永田耕衣のこと・その他
こないだの月曜(敬老の日)から
「俳句・連句演習」がはじまっていて、
有季定型俳句として飯田龍太から
受講者たちの俳句入門がはじまった。
で、その次はもう少し禅機を交えた怪物句として
永田耕衣をあつかうことで
受講生の興味を拡げたいと考え、
本日は1972年までの耕衣大ベスト句集の趣のある
『非仏』をずっと括って
プリント掲出句を吟味していた。
数が膨大になるので
結局は耕衣の代表句集『驢鳴集』『吹毛集』からの選とした。
じつをいうと俳句に熱狂的な興味をもったのは
大学時代にまず永田耕衣を読んだからかもしれない。
それまでの有季定型句ともちがい
また加藤郁乎の、一行詩にも還元できる前衛風ともちがい、
それは「ザ・俳句」ともいうべきものだった。
ナヴィゲーターはその郁乎のほか鷲巣繁男あたりで、
何か周辺人脈からいって
耕衣俳句は土方巽の化け物文章と類縁があるようにおもった。
『非仏』栞には塚本邦雄も耕衣讃を書いていて、
「拉鬼体」と形容している。
怪物性によって恫喝され、
それにより魅了されるという意をふくんでいるだろう。
僕は、耕衣句はその脱論理性もすばらしいとおもうが
その禅機が塚本同様、怪物的と映るとおもってきた。
それはそのまま安井浩司の幽玄なケレンにも移行する、と。
けれどもしるしをつけた耕衣句を改めて見返してみると
随分感触がちがう。「やさしい」のだ。
文法もさほど破格におもえない。
というのもその後というか最近、
俳句自作をおこないはじめて
耕衣的な想像力が俳句創作では自然だという確認ができたためだ。
僕が志向する俳句での優美な理想、という感じがする。
たとえば塚本邦雄は
ついに俳句を自家薬籠中にできず(つくっていたが)、
それゆえに耕衣に脅威を感じつづけたのだろう。
それはそれで興味ぶかいことだが。
耕衣特有の俳句語彙というものはある。
たとえば「鯰」「白桃」「笑ひ」「寂しさ」
「世」「葱」「肉体」など。
これらをパズル的に組み合わせると一句ができてしまう。
《夢の世に葱を作りて寂しさよ》などのように。
このパズル的偶成性というのは俳句のやばい肝で、
安井浩司にその疑念あり、と「未定」同人もいっていたし、
摂津幸彦の句はこの点を逆手にとって方法論を構築していた。
ただしそのように方法論の圏域をまとめてみると
耕衣はぎりぎりで俳句の俳句性を自体的に注げる場所に
句作を峻厳にとどめている気もする。
「やさしさ」の感じがそうした印象を呼んでいる。
この『非仏』のすぐあとに
耕衣はコーベ・ブックスから
一部では最高傑作と誉れの高い『冷位』(75年)を出す。
ここでも僕は鉛筆でしるしをつけているが、
拉鬼体に翻弄された数多くのしるしがあるなか
耕衣スタンダードの句には
やはり最高点にあたる☆印をつけていた。
たとえばこんな句に--
手を容れて冷たくしたり春の空
出歩けば即刻夢や秋の暮
浮世とは葱の彼方の此方かな
前回日記のコメント欄で言及した、
貞久秀紀さんの「夢」に通ずる句想といえるだろう。
その一方で、度肝を抜かれる奇想句がやはりある。
薄氷に薄氷をくつ附けて死ぬ
見る人を海となすらん老白桃
見ることは死ぬることなむ大白桃
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さて、俳句「演習」であるから当然、
自作提出も受講者には乞う。
