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続・佐藤真さんのこと ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

続・佐藤真さんのことのページです。

続・佐藤真さんのこと

【先のmixi日記にかんして
そのコメント欄に書き込みされた意見にたいし
僕が返したコメントを下に順に並べておきます。
「ENGINE EYE」の読者のためです。】



佐藤さんの死因を
いまきた朝刊で知る。
飛び降り自殺だった。
鬱病を患っていたらしい。

それで上の原稿にヘンな符節が生じてしまった。
何ということだろう。

もともと僕が訃報を知ったムラケンさんの日記には
死因が書かれていなかった。
進行の早い癌ではないかと簡単に推測していたのだ。

佐藤さん、俺と同い年だった



まっちゃんさん、
映画監督の死にたいしては
その作品を見ることで追悼しなければなりませんね。
加えて、佐藤さんには膨大なドキュメンタリー論の著作もあります。
それも読み直さなければ



小川紳介の衣鉢を、というポジショニングが
最初の佐藤さんを苦しくさせたのだと僕はおもう。
たしかになんきんさんのいうとおり、
少人数の撮影班で起動力のある映画をもっと観たかったですね。
パレスチナを動き回った
『エドワード・サイード』にはそれを確かに感じました。

巨躯、四角く立派な頭蓋の骨格、やさしい眼差し、包容力・・
佐藤さんに接した記憶からいうと、
やっぱり自殺とは結びつきません。

松江くんはいま「他者によって自己を語って」ますよ。
なんきんさんの区分でいうと、実は佐藤さんのほうが
ポジションがよくわからなくなる。
『SELF AND OTHERS』の牛腸茂雄は
果たして佐藤さん自身だったのか? 等々

佐藤さんが僕を見つめた眼差しがおもいだされます。
あの眼差しに牛腸茂雄の眼差しは入っていたのか?

沈鬱がとまりません



あ、いろいろおっしゃるとおりです。
小川紳介ってどっかが冷やっこい。
土本さんもそうだけど。
そういえば、黒木さんの追悼会で佐藤さんに会ったとき
土本さんにインタビューするのですごく緊張します、
と語ってらした。

土本さんはどうするんだろう。
去年は黒木和雄、松川八洲雄と「同志」が立て続けに鬼籍に入り、
今年は最も期待する後進のひとりを失った。

怒りについて:
佐藤さんの怒りは、彼のドキュメンタリー論の行間に
ひっそりと見えますよ。
名著しかないので、ぜひ読まれるといいです。
小川さんにたいしては土本さんとちがい、
どこかが両義的だった、という感触があります。

佐藤さん、東大でも教えていたのか。
あのひとはアーカイヴを指導する能力も十全にあった。
その意味でも、その死が惜しまれます



(エビちゃんさんへ)
台風下、ずっと出歩いていて返答が遅れました。

佐藤さんはたぶん、DVによるスピーディな撮影の効力を認めながら、
一種、世代の責任としてフィルムのマテリアルにこだわったのだとおもいます。
そういうポジションをとることで
森達也たちとガップリ四つを組み、
それで日本のドキュメンタリー全体のバランスをとる、
ということを考えていたんだとおもう。
森さんが若手のDVドキュメンタリストと通じ合っているならば
自分は土本さんなど年長者からの富を継承し、
現在に開いてゆこうという構えもあったのではないか。

あと、あれだけの構成力があれば
アーカイヴドキュメンタリーも撮れたのだとおもう。
ところがそれはもっと齢をとってから、と考えていたとおもう。
『SELF AND OTHERS』は
それを部分的に予行演習する意味合いがあったかもしれない。

『ドキュメンタリーの修辞学』がいま手許にないので引用はできないのですが、
『阿賀の記憶』は
たしかに一種、記憶を定着しようとしたプライベートフィルムでした。

ところが『阿賀に生きる』の捨てカットが
フィルム缶のなかで癒合し、
それを映写機にかけると
多重露光のような状態になっていることを佐藤さんは発見する。
それをスタッフ間で「糠味噌ブラッケージ」と呼んでいたらしく、
そのへんの経緯が『ドキュメンタリーの修辞学』では
異様におもしろい筆致で振り返られていました。

そう、あの作品もまずはそんなフィルム・マテリアルの発見から
作品が発想されたということです。
そして「つなぎ」にいたっては、
映像よりも自然に録れた「音」を原理にした、
とたしかはっきり書いていたとおもう。
だからあの作品は、個人/撮影隊の記憶に逼塞している
という印象を確かに与えはするのですが、
一面でフィルムや「構成」により近づこうとする
佐藤さんにとっての原理的な作品だったとおもいます。

