定型論争と改行談義
昨日夕方は荻窪に古本漁りにいった。久しぶり。
このところネット古書店からの著者検索購入ばっかりで、
その買い方もいやらしくコンサバ化しているが、
やはり「出会い」「即発」の店頭買いのほうが正統だろう、
そんな反省もあって曇天の荻窪に足を伸ばしたのだった。
即座にみつけ購入を決めたのが
前回日記の書き込み欄で孤穴の孤児さんが話題にした
飯島耕一の『定型論争』(風媒社、91年12月)。
このころ僕は「詩手帖」を
特集によってごくわずか拾い読みしていた程度で
じつはこの論争の成り行きをあまり追っておらず、
詩史「常識」をゲットしようと買った。さっきまで読んでいた。
飯島耕一は80年代半ばすぎ、ほぼ「とつぜん」
日記をだらしなく分かち書きしただけのような
当時の現代詩の不定型、「おじや」的趨勢に憤りを感じる。
それで定型化の必要をいい、やがてその定型詩も
七五調的音数律詩ではなくソネット、バラードなど
行数の確定した押韻定型詩だと、考えを深化・具体化させてゆく。
返す刀で伝統的定型詩、短歌と俳句の陣営には
定型性を脱してはどうかと逆提案も提起する。
公平意識からだろう。汲むべき点はある。
だがそれには現代詩陣営、定型伝統詩陣営どちらも乗らず、
飯島の少しヒステリックな声の余韻をのこしつつ
90年一年の盛んな詩作者たちの応酬ののち
以後終息して現代詩史上ほぼかえりみられなくなった論争となった
――そういう総括でいいだろう。
「からあし踏み」にいたる成行は飯島耕一がつくった前提に予めある。
「後知恵」になってしまうが、
最近個人的に80年代詩を吟味してみた経験でいうと、
80年代詩で良かったのはじつは軽さに運動神経を感じる改行詩であって
「麒麟」人脈によるゴチゴチに文学化した、高偏差値詩などではない。
飯島耕一は「日記をだらしなく分かち書きししただけのような詩」を
難詰しているようにみえるが、この論敵は鈴木志郎康だろうか。
ただ僕も不勉強で、70年代の「極私詩」でなく
80年代の鈴木志郎康があまり印象にのこっていない。
ただ鈴木の影響下、登場してきただろう男性の日常詩のうち福間健二のもの、
それとその祖形としてもっと厳しさを帯びた西中行久のものなどは
80年代詩の最良形をしめしていて、けっして「おじや」でないと感じる。
女性詩の改行詩型ならライトヴァースから井坂洋子などの峻厳型まであるが
これらも意図と造形がはっきりしていて「おじや」とちがう。
また当時の男性詩のライトヴァース的なものにも素晴らしい工夫がみられ、
実際は当りが柔らかくても詩的衝撃度のつよいものが多かった。
87年に二詩集を出して詩的爆発をする辻征夫がその最良例だろう。
女性たちはたぶんこの辻の柔らかい運動神経にこそ模範をみる。
辻は女性に人気があった。
その辻は飯島の文によると飯島の定型化提議にやわらかく反発している。
現代口語詩は定型性を手放したやさぐれで、
ならば一回一回、一回性定型をつくりだしそれを消してゆくしかない、と。
改行詩の運びに定型性を感じさせることでは人後に落ちない辻が譲歩し
飯島の偏狭な提案にこのように折衷的色彩を付与したのに
飯島はさらにそれに感情的に噛み付いてしまった。
この後遺症を辻は引き受けてたぶん『俳諧辻詩集』(96)を仕上げ、
同時に詩壇のくだらなさを振り返って詩作放棄宣言をしたのではないか。
辻は詩の達成ののち詩壇をするりと抜けるように急逝してしまった。
とまあ、「おじや」呼ばわりした現代詩(田中宏輔の揶揄が懐かしい)にたいし
本当のところは「おじや」の実質がなかったから
飯島の定型詩提起がまず「からあし踏み」になったのだとおもう。
