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佐藤真さんが亡くなった ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

佐藤真さんが亡くなったのページです。

佐藤真さんが亡くなった

ムラケンさんの日記で知った。
『阿賀に生きる』『SELF AND OTHERS』等の
佐藤真さんが亡くなったらしい。
去年、「黒木和雄さんを送る会」で話したときは
お元気そうだったので、何で? という衝撃が渦巻く。

現代日本のドキュメンタリーの最前線だった。
ドキュメンタリーは「構成」によって最終成立する、
という信念を枉げなかった。
東大出身者特有の学識への尊敬もあり、
古今東西のドキュメンタリーに真摯に接し、真摯に考察した。
ドキュメンタリー論の著作も次々に書き、
どれもが卓抜な作家論、ドキュメンタリー論でありつつ
深い、深い「現場感覚」に裏打ちされていた。

佐藤真さんと初めて話したのは
10年ほど前、監督協会の忘年会のあと
イマジカから移った五反田の居酒屋でだったろうとおもう。
佐藤さんの隣には林海象さんがいた。
この年の新人監督賞選定の経緯が非常に面白かった。
その内輪話を佐藤さんは、
いまでは遺著になってしまったことになるのか、
今年刊行の『ドキュメンタリーの修辞学』に収録された文章で
抱腹絶倒のおもしろさで書いていた。

その初遭遇の席で、佐藤さんは僕の著作を読んでいるとわかる。
全然ちがう立脚点をもつ理論派の正対峙といったら大袈裟か。
即座にAVをドキュとして認めるか、という話になった。
僕はカンパニー松尾や平野勝之の話をしたとおもう。
扱われる題材に難色をしめすことができても、
そこに「構成」があり、社会がえぐられているという僕の言葉に
その場の佐藤さんが進退窮まった。
相手のそうした気配にこっちのほうの肌が粟立った。

ここで生じた難題を、その後も佐藤さんは引きずった。
セルフ・ドキュメンタリーにたいする複雑な是非の吐露は
前述『ドキュメンタリーの修辞学』冒頭のほうの収録文章で
佐藤さんがかなり重い筆致で書いていた
(本は研究室に置いてあり、手許で確かめることができない)。

それでも佐藤さんは不偏のひとだった。
その後のセルフドキュとAVの熱い接点となった松江哲明君を
佐藤さんは「構成=ドキュ」の見地から褒めていた。
ドキュが社会派の立脚では苦しくなりつつある点も認めていた。
佐藤さんの誠実なドキュと、森達也さんの奔放で、
観客-作り手の関係を審問にかけ、壊すドキュ。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」のか「つかない」のか。
ここ何十年かは「佐藤vs森」で
ドキュの中心が推移するだろうとおもっていた。
だから佐藤さんも森さんが企て、ムラケンさんが監督した
TV東京OAの挑発的なドキュ『ドキュメンタリーは嘘をつく』に
喜び勇んで、話し手として登場してきたのだろう。

佐藤さんのドキュは「苦しい」面があった。
その「苦しさ」が直視されなければならない。
ところが颯爽と引っさげた『阿賀に生きる』で
佐藤さんは当時の心無い中心的映画評論家から
「小川紳介の再来」と表面的な賛辞を浴びてしまう。
あの作品で阿賀の川沿いを生きる人々の姿には
確かにあっけらかんとした可笑性が捉えられていたが、
同時にあの作品には「共同体制での長期間撮影」が
小川プロ時代から下がるといかに苦しいかが滲み出ていた。
評論家の賛辞をよそにおそらく佐藤さんはあの時点で
ドキュメンタリーに内側から真摯に・孤独に接することになった。

その佐藤さんが自分の範として誰を置いたかはわかる。
小川プロが三里塚を去ってのち
ただひとり三里塚に残ってドキュを制作しつづけた福田克彦だ。
故・福田克彦だけが『阿賀』の至福の宴会場面を
「要らなかった。切るべきだった」といった。
それが佐藤さんのその後の指針となったはずだ。

