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飯田龍太後期俳句傑作選 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

飯田龍太後期俳句傑作選のページです。

飯田龍太後期俳句傑作選

 
 
立教の後期におこなう「俳句連句演習」では
去年の無手勝の乱れを正すべく
俳句の基礎、たとえば季語俳句からはじめようとおもう。
まずは入門篇となる第一回目の配布テキストをどうするか。

最初に考えたのは高浜虚子だったが、
風格と、少しの異形のせめぎあう虚子句よりも
静謐で凛冽な男性句をと考え、
読んだばかりの角川『飯田龍太全集』第二巻、
そこに収録されている彼の最晩年の二句集から
僕自身の選んだ秀句群を編纂することにした。

龍太といえば父・蛇笏の薫陶を受けた古典的安定性によって
戦後にあっても高い句格を維持し
しかもさらなる句の平易を模索したひとだ。
どんなに崇敬されても山梨の奥に生活の基盤を保ったことで
寂寥の気配も清潔に立ち込める。
句の無駄は省かれて独自境に辿りついた。以下のように――

《一月の川一月の谷の中》(『春の道』中、昭和44年)

ここまでは一般にいわれることだろうが、
何かもうひとつ龍太句には独特の艶があるとおもう。
美男がなした句、といったものが紛れこむのだ。

《紺絣春月重く出でしかな》(『百戸の谿』中、昭和26年)
紺絣を美しくまとった痩身の若き龍太を
春月そのものがみている感慨をおぼえる。
紺絣は月光を透く。読んだ者はそんな龍太の皮膚を得る。

潔癖なひとにみえて女のアナーキーも知るひとではなかったか。
こんな句をみつけると嬉しくなる。
《枯野よりとび出す女焦げくさし》(『忘音』、昭和43年)。

ともあれ端整、行儀が良いと片付けられそうな龍太は
晩年にいたり凄みをましてきた。
晩年の龍太は平易ながら
永田耕衣の俳味にも匹敵するというのが私見。
甲斐に籠もっても何か存在全体が「旅体」になり、
僕の前回日記のコメント欄にしるしたような「悲哀の調律」がなされ
句によっては胸ふたがれるような全感情にぶつからされる。

なるほど芭蕉を現代の俳句で受け継いだということなら
諧謔では永田耕衣だろうが、
悲哀の調律、しらべでは晩年の龍太ではなかったか。
彼は「端整」の標語を自身から静かに解いていったのだ。

プリントは以下のようにできた。




●飯田龍太後期俳句傑作選



【『山の影』(昭和56年~60年)】



枝を垂れし蛇にさびしき沼明り

秋真昼柩三尺宙に浮く

神の留守押せど動かぬ大魚にて

大根抜くときのちからを夢の中

冬瀧の音の洞なる夕あかり

冬ふかし鉄くろがねと読むことも

十二月小躯こつんと墓の前

冬茜かの魂はいま闇の中

山火事のあと漆黒の瀧こだま

朱欒叩けば春潮の音すなり

蟇鳴くや祖父母はるかと思ふとき

薄暑かなひと来て家を見て去れば

ががんぼは糸の音また詩〔うた〕の音

優曇華の彼方ひしめく瀧の音

さまざまの風吹く秋の水馬

茨の実麻疹はるかと思ふとき

文化の日鉄の屑籠雨の中

水澄める日向に京の女達

返り花老師お臍のはなしなど

冬の雷模糊と手の指足のゆび

敵さだかに見ゆ寒風の落暉また

放哉忌春雪午前三時より

朧夜や山に隠れし川もまた

人参赤し夏をこの世と思ふとき

ある夜ふとかくしどころの明易き

退屈な仏ばかりぞ葛の花

公魚〔わかさぎ〕の眼おのれの死を知らず

流れつつ春をたのしむ水馬

法螺貝を真近に吹かれ山ざくら

花吹雪浴び血しぶきの紅楓

山の月ときに花の香乳のごとし

鶏鳴のちりりと遠き大暑かな

冬の蝶山の束の間焔見え

短日のひたすら遠き暮天かな

八方に音捨ててゐる冬の瀧

村びとに遠く星ある春隣り

胡桃割る音の中なる雪解風

凧のぼるひかりの網の目の中を

禍も福もほどほどの夜の花吹雪

春愁とは湯の沸く音のごときもの

海きらめくは神の目か蝶の眼か



【『遅速』(昭和60年~平成3年)】

おのがこゑに溺れてのぼる春の鳥

十二月西国どこか香くさし

眼のとどく限り見てゐて年の暮

木には木の水には水の暮春かな

木の奥に木のこゑひそみ明易し

碧空の中なにもゐぬ大暑かな

何気なく火に近づきて夜の秋

幼帝のいまはの笑みの薄紅葉

なにはともあれ山に雨山は春

雲雀野や赤子に骨のありどころ

花辛夷昼月もまた花のごと

朧夜のもう誰も出ぬ不浄門

夜の秋のさびしき臍のあたりかな

いつとなく咲きいつとなく秋の花

金魚田にひと映りゆき日短し

義仲忌熊笹に雨錐のごと

風吹いて身のうち濁る春夕べ

鳥雲に蛻〔もぬけ〕の殻の乳母車

雪月花わけても花のえにしこそ

秋風の瀧に泣く音と笑ふ音と

茅舎の死ある夜ひとりの夏座敷

海辺まで花なにもなき涼しさよ

真帆白帆みるみる秋に従へり

夏夕べこころしばらく紺のまま

蟷螂の六腑に枯れのおよびたる

雪降るを見つつ小骨の舌ざはり

海を見てまた山を見て日短し

小春日の猫に鯰のごとき顔

落葉降る隣国信濃すこし見え

遠くより人の見てゐる蜆採り

蓮掘りしあととめどなく雨の音

耳聡き墓もあるべし鶫鳴く



【『遅速』以後(平成4年)】



またもとのおのれにもどり夕焼中




最終句集成立後の秀句を最後に一句のみ掲げた。

さて『遅速』には標題句、
すなわち「遅速」の語をつかった秀逸句が収録されていない。
ただし『全集』「拾遺」部分を確認すると
「遅速」の語の入った句は句集同一期に四つあり、
龍太が編集時にそれらを落としたとわかる。以下――

① とぶ鳥に遅速ありけり夏はじめ

② それぞれに睡りの遅速明け易き

③ ものの芽の遅速たのしき瀧こだま

④ 光陰の遅速いづれも小春かな

この①と④は句集に収録されて何の遜色もない秀句だとおもう。
「遅速」が「時期が遅れること」の意に終始しているのが②③だが
残り①④は「無常迅速」の反意語のように「遅速」の語が奥行をもつ。
万物は一切が迅く流れ、けっきょく跡形ものこさないが、
「それでもなお」ゆっくりと時の無常を浮上してくるものがある。
あるいは万物は素早くみえてその本質、芯には
不変や反復に由来する「遅さ」もあるのだ、ということ。

そうした「遅速」世界のなかに入ってこそ自身が無化する。
掲出句なら《碧空の中なにもゐぬ大暑かな》
《金魚田にひと映りゆき日短し》
《夏夕べこころしばらく紺のまま》
《またもとのおのれにもどり夕焼中》とも共通する境地が①④にある。
①が嫌われたのは下五が動く、と警戒したからだろうか
 
 

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2009年09月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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