良い「おじや」の気味合いのあった荒川洋治が飯島を擁護し
別の「文学おじや」だった(しかしこれは煮詰まって焦げていた)松浦●輝が
最も明快な「おじや詩集」である『虹の喜劇』を出した飯島の内心を
精神分析的に忖度するというねじれたご丁寧までやらかす仕儀ともなって、
飯島の激怒をさらに買った。いずれにせよ事態は
複雑に日本的に、ねじれきっていった(いつものことだ)。
一方、飯島があこがれていた定型詩、たとえば俳句にたいし
やがて飯島は物足りなさをも突くようになり、この方面でも眺めが乱れた。
何しろ飯島の俳句擁護の典拠は現在形では盟友加藤郁乎がいるだけ。
ほかはほぼ夏石番矢と当時彼が所属していた「未定」に注意を払うのみで
何かいちじるしく擁護にしてもくさしにしても実例を欠いていた。
土方巽の優位をいうなら
当時は土方に賛辞を惜しまなかった永田耕衣も存命だったし、
後知恵だが、高柳重信人脈なら河原枇杷男だって安井浩司だっていた。
このあたりの俳句の可能性を飯島は一切スルーしている。
また短歌はすでに加藤治郎が牽引しだした「ニューウェーブ」の勃興期で
これまた飯島は着実な対象化を施していない。
そういうレベルでの定型論争だから「から足踏み」の連続になったのだ。
指摘しない「詩人」たちもわるい。
ただ飯島の本の常としてこの『定型論争』にも面白い面がある。
岡井隆との往復書簡企画の結果を受けて、
音数律にこだわらず詩行の幾何学的一定性を顧慮するなら
吉岡実「僧侶」や谷川雁「毛沢東」などは定型性が高いと揚言するし、
となると吉岡『薬玉』も詩のあたらしい定型の提案だったのではと
飯島の論理が展開を深めてゆく
(それと本書に併載されている吉岡の追悼文がすごく良い――
それでいうとこれは飯島自身の文ではないが
冒頭収録の谷川雁の文もすごく良いのだった)。
●
何か孤立無援の感をふかめてゆく飯島にとって、
詩学的立場からの援軍となったのが九鬼周造『日本詩の押韻』と、
その提起の可能性にさらに踏み込んだ梅本健三『詩法の復権』だった。
僕自身はかつて音数も定めた音韻ソネットをつくった経験から
日本語脚韻詩はがんじがらめの様相を呈するだろうとの実感がある。
じじつ飯島耕一もこの論争の時期、彼のいう押韻詩をつくっているが
その文中の実例をみても冴えない。
理由は西洋詩での脚韻単位は子音と母音の複合した1シラブルであって、
これを日本語一音の共通性のみで模倣しようとしても
共通性の印象が、見た目・聴く耳ともに薄く、押韻とは感じられないのだ。
たとえば別の二行の語尾が動詞過去形の「――た」で揃えられても
それは押韻ではなくたんに反復と感じられるだろうということ。
となって日本語での押韻単位は
往年の塚本邦雄が『水銀伝説』の短歌連作でしたように、
ひらがなで音をとった場合は2マスぶんが必要、
それが無理なら「子音+母音+子音」の一音半まで、とすべきだった。
しかもアクロバティックな注意喚起もいる。
たとえば「根雪」と「小雪」ではなく「根雪」と「道を行き」のように
名詞と動詞活用が同音のときに
しかもそれが行として隣接するときにのみ
日本語ではとりわけ押韻音律の心地よさが印象されるのではないか
(もともと日本語は転倒でなければ一文の語尾に動詞が来ることが多く、
連用形と体言止めを活用してやっと押韻の見栄えが生じるが
それに可聴性を施そうとすればさらに単純化がすすみ
実態は現在のラップのように恥しくなるだろう。
だから日本語詩型での規則性は音数律にまずもとめられ、
その次が頭韻となる
――このようなことを和歌が洗練させたのも常識だろうが、
飯島の立論には塚本邦雄の実験も、この頭韻も出てこない)。
