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詩集が完成した! ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

詩集が完成した!のページです。

詩集が完成した!

 
 
昨日、思潮社の亀岡さんから連絡があり
詩集が完成したので手渡ししたいという。
亀岡さんの仕事の目処がついた晩八時、
僕の最寄駅で落ち合った。
以後はできあがったホヤホヤの詩集を肴に
飲んでいったようなもの。

気がつくと11時過ぎに。
亀岡さんはすっ飛んで返っていったが
なにしろ京王線から東武線の道のり。
浅草から深夜帰宅バスになるとおもいます、
といっていた(申し訳ない)。

亀岡さんがホコホコ顔で手渡してくれただけあって
詩集はもう「可愛くて」「恐ろしい」出来。

ええい、宣伝してしまえ。
頁数320頁という大著、
これは田中宏輔の初期詩集の精神から学んだ。
それを魚返一真さんの
冷・美・変態写真のカバーが包んで、
「頬杖のつきかた」というタイトルと
「阿部嘉昭」の名が金文字だい。

四六判変型、文字のQ数選択など
亀岡さんは僕の詩集にたいする思想を
着実に具現化してくれた。

ぜひ手にとってご覧いただければ。
書店にはぼちぼち置かれるとおもいます。
お世話になっているかたへの郵送も
ぼちぼち開始されるかと存じます。

内容は僕の日記読者ならすぐにイメージできるもの。
SNSに発表しやがてまとまった四詩集、
つまり『春ノ永遠』『頬杖のつきかた』
『ス/ラッシュ』『フィルムの犬』を
この発表順とは逆にただ並べたもの。
つまり大冊の理由は
四詩集一冊圧縮という単純事実にあった。

何しろSNS、ブログなどで詩作を展開していると
詩篇数も増えやすく、
今後、このようにセルフ「剪定」の弱い編集思想で
分厚い詩集が出てくる趨勢になるのではないかというと
「いや阿部さんほど量を書くひとはいないですよ、
無理でしょう」と亀岡さんが返した。
黒い箱に詩集が二冊入っている、というかたちで世に出た
松尾真由美さんの詩集も
その意味では別の発想らしいし(未入手未読)。

以来、出来上がった詩集を抱きながら
(そういう気分にさせる表紙カバーだ)、
拾い読みをちょびちょびしているうちに
ほとんどの詩篇を読みつくしてしまう。
極端にナルシスティックな行動をとりつつ
極端にナルシスティックな反応がやはり出る。
曰く、「俺ってすごくねえ?」(笑)

校了後、ゲラをみてなかったので
僕にとってここでの作者「阿部嘉昭」は
いよいよ茫洋としてきている。
「誰この親父」「すけべじゃん」「きれいじゃん」
「賢くて哲学的じゃん」「音律が抜群で頭に入ってくるじゃん」
「読んでる先から再読したくなってワクワクするじゃん」
「発想がカラフルで豊富で、ロック黄金期みたいじゃん」

読みつつさらに反応も白痴化しだす。
僕は「脅し」「ハッタリ」「拉鬼」「アクロバット」
なんでもやらかすヤクザな「フレーズ主義者」でもあるのだが、
そうして仕掛けた地雷のありかを自分自身もう忘れてしまっていて
だから読みすすめると体もなく爆傷つづきで
紙面を追う眼路も「もう泪でヒリヒリ」という感触なのだ。
美しいけど緑内障が進行しそうな詩集、といえるかもしれない。