ただ、『SELF AND OTHERS』の達成のあとに
『阿賀』の続篇をつくらざるをえなかった佐藤さんの立場からは
どこか「苦しさ」が仄見えていた。

たとえば松江くんのような個性ならば
そんな問題系とは逢着しえないわけです。
松江くんは『あんにょんキムチ2』を徹底的に峻拒し、
フィルモグラフィを戦略的にズラしていった。

佐藤さんは自分に私淑する生徒たちに警戒的でもあったとおもいます。
加藤さんの『チーズとうじ虫』については
前述した黒木さんの会で具体的に話が出ました。
僕は肉親の死が静謐に描かれれば感動にいたらざるをえない、
「構成」も見事だ、
けれどもその見事さによって
アクチュアリティが見えないのではないか、と話しました。
佐藤さんは、「やっぱり阿部さんならそうおっしゃるでしょうね」といっていました。
佐藤さんのその様子に、
アクチュアリティに惹かれる心中が見えました。

(以下つづく)



(承前)
『エドワード・サイード』は実はサイードの存命中に企画されたものです。
ところが撮影前にサイードが死んでしまう。
それで撮影を中止するか否か、佐藤さんは迷ったといっていた。
やはり自分のドキュメンタリーに繰り返される「事後性」を
気にしていたのだとおもいます。

僕はちがう、といった。
『SELF AND OTHERS』は牛腸の個体にかんしては死後に撮られているけど
牛腸の写真が「いま現在・渦中」に置かれているから
アクチュアリティが体現されている、と。
とうぜん佐藤さんはすごく喜んでいた。

僕ぐらいの齢の者が鬱病にかかる経緯は決まっています。
几帳面さが条件になりますが、
「昔できたことが今できなくなり」、
それで自信喪失を招いた結果、
最終的には発想力をも失ってゆくのです。

僕は「サイードのいない」パレスチナを
「アクチュアリティをもとめて」少人数で走り回った結果、
佐藤さんが異様に疲労してしまい、
それが鬱病の引き金になったのではないか、と
今日の日中、別の仕事をしながら考えてました。

ともあれ、佐藤さんも伝統的なドキュをつくりうる社会的土台が崩れ、
またフィルム・マテリアルに拘泥する理由も薄れつつある現在、
アクチュアリティに向け、自分の方向性を模索しようとしていたのでは、
と推測します。

ただDVをもって個人で突入してもいい主題を発見できなかったとおもう。
『花子』の主題選択の無惨さからそれを類推できる。

というか、佐藤さん自身は、自分の「阿賀」が
小川さんの「三里塚」や土本さんの「水俣」とちがい、
アクチュアリティを欠落していた現実を
当時の多幸症的評論家とちがい密かに認知していたとおもう。
だから僕は「苦しさ」と書いたのです。

僕は鬱病にかかった佐藤さんが
ずっと福田克彦の亡霊に悩まされていたのではないかという気もする。
眼がそうして過去に向いた。
逆に松江くんたちには簡単に未来を託す気持があったのではないか。

エビちゃんさんの書き込みにたいする
解答になっているかどうかはわかりませんが、
日記本文の裏にしまっていたことを
刺激されて、ちょっとここで「開いて」みました。



(アル・ウィーラーさんへ)
鬱病による自殺は、
自殺ではなく事故ですよ。
散文的に捉えるしかない。

ただ、佐藤さんが鬱になってしまった流れを
推察すると上記のようなことにはなる。
しかしこれは、書いてはいけなかったことなのかもしれない。

世界のドキュメンタリーといえばいまは中国が凄いでしょう?
僕はもうその最前線を掴んではいないけど。

戦争が文学を豊饒にするみたいな言い方になりますが、
現代日本でドキュが本当に社会化するためには
貧困が完全に明確化する必要がある。
上品な佐藤さんは、それを
不幸を希求することと嫌ったのかもしれない。

ただ日本ではいずれドキュメンタリーが復活します。
貧困がますます猛威をふるっているのだから。
学生世代にも、ドキュ志向の子が多く、
彼らはいずれ、セルフドキュだけではやっていけないと
考えるようになるとおもいます。
このとき、佐藤さんの数々の著作が物をいう。

僕は『SELF』と『サイード』以外で
佐藤さんが世界的なドキュを撮ったかどうかは
実は微妙な問題だとおもいます。
ただし、その著作はまちがいなく世界的だった。

映画評論家時代の僕には決してできないことでした。
『成瀬巳喜男』だけ近いかもしれないけど

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2007年09月07日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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