その後考えたこと2
出自が決定的、ということがあるかもしれない。
僕が自分の出自の原風景と考えるのは
恥しいが学生服のポケットに詩集を入れ、
夕暮れの鎌倉の海岸でそれを取り出し拾い読みし放心し
夕焼けの色彩の推移にも心を奪われていった自分だ。
詩集文庫は兄の本棚から掠めていた。
お定まり、朔太郎、白秋、中也、賢治・・・
自分がひとつの袋だとおもっていた。
入り口はブカブカなのに装填が待たれる凹存在。
しかしそれは自分が見上げている空も同じだった。
入るべきものは「それがそれでなくなるための」共鳴共振。
それは天上の音楽の属性といってもよかった。
音楽は謎でできていてしかも構文には連絡がある。
それは世界の秘密を告げながら
それ自体がそれ自体を奏鳴させる、
崇高(排除的)な自己再帰性をもつ。
こうして書きつけた未知のものへの賛辞が
女性的なものへのそれと区別がつかない点も
理解されるだろう。
そんな共鳴共振に救抜される自身を考えたなぞ
何か自身の固定性に不自由があったためにちがいない。
ただ不自由は自由を段階的に見出してゆくことで
何か眼前には「通路」も展けていったのだ。
サブカル状況に感謝する。
じつは詩集文庫のまえに
音楽を聴きいる自分の耳が詩集文庫の解読に似ていた。
マンガのコマ割とネームを追うことも同断だった。
動悸に関わる、魂のひめごと。
たとえば吉岡やジュネや片山健と同列の存在には
レノンだって鈴木翁二だって控えていたというのが
一種、世代的な特質だったのかもしれない。
母親が短歌俳句をPTAのつきあいから点火され、
それで短詩型文学が自分の幼年期に身近だったという
環境の特殊がさらに加わるのかもしれない。
音楽にさらにアナロジーされるもろもろ、
それに特有な「空間化」の特質。
一字一字が推移してゆくときの謎の分泌と音楽的な顫動。
にもかかわらず謎にくっきり刻印された理路。
最小の運動の分裂に身をさらして全身を放心させること。
あるいはその性的な恍惚。
詩脳、音楽脳という問題。
つまり詩的なものとは、わかる/わからないの
伝達でも対立でもなく
共振によってわたしとあなたを
あるいはわたしと世界を無差異にすることなのではないか。
血液の混交なのだ。
こう考える者には
たぶん詩分野をもちいての教養構築の意識もなく、
たんに執心できるものを渡る横断がそこに起こってゆくのみだ。
アナロジーによって刺激される記憶が
ここで付帯的な問題になってもゆく。
この分野ではもっと簡単に言葉が交わされればいいのだ、
「ああ、それがあったねえ」と。
ところが得点主義に汲々とする者は
「最近これを読んだ。
これがわかった。あれがわからなかった」とだけ、やる。
「それ」が音楽的物質でできていて、
なおかつそこに天上的理路がある点がひたすら貶価され
その者の身の丈で再生された詩が
その者の熱望により、蒼ざめて再現前されるだけ。
このとき詩文庫を学生服のポケットに入れ
夕暮れの浜辺をさまよった往年の記憶が妨害されるのだ。
しかし世界交信とはこんなものじゃないだろう。
硬い文脈のなかで硬い部分を引用し、
亀裂によって自壊を招くバベル主義者。
逆に、やわらかさにいたろうと
からだにいれたものを何度もときほぐし
それで自身のからだまでつくってゆこうとする者。
ともに詩の愛好者であったとして
それら存在のありようは正反の刻印がなされるほどちがう。
過程的な考えならこういえる。
相互のからだを照らすために詩の愛好があるのだ。
あなたひとりがひかるために詩の愛好などはない。
だんだん光が衰えてゆく夕暮れを歩いてみれば
そんなことは、たちどころにわかる。
天上に奏鳴されている領域をいまも耳で見上げた、
あれが詩だと
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昨日は朝早くから女房と
竹橋・国立近代美術館に
ゴーギャン展を見に行った。
朝イチに近いタイミングで行ったのに
芋の子を洗うような盛況。
一幅一幅の絵の前にいたるためには
行列に入りゆっくりした移動を
一回一回なさねばならず、
念を入れる鑑賞は断念した。
何しろ近づいての筆致の確認、
遠ざかっての全体構図の鑑賞、
色彩の褪色の確認といった
美術展での基本営為が不可能なのだった。
ゴーギャンは実人生をリタイアしたその人生も好きだが、
むろんその絵画もいろんな面で好きだ。
色彩でいうと橙、茶、濃緑の色遣いが独特で、
そっちのほうが先験的に
フランスからタヒチへ彼の視界が移りわたる契機ともなるのだが、
そこにたとえばハシシュなどによって増強された
異常感覚をみとめることができるかどうか。
もうひとつは江戸絵画からの影響。
ゴーギャン的な特質は、絵画の全体的平面性、その「部分」に、
形容矛盾だが別界面の平面が介入していって並列をつくり
その並列が静かであるために
いわば構図に奥行と幸福と怠惰の三幅対ができるということだ。