しかし作者の「親父っぷりの破壊力」には
精神に余裕のある者ならばにんまりするだろう。
馬鹿といわれるだろうが、この僕自身がそうだった(笑)。
笑いも入ってるし

亀岡さんがオビに抜いたフレーズは
《逆流して、
あすは身に墓を立て、二階の高さで四万十のさなか透明に佇つ。
一秒以降を 一秒から離れるために。》

こういうやりかたで「親父による人間殺しフレーズ」を
各章(各詩集)ごとにサーヴィスで出しておくか

●『フィルムの犬』
《いうなればおれも むつき
ながれの糞を吸いこんで
ほろびのように肥大する》

●『ス/ラッシュ』
《チーズのように、他人の口許へ腐りにゆこうとする。》

●『頬杖のつきかた』
《疑ってみれば靴下より大きい世界などないだろう。
裏返してこれがわかる。》

●『春ノ永遠』
《ふと音を発する自分も
可笑しくてたまらん
とりわけコロンと乾いた音がして
性交はオーデコロンを
飲んだことがないなと羞恥する》

最後、『春ノ永遠』だけ行アキのない長編一篇詩。
これが長すぎると感じさせるか
詩集冒頭からとうとう導かれてゆく
西脇的白熱と捉えられるかで詩集の評価が決まるだろう。

これらを書いたものは去年の三月から今年五月まで。
「改行」にたいする考えは
詩の空間化時間化を行並列でおこない
改行ポイントでの呼吸の伏在で
詩篇に「肉体」の現実性を注入するというシンプルなもの。
「プネウマ詩」と呼ばれてもよい潔さ。

前作『昨日知った、あらゆる声で』とそんなに変わらないが
あの詩集では音韻が前提されて
複雑な喩連鎖についてはあまり言外されなかった。
高岡修さんなんかは改行原理の意外性を褒めてくれたけれど。

今度はもっと意味素が
読者の心中深く自然に入るようになっている気がする。
うまくなったのだろう。
というか書きなれて狡猾さも増したのだろう。
そのぶん精神の清澄と張りが保たれる必要があって
僕はたぶんこの時期、そういう取引に成功していたのだ。

もうひとついうべきことは
これら四詩集はそれぞれの詩集単位で
各詩篇を横断する定型意識があって
それがじつは多作を導いているという点だ。
だからいまよりも詩作ペースが旺盛だった。

いま書いている詩は改行原理にもっと多様性をもちこみ
上澄みとは別に沈殿部分に晦渋さを秘める、
「性格悪い」書き方になっているような気がする。
他人の詩との相対関係でたぶんそうなったのだ。

他人の詩といえば、亀岡さんとの席で
高塚謙太郎くん(都市魚さん)の話が出た。
高塚くんは口が堅いが、
彼の詩集も亀岡編集で、
僕の直後の10月に書店に出るという(暴露しちゃった♪)。
his aim is true 狙いはぴったり。
処女詩集から思潮社に基軸を置くことで
詩壇へじかに変化をあたえる心意気ともみた。

いっぽう廿楽順治さんの詩集は
構成を変える(大部化する?)ことで
来年まわしになったという。
亀岡編集詩集はいつも期待だな、
そうでしょ、小川サブちゃん♪

ともあれ「高塚謙太郎、いいよねえ」と
亀岡さんとはグラスを傾けていた。

高塚詩では内部律動が言葉を吸引する。
その運動神経によって
奇怪で詩的でつよい文脈が断言的につくられ
しかしつくられた途端に消失してゆく・・

語彙は豊富だが展覧的でないと感じるのは消失性ゆえ。
その潔さによって再読誘惑がある。
それで散文形が多く選択されようと
意外に自分と近い呼吸を感じる、
と僕は酔払いつつ喋ったはずだ。

亀岡さんご苦労さん、ということで
プレゼントを渡した。
何かは想像つくだろう、三村京子のアルバムCDだ。
な~んだ、とゆうな

ということで今度の詩集と内容重複する
ミクシィ日記と外部ブログ記事は
さきほど遡ってすべて消した。
なかなか良い書き込みをしてくれたかたも多く、
その書き込みだけを残す方法もあるんだろうけど、
面倒だった。ごめんなさい。

まあ書店で並ぶものと同内容のものが
ネット上にあるのはケジメ的にだらしないと僕は考えるほう。

これにともないプロフィールも若干書き換えた。
 
 

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2009年10月01日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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