋めた際の墓標がY字架だったのだという。

さて、それではこの『犬たちの歳時記』で「犬の宇宙」に接し、
最も震撼とさせられた句についてしるそう。
有名句かもしれないが(見た憶えがある)、
加藤楸邨に取り組まずにいて意識外に置いていた句を
笠井さんはふたたび僕の前にほおりだした。

天の川後脚を抱き犬ねむる
――楸邨『野哭』

咄嗟に感じるのは元句として
芭蕉《荒海や佐渡によこたふ天河〔あまのがは〕》を
考えていいかどうかという問だろう。

この芭蕉の作が、『奥の細道』随一を争う象徴句なのは言うをまたないが、
市振という越後側の岸から夜、佐渡側を遠望すると
荒海のうえに銀漢(天の川)が映っていた云々の珍奇な解釈まであった。

僕がちかごろ納得したのは、「天河」は
佐渡島が鉱脈として内蔵する金鉱の喩で、
その「金」を「銀(漢)」と言い換え俳味にも通じた、
しかし句は佐渡島、金鉱、銀漢すべてみえぬものを
夜の荒海にみている、というものだ。

銀漢の縦放射、まるで精液をぶちまけたような川状。
ひかりの巨大なるくらさ。
それにたいし遠望の果てに感じられる佐渡島の形状の円形。
つまり芭蕉の句は、川状のものと円状のもの、
このふたつの対照の幾何学的配備によっている。
「対照」と書いたがふたつのものは偉大に溶け合う。

この機微が事もあろうに犬という卑小な生き物を介し現れるのが
加藤楸邨の句《天の川後脚を抱き犬ねむる》ではないか。
「後脚を抱き」の修辞に生じる円形の気配。
そしてそれは自らの尾を噛むウロボロス、
すなわち「はじまり」と「をはり」の一致をすら想起せしめる。

そういえばこのウロボロス型の犬は
「メランコリカー」デューラーが例の細密狂気の筆致で素描していた。
タルコフスキーもその日記に同断の犬を描いていた。
また「メランコリカー」の語を駆使したベンヤミンには
以下の魅力的な断言もある。

観想的な志向の中で本来被造物的なのは憂鬱である。
そしてその力が、思いわずらう創造的精神の態度ばかりではなく
犬のまなざしにも同様に作用していることはつとに知られている。
――『ドイツ悲劇の根源』173頁

最後にまた、自分の話を。
誰も僕のネット句集『馬上』について書いてくれなかったが
そのなかにも幾つか犬の句(無季)がある。
それは実地に確認いただくとして
句集を再生するにあたり割愛した句にはたとえば以下があった。
《世田谷区烏山には犬五千》。

いわゆる「馬鹿句」で、なおかつ宇宙的、という自負があったのだが、
馬鹿句ぎらいの高原耕治さんに
句集に残すとあとあと絶対に後悔する句、と名指しされたものだ。
出来は自分ではよくわからない。
ただ今回は高原師の意見にしたがった。

あ、「銀漢」については一句、自信作がある。
これを最後に転記しておこう。
《躯には銀漢のあと漆食む》。
初出時、柴田千晶さんが「なにぬねの?」で褒めてくれた。
 
 

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2009年09月07日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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