これが彼独特の色彩感覚と相俟って鑑賞者を恍惚に導く。
タヒチでの彼の絵画にはそうした営為が賭けられているのだ。
展覧会自体はそれらの絵が数多くあって壮観だった。
少ない点数であったが
人波がその前にできていない展示もあり、
そこでは筆致を間近にみた。
筆遣いは速かった。塗り重ねも自己抹消的でなく加算的。
ただしゴーギャン展は
ほぼ素早く通り過ぎてしまったというに近い。
女房には生理的にゆっくり観るのが無理、と謝った。
それで入場料の見返りを得ようと、
常設展をゆっくり鑑賞する。
藤田の「アッツ島玉砕」が
ここに展示されているとは知らなかった。
古賀春江の繊細で弱い絵とデッサンが結構あった。
フランシス・ベーコンの実物を初めてみた。
上村の美人画、その日本髪の鬢のぼかしが
御簾の影の向こうに臨める際の
幽玄に卒倒しそうになった。
草間弥生はやっぱりクレイジー。
河原温のタイル絵もはじめて実物を見た。
その後、近くの工芸館では
リーチ、濱田、三輪寿雪などの陶芸を見る。
濱田庄司は「物」が物のまま
愛着される機微に通じているなあ。
数多くの実物をみてますます好きになる。
落ち着いているのだ。
反面、寿雪は騒がしい。萩焼なのに白く内燃している。
その後は飯田橋まで歩き途中で昼飯。
また東西線に乗って以後、
下車したことのない落合で下りる。
早稲田通りと路地を縫って
東中野の商店街などをひやかしたのち、
中野に入って久方ぶりに中野ブロードウェイへ。
まんだらけが増殖していて、
写真集専門の古本屋、精神世界の古本屋までもができていた。
新たにできていた非まんだらけ系フィギアショップも数多く、
ブロードウェイはおたく殿堂としていよいよ磐石になった。
メイド喫茶や「可愛い占い屋さん」もでてきた。
古本屋では詩集を少し購入する。
うち夏石番矢『人体オペラ』をさっき読んだ。
これまで毛嫌いしていたのだが
わりとグッとくる句もあった。
さすがにウォーキングにはこの季節はまだ暑く
途中、女房とおたく系喫茶店で
からだを冷やし水分補給した。
吉祥寺で最後に買い物。
バスからの車窓はすっかり夕暮れていた
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詩とは生き方であり思考方法であり
感覚の手法だ。
つまり「権威」から「権威」のために
「権威」にたいしてやりとりされたものを
後発者が受動的に追認してゆくだけの
「試験に出そうな」教養体系などでは毛頭ない。
90年前後の軽薄な批評バブルを牽引した
男性詩作者たちはそののち歴史の必然として自壊した。
それで荒地にはゼロ年代詩が
「無教養体系」「運動神経の体系」として萌芽しだした。
いまこうした希望的動きにたいし
教養の名を出して敵対する硬直者がいる。
彼らには「反動階級」の名指しをほどこし
徹底的な情勢諌止をおこなわければならない
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ふとおもいついたことをさらにこの欄に。
音楽性を詩の運びの動機にしている、
だから意味が二の次で
音素の展開だけに執着している
と自分の詩がいわれることがあります。
改行の原理も飛躍感の醸成にのみ奉仕していると。
実際、僕がやめたSNS「なにぬねの?」では
『昨日知った、あらゆる声で』につき
そういう評言をもらいました。
あるいは別の詩では掛詞を駆使し、ざれ詩を書くと
ただ「加藤郁乎の踏襲」といわれた。
アナロジー的発見はじつは発想の収縮、
上のように怖い面もあるのだけど
じつは自分の詩篇自体がそれを呼び込んでいる。
これは否定しない。
ただたとえばその詩篇の場合も
加藤郁乎の詩法をつかい、
それをどう転位しているかが実際の眼目だったりした。
音楽と詩のアナロジー、
それを基盤に僕が詩を書いているのもたしかで、
たぶん上に書いた時代の、メディア環境が
僕にずっと作用している。
たとえばディランの言葉のようにギターを弾きたいと
ジミヘンがいったとするなら
ジミヘンのギターのように言葉を書く、
という言い方があってもいい。
その場合ジミヘンのフレーズが何か、という熟考が要る。
それは即興であると同時に作曲でもあるわけで、
この「作曲」を伴う感じが
自分の現在の改行詩の仕掛けではないかとおもう。
この「作曲」と「意味性の前面化」には
ことばの作物であるかぎりはあまり径庭もない。
だから、音素だけで詩が書かれ
意味が度外視されていると指摘されると憤慨してしまう。
改行は音楽類推上は
4単位程度からなる加算的小節転換にフレーズが載り、
4小節めの終わりに休符以上のゆがみの余韻を入れて
次の小節アタマをシンコペではじめる、
という感じにちかい。
このシンコペはじつはリズム上の問題よりも
意味(の脱臼)のときに出現してくる感覚だったりする。
だから僕の詩も一応「意味詩」だとは
自己判断しているのだけど・・