「現代詩手帖」02年7月号のドキュメンタリー特集で
僕は対談相手の福間健二さんとかなり佐藤さんについて話している。
佐藤さんには複雑な態度をとった。
『SELF AND OTHERS』を褒める反面で『花子』を
ドキュメンタリーの制作動機が後発的だとして許さなかった。
真の出会いなど、あの作品にはなかった。

この時点では『阿賀の記憶』がまだ完成していない。
完成していれば、これにも複雑な態度をしめしたかもしれない。
この作品には『阿賀に生きる』を前提にしている傲慢がある。
そんなもの知っちゃいねえよ、という客に近づかないのだ。
ところが阿賀の流域を10年ぶりに再訪し、
「にんげん」を通り越してあらゆる光と音を
喪失の相で見据えつづける作品は肺腑を抉る哀しみにみちていた。
朦朧としたアートな光、二重露光。画面の霊性。構成の意図的破綻。
この作品で佐藤さんは『阿賀に生きる』への過褒を
ひそかに「苦しんでいた」のだという感触を僕は得た。

その後の『エドワード・サイード』は
佐藤さんのフィルモグラフィを代表する傑作だった。
牛腸茂雄の「喪失」後『SELF AND OTHERS』が撮られたように
阿賀の「喪失」後『阿賀の記憶』が撮られたように
この作品もサイードの喪失後に、サイードが撮られた。
佐藤さんは『阿賀に生きる』ののち「事後性」の作家に変容した。
その「事後性」が悪く作用すると
芸術的才を示す障害者がいると聞き現場に赴いた『花子』になる。

『サイード』はサイードの少年期の痕跡を
プルースト小説の香気を伴って追い、
やがては余人の口からサイードを語らせて、
サイードの「人」を、「思想」を、じわじわ浮かびあがらせてゆく。
原一男『全身小説家』後半の手法は踏襲されていない。
なぜなら、映画はとんでもない領域に入ってしまうからだ。

パレスチナには
アラブ人とイスラエル人が「共生」している領域がある。
そういう事実はこの二元論社会では秘匿されている。
ということで入っていったカメラは
「世界の内側を抉る」生臭い動勢をともなっていた。
いや、「生臭い」のに「静謐」なのが佐藤さんの個性だった。
ともあれそこで、「一国二民族主義」が画餅ではなく
実在として生きられてさざめいているという認知を得る。
佐藤さんのドキュが平板な社会性から離れ
深甚なメッセージを繰り出した瞬間、それを忘れることができない。

雑誌「d/SIGN」「写真と都市生活」の原稿で
佐藤さんの『SELF AND OTHERS』を前振りにして
映画美学校・遠藤協君の『写真をよろしく』を論じたばかりだった。
たぶん遠藤君は佐藤さんの生徒だったろう。
だからその原稿を佐藤さんに読んでもらうのが愉しみだった。
僕は佐藤さんの『SELF AND OTHERS』をその原稿で
次のように端的に表現する。

《身体に有徴性を帯びつつ夭折した写真家・牛腸茂雄に焦点を当てたものだったが、評伝ドキュではない。眼前の対象の他者性を見据える牛腸の視線(これは彼が数々撮った静謐な肖像写真のすべてに現れている)と観客の眼を再帰的に直面させる、熾烈な写真論映画だった。見ることとは何か。観客はそんな難問に出会い、自身の存在の他者性も知る。》

佐藤さんと森達也を比較すると、
佐藤さんのほうが真摯だという評言は当たらないだろう。
どちらも真摯、というのが正しい。
ただ佐藤さんが森さんにたいし絶対量の多さを誇るべきものがある。
「孤独」の分量がそれだ。
対象に単身突入する森さんを想定するとヘンな物言いかもしれない。
「そうはみえない」という意見が趨勢だろう。
だが僕には「そうみえた」。
だから佐藤さんの作品が僕には貴重で忘れがたかった。
佐藤さんの穏やかな風貌からそんな奥行も感じられた。

――合掌

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2007年09月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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