九鬼『日本詩の押韻』を理論的な支柱としたマチネポエティクも
記憶では一音主義、しかも動詞の過去形を並べただけの
「た」押韻で満足したようなところがあって不備を感じた。
ところが僕は飯島の紹介する梅本健三『詩法の復権』が猛烈に読みたい。
飯島が次のように同書の内容を転記したからだ。改行付与し、孫引する。
●
詩の形式的効果への寄与が、リズムより脚韻の方が軽いと
簡単にいうことはできない。
音として見た場合の詩の結論部分を、
脚韻が担当するからである。
いわば言語音の標識としての目立ち方の度合が、
詩全体に満遍なく行きわたっているリズムよりも、
定められた局部にのみ現れる脚韻の方が
読者の興味を密度濃く引きつけるからである。
●
「日本語脚韻」の無効というか効力限定性は前言した。
ならばなぜ、この梅本健三の立論に惹かれるのか。
詩の音楽性をいうとき、
日本語詩でのリズムは七五調など全的な覆いでなければ内在律となるが
それらは瞬間的に七五、八六などの音数律を形成しても
一行がそれ以上の音数であれば
それら目覚しい音のパーツも瞬間的に立ち消える音の幻にしかならない。
ところがそれでも継続的な音楽性が印象されるとすると
それは、「定められた局部」が
進行する時間性に打ち込む衝撃によるのではないか。
改行詩が次行に向かう前行最後の折れ部分こそその「局部」で
じつはこの局部には脚韻など共通指標も不要で、
むしろ逆にヴァリアントの豊富さのほうが呼び込まれる。
あとは行末に刻印されるのは、呼吸転換の保証のみなのではないか。
これらは日本語が規則反復をみとめつつも
その平衡意識によって「局部」の単調性を嫌うためだ。
つまり僕は梅本健三の日本語脚韻詩の意義を
単純に日本語の改行詩の意義へと拡張解釈しただけだった。
ただしこれで音楽性を印象させる正しい改行詩に
定型詩意識が温存される理由もわかった。
朗誦に適する正当な散文詩のたたみかけではなく、
現在趨勢となりだした、
小説にも色目をつかう非改行詩のだらしない散文性には
この改行詩の改行瞬間の「局部」のような
ヴァリエーション豊かな呼吸の強調がない。
ただしそれが内側に消えて、みえない改行と感じられるならば
それはもう「非改行詩のだらしない散文性」ではなくなるのだから
音楽性評価の基準もまたこの「局部」探しということになる。
それが詩人某にあるかいなか、これが考えられるべきだ。
となって、書き込み欄への記載であったために見逃されたかもしれない、
前回日記で僕が揚言した「改行詩」の意義を
以下にペーストしてゆく意味もできただろう。
●
短歌、俳句は歴史的定型です。
七五調新体詩は人為的産物、
押韻もふくめた日本語版十四行詩も同断です。
あの論争〔※定型論争〕はそれ以外の認識に
何か果実をもたらしたのだろうか。
改行詩そのものに定型感があるというのは
たぶんどこか観点がちがいます。
言葉の密度と呼吸(身体性)に
改行詩を定立させる一定性があるのではないかということで、
それは外因的な「決まり」の導入とは無縁だとおもうのですね。
基準は茫漠としている。
詩作者のあいだには微細な偏差も分布するはず。
ただ、その麻のように乱れる眺めが
悪くない、ということです。
●
分かち書きが、書かれたものを詩らしくみせる形式だと考える
低劣なひとを度外視すると、
改行詩はむしろ「内在的に」選ばれた形式であって、
そこでの行は、意味や息の分量でとりあえず「折れ」、
またその「折れ」が加算されることで
詩の時空が一回的につむがれてゆく。
改行詩が見た目安直な形式だという点にも充分に自覚が及び、
だからそこでは詩作者それぞれの