僕のケータイへはさっそくメールが来た。
HSさんのもの。五句中二句を下記する。
夕霧の爪は乾かぬひとりきり
振り向いた頬のむかうの渡り鳥
一句めはマニキュアを夕方に塗った直後の無聊を詠みつつ
夕霧と爪の対比により確実に「俳句」が生じている。
しかしまだ「少女句」の範疇にある。
しかし二句めの系統遺伝性の高さは何だろう。
永田耕衣もたぶん知らぬのに、
すごく「耕衣度」の高い句が自然に出来上がってしまっている
(あとでペーストする「秀句選」のプリントでよりわかるとおもう)。
これにはほんとうに吃驚した。
僕自身も気を入れて有季定型句をつくらなければならないとおもった。
で、早速つくったのが以下。
今回確認した、「耕衣句のやさしさ」を念頭に置いてある。
稲の秋近づく蝶も音速に
夕眺めこころの裾にあきつ満つ
龍胆に遭ふは龍胆になれる身ぞ
全人や鈴虫もいま消え響く
壷数箇寺院的なる窓の冷え
それでは最後に予告したように、
次回配布プリントをペーストしておこう--
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永田耕衣秀句選
【『驢鳴集』一九四七年~五一年】
夢の世に葱を作りて寂しさよ
凍蝶や西天に乳母車出で
亡ぶべく炭を掴める者あらむ
恋猫の恋する猫で押し通す
柳蔭われはをみなとなりしはや
かたつむりつるめば肉の食い入るや
夕凪の遂に女類となるを得ず
朝顔や百たび訪はば母死なむ
流失を予感せし牛流れ失す
行けど行けど一頭の牛にほかならず
寒雀母死なしむること残る
樹々の上に揚羽なること寂しけれ
物書きて天の如くに冷えゐたり
六尺の寝床や蓮枯れにけり
百姓に桃満開し褪色す
着物着て蛇の野に我が遊びけり
天上に映りて麦を刈り尽す
老の身にぱつぱつといなびかりする
藁塚が母亡き我に蹤いて来る
母の死や枝の先まで梅の花
牡丹花に入るまで虻に蹤いて行く
夏蜜柑いづこも遠く思はるる
熟れ際に倒れし麦の熟れにけり
枝を張る紫蘇のいづこを笑はんや
物として我を夕焼染めにけり
我が啖ひたる白桃の失せにけり
冬蝶を股間に物を思へる人
雁の夜や鼻を先〔さき〕立て散歩する
池を出ることを寒鮒思ひけり
角伸びて春耕の牛帰るかな
落花の中我も乞食たり得しに
いづかたも水行く途中春の暮
同大の鯛多〔さわ〕に世の移るかな
墓を去る時に笑ふや墓参り
寒鮒の死にてぞ臭く匂ひけり
【『吹毛集』一九五二年~五五年】
水を釣つて帰る寒鮒釣一人
天心にして脇見せり春の雁
麦曰く斯く熟しては切に寂しと
笑ひ棲む池の鯰を笑ひけり
揃はぬまま雁の声々天に入る
母の忌や後ろ向いても梅の花
餅を切るゆゑに石橋架かりをり
近海に鯛睦み居る涅槃像
藤の房己れ長しと思ひそむ
川芹の短き事に世を忘る
芹籠に乗り行く芹に我劣る
天降り来て身心臭し揚羽蝶
尿の出て身の存続す麦の秋
百合剪るや飛ぶ矢の如く静止して
萩叢を抱き起こしたるまま眠る
後ろにも髪脱け落つる山河かな
枯蓮に青の還るや乱れむと
桃の花老の眼にこそ精〔くは〕しけれ
春の暮飯始まれば飯こぼるる
春の野に出るや心身量〔かさ〕もなく
韋駄天の土蜘蛛後ろ向きしかな
頭古くこの炎天を庭とせり
道路ほど寂しきは無し羽抜け鶏
秋水やまた会ひ難き女ども
髪の中に脱けてある髪夕霰
あたたかき甍は何処へ行かむとする
腸〔はらわた〕の先づ古び行く揚雲雀
新しき蛾を溺れしむ水の愛
蛾流るる後ろの水に遅れつつ