改行原則と「同時に」改行禁則ができる。
その意識化された過程と結果は、
じつは如実に「読める」のですね。
この程度の読解力がないと詩はやれない。
だから改行詩の改行を
ひとしなみに「無意識の産物」という指摘があれば
それこそ「野蛮」というしかないでしょう。
●
改行は詩空間の可視化意識とつながっていますが、
それは計算されたデザイン化ではなく、
あくまでも身体的動機でおこなわれる、ということです。
身体は野蛮さを基盤にする(それが詩のあかしです)。
●
散文形の詩の紙面は
書かれたものが
全部「作者の内側」に帰属する感じがします。
いっぽう改行詩では
詩の一行一行の終わり部分のギザギザが
書かれた詩と世界との「汀」を
はかなく表現しているような気がします。
(一行一行が継続ではなく
「継続の半敗北」だからだろうか)
ま、あくまでも比喩ですがね
●
詩のおおむねは文で構成されるわけで、
散文形の詩での文の更新も
改行詩での行の更新も
スルッ、スルッ、とでもいった
擬音が聴えそうな場合がある。
こういうのも「運動神経」かなあ。
縁語、倒置、おしゃれ、統一性からの逃避、スカート、
口語使用、列挙、分類上の脱臼、お下品、息延ばし、切・・・
などなど、僕が「運動神経」を感じる要素は
たとえばこのように改行部分(文末)に多々あって
この運動神経はとうぜん散文形の詩にも適用できるけど
やはり改行詩のほうがみえやすい。
身体の勘所、丹田力の籠めどころ。
それと「ときほぐれ」、行がバラバラになって
空間にリボンの舞う感じというのか
そういう動勢が僕の好きな改行詩にはあることがある。
また貞久秀紀さんの詩篇なんて余白をみつめると
それすら豊穣で陶然としてくる・・
あんなに字数が少ないのに
つまりどうあっても空間化の意識が
改行詩のほうがはっきりしていて
これは以前僕がいったことだけど
より「サーヴィス化」にもつうじているわけです。
●
ともあれ詩の分量は行数でも字数でも測れない。
まさにトートロジーですが「詩の分量」で測るしかない。
となって秤の目盛りが揺れるような仕組が
もっとも改行詩の空間化がうまくいったとき、できあがる。
これが貞久さんの詩篇の最高潮の感じで、
逆に西中行久さんなんかは貞久さん同様「動詞」を意識させながら
こっちはむしろ恬淡に「飛躍を重ねてゆく」。
どちらもアリだとおもう。
●
さて昨日、荻窪の古本屋に行ったのは、
後期の演習にむけて俳句関連の本を探すためだった。
あまり収穫はなかったが
八木忠栄さんの句集『身体論』(砂子屋書房、08)をゲットする。
この幸運にはホクホクとなった。
八木さんは詩よりも俳句のほうがフィットするとおもう。
どちらもスケベな喧騒を演出するのが上手なのだが、
俳句は破礼と奇想と伝統美の三位一体を招きやすく、
詩篇の懸命感から容易に離れられる、ということだろう。
八木さんの最高秀句をいくつか選び、転記して終わろう。
○
高くたかく生涯の花投げあげよ
○
春昼や河馬一〇〇〇頭の河ながれ
○
八月が棒立ちのまま焦げてゐる
○
四、五人の男女溶けだす冬座敷
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片陰や老婆黒ぐろ排卵す
○
旱草に忘れものあり犬の舌
○
野分してなまはげ半島うらがへる
○
凍る川妻と来てただ石投げる
○
臓物の位置を正して冬ごもり
○
夏雲に両手を懸けて逆あがり
○
羅や色即是空うらがへし
○
紙風船浜の秋へと突いて出る
○
山の水汲むとき正面ぜんぶ秋
○
わがこころわが身に吊るし去年今年
〔※もったいないので、百ページまでの